ブログを書き始めて2年近くになるが,題材の選択にあたっては不断の努力が必要である。そのためには,日頃から,頭の中に “材料”を蓄えておかなければならない。筆者は,長年にわたって教職にあり,その関係で,講義,講演,セミナーなど人前で話をすることを生業としてきた。 ふと思いついたことをメモとして蓄え,つぎにあるかもしれない機会に本能的に備えてきた。何ヶ月も先に予定されている学会の講演の場合も,ふと思いついた事柄を紙切れにメモしておくのが習慣になった。 ここで,日本で最初の近代国語辞典 『言海』 を完成した大槻文彦について書いておきたい。高田宏 『言葉の海へ』 には,手帳を四六時中はなさず,耳に聞くこと,幼少時から記憶したことを思い出すたびに書きつける大槻文彦の言葉が再録されている。
大槻文彦は,杉田玄白,前野良沢を師として,日本の近代化の曙の時代を蘭学とともに歩んだ大槻玄沢の孫にあたる。ふたたび,高田宏 『言葉の海へ』 より引用する。文彦は,祖父玄沢の言葉
を座右の銘とし,寝食を忘れて辞書の完成に取り組んだ。苦闘の末に完成した 『言海』 の跋文に,大槻文彦は
と書いている。 大槻文彦は六十六歳から,『言海』 の改訂版 『大言海』 に十年以上も取り組んだが,完成をみることなく他界した。助手を務めた大久保初男によって,十年後の昭和十七年に完成した 『大言海』は,大槻文彦 『縮刷版 新編大言海』 (冨山房) として現在でも入手することができる。 言葉の説明を単に機械的に求めるのであれば,書店に並んだ国語辞典のなかから手ごろなものを購入すれば目的を達する。これで何も困ることはない。しかし,読むほどに興味がつきない 『言海』,『大言海』 からは,
を座右の銘として辞書つくりに打ち込んだ大槻文彦の肉声が聞こえてくる思いがする。 大槻文彦の辞書は,“作った辞書”ではなく,“できた辞書” である。この点は,辞書に限らず,世の中一般に通じることである。日本は今後50年間で30個のノーベル賞を目指そう,そのために必要なお金は国が出そうといった政治家がいる。ノーベル賞もまた,お金を出して作るものではなく,努力の結果として気がついて見ればできているものであることを,この政治家はまったく理解しておられないようである。 #
by yojiarata
| 2013-01-11 23:35
中学,高校,大学の間,数知れない数の映画を観た。 その中に,いまだに気になる作品がある。 『乾いた花』 (篠田正浩監督,昭和39(1964)年公開,松竹)。映画雑誌には,池部良主演のやくざ映画とだけ記されている。原作は石原慎太郎の短編小説である。公開前に(配給)会社側から難解という理由で 8ヶ月間 お蔵入りとなった後,反社会的という理由で成人映画に指定されたというが,筆者にはそんなことはどうでもよい。
ここで,2011年5月17日に英題 "Pale Flower" として DVD とブルーレイがクライテリオン・コレクションから全米発売されたことを付け加えておきたい。 突如として映画界に現れた加賀まりこは驚きであった。映画の撮影時,彼女は10代だったはずである。 賭博場で平然と大金を賭ける冴子(加賀まりこ),村木(池部良)による殺しを無言で見つめる冴子の大きな瞳,バックに流れる武満徹の音楽,冴子は賭博場の隅に,いつも黙って座っていた葉(藤木孝)との情痴の果てに惨殺される。 つい先日,ラジオで篠田監督の講演を聴いた。大変面白い講演であったが,篠田監督は,この映画について,全く触れられなかった。しかし,大切なものと思っておられることは確かだと思う。以前,テレビ番組のインタビューに出演された時,彼の人の後ろの本箱の真ん中に 『乾いた花』 の VHS が置かれていた。 筆者も 同じビデオを所蔵している。気になるので,時々取り出して観ている。 #
by yojiarata
| 2013-01-09 23:30
はじめに,二人の日本人が中学生時代に書いた次の文章を読んでいただきたい。
池田潔は,第一次世界大戦の直後,中学在学中にイギリスに渡り,リ-ス・スク-ルに3年,ケンブリッジ大学に5年,ドイツに移ってハイデルベルグ大学で3年を過ごした。科学の歴史に偉大な足跡を遺したキャベンディシュの業績を讃えてケンブリッジ大学に設置されたキャベンディシュ研究所からは自然科学の歴史を変える業績が続々と生み出されてきた。この文章からは,イギリスが長年にわたって培った伝統の重みに瑞々しい感性をもって反応した中学生の池田少年の感動が率直に伝わってくる。 日本の博物学の歴史に偉大な足跡を残した南方熊楠について,柳田國男は 『さゝやかなる春 南方熊楠』 のなかでつぎのように書いている。
南方熊楠は,ロンドンにあって,胸をはって日本を主張し続けた。イギリスの雑誌 Nature には,南方熊楠の研究成果が多数の論文として掲載されている。
この文章は,明治13年,十三歳一ヶ月の南方熊楠が和歌山中学校在学中に執筆した作文「教育ヲ主トスル文」の結びの部分である。 宮城道雄が筝曲の歴史上初めての表題音楽『水の変態』を発表したのは14歳の時であった。筆者は,このような素晴らしい先輩をもったことを日本人として大きな誇りに思う。 青春の詩
いまから百年近くも前に書かれたこの詩は,世界中の多くの人々の共感をよび,いまも愛誦され続けている。信念を失って干からびた二十歳の老人がいてもおかしくないし,希望に燃える八十歳の青年がいてもおかしくないのだ。 宮澤次郎『感動の詩賦 青春』(糸井出版,第十一刷,1989) #
by yojiarata
| 2013-01-08 21:40
徳川時代,加茂川と並行して京都市内を流れる運河があった。加茂川から取水して作られたこの運河は高瀬川とよばれた。
喜助が同心に語る身の上話を題材にして,森鷗外は短編『高瀬舟』を執筆し,中央公論(1916)に発表した。『高瀬舟』執筆の経緯を記した『附高瀬舟縁起』 とともに,岩波文庫に収められている。 『高瀬舟』は次の文で終わる。
高瀬川は今は干上がり,昔を偲ぶ縁はない。 つい先日(12月12日),NHK ラジオ深夜便で,時雨 音羽作詞,長津 義司作曲,『高瀬舟』 (1937年)を東海林太郎が詠うのを聴き,いたく感銘を受けた。以下の歌詞は,筆者が聞き取れる限りの記録である。
詩とメロディーの幽玄な美しさ。東海林太郎は低い声で,静かにゆっくりと鷗外を唄う。それまでの歌謡曲,その後の歌謡曲とは全く異質のものである。エレジーとでも言おうか。 『高瀬舟』は,2年後の1939年に発表され大ヒットとなった『名月赤城山』よりも,その後のどの作品よりも,際立っている。東海林太郎が遺した最高の作品だと思う。それどころか,日本の歌謡史に残る傑作である。是非とも読者に聴いていただきたいのであるが,NHK が所蔵する録音の他は,歌詞も何もかも,いまや手に入る記録は存在しない。 , #
by yojiarata
| 2013-01-06 23:10
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