がんの薬 巻の一 がんを哲学する



ご隠居さん 長い間,ゴソゴソ熱心に記事を書いておられましたね。
いったい,何の話?

がんの薬 について,専門家のご意見を伺うことにしました。

これまで,2回にわたって,日本で最大手の製薬会社の一つである第一三共(株)で,新薬開発の陣頭指揮をとってこられた平岡哲夫博士に,日本の創薬について,お話を伺いました。

創薬 日本の現状と将来 Ⅰ-Ⅵ (2011年6月執筆)



創薬・新版(2016) 日本の現状と将来 巻の1,巻の2 (2016年12月執筆)



いずれの記事も好評を博しました。

そこで,多くの人が関心を持っておられる がんの薬 の現況について,【創薬】,【創薬・新版】の場合と同じように,質疑応答のかたちで問題を取り上げることにしました。

今回は春山英幸博士(第一三共 Global Head of Research,日本製薬工業協会・研究開発委員会委員長を歴任後,現在は,第一三共 常勤監査役)に,私(荒田)の質問に答えていただくようお願いしました。その結果を,春山さんのコメントを伺いながら,私が編集し 【 がんの薬 巻の二 これまで・現在・これから Ⅰ,Ⅱ 】 として掲載します。

【 がんの薬 巻の一  がんを哲学する 】 は,がんの薬について,詳しい質疑応答を掲載するに当たっての,” 前座 ” に相当する部分です。私自身が執筆しました。

それでは, 【 がんの薬 巻の一 がんを哲学する に進みます。


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1)敵を知り,己を知る


敵を知るには,まず,守るべき味方を知らねばなりません。がんの薬について知るためには,がん そのものについての最小限の知識が必要です。

医師による診察と向き合う一般の人々には,がんとは何か,現代の科学ががんとどう向き合っているのか,今後の展望はどうかなど,がんに関する教養を身に付けたいと希望している方が少なくありません。

事実,一般読者を対象として,がん の著書が数知れず出版されています。これらの著書は全て医師によって執筆されたものです。私は可能な限りこれらの著書に目を通しましたが,残念ながら,一般読者の疑問に応えうるものに出会うことはありませんでした。私自身の結論は,医学と薬学の関係の原点に立ち返り,がんの生物学について,徹底的に熟慮することなくければ,先が見えてこないということです。

私は,がんについて長年勉強し,一冊の本を書きました。書くからには基礎的な知識を徹底的に身に着け,自分の身にしみこませることが必須です。

私は,大学の基礎課程に在籍中,同じクラスにいた青木幹雄君と友達になりました。この偶然が,私が がんの生物学に熱中するきっかけになりました。その後,青木君は吉田富三門下で病理学を専攻し,私は薬学部に進学しました。

私が何故,がんの生物学に熱中することになったのか。それは,がんをストーリーとして語る 青木君の類ない才能でした。日本中を探してもこんな医学者はいませんよ。

中村君による 「蒟蒻問答 古典を輪切りにする,万葉集,古事記」 の記事でも書きましたが,物事の本質に迫るには,直感とズバリと指摘する ”直感派の発言” が本質的です。青木君は,古典に示した中村君の同じ意味で,直感派の巨匠であると,私は深く尊敬しているのです。

最初に言葉を交わして以来,今日まで60年余り,時々会ってお茶を飲みながら雑談をしたのですが,気が付いてみると,いつの間にか がんの話になっていました。青木君のちょっとした話に,好奇心の強い私が突っ込む,漫才でいう,ボケ(青木)と突っ込み(荒田)を延々と続けてきました。

その結果,出来上がったのが

荒田洋治『がんとがん医療に関する23話  がん細胞の振る舞いから がん を考える』(薬事日報社,2009)

です。自分でいうのはおかしいかもしれませんが,この小冊子を手元に置いておかれれば,がん の薬の話を聞く場合の理解に役立つと思います。

この小冊が,理系であれ,文系であれ,がん に関する広い意味での教養を身につけたいと考えておられる読者のお役に立つことを願っています。

ここで,最近の統計データを引用しておきます。

国立がん研究センターがん情報サービス

をご覧ください。

例えば,男性,女性,男性・女性の合計

2013年のデータ
胃がん,乳がん,胃がん

2015年のデータ
肺がん,大腸がん,肺がん

となっています。がんも時代とともに変わるようですね。

詳しいことは,がんセンターの資料を熟読してください。

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2018年2月22日 追記

医学専門雑誌・ランセットの最近号に,国際規模で集められた極めて重要な統計データが収録されています。ぜひ,目を通してください。

Global surveillance of trends in cancer survival 2000–14
(CONCORD-3): analysis of individual records for
37 513 025 patients diagnosed with one of 18 cancers from
322 population-based registries in 71 countries

国立がん研究センター がん生存率の推移に関する大規模国際共同研究2000-2014年に診断された3,750万症例の5年生存率を公表 もご覧ください。

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2)人類と病気との闘い


地球に誕生して以来,人類はありとあらゆる病気に悩まされ続けてきました。人類と病気の闘いは,さながらモグラたたきのようです。コレラ,チフス,ペストなどの急性伝染病,梅毒,結核などの慢性伝染病をその時その時で何とか押さえ込んだ今,気が付いてみると,あたかも引き潮になって姿をみせる昆布や岩のように,海底で長い間出番を待っていた脳梗塞,心筋梗塞,そしてがんが我々の前につぎつぎに姿を現す事態となりました。

がんは先史時代から人々を悩ませていたようです。ジャワ原人の骨やスイスのミュンジンゲンで発見された新石器時代の戦士の上腕骨に「骨肉腫」(骨の悪性腫瘍)の痕跡が認められるということです [→ ピエール・ダルモン(河原誠三郎,鈴木秀治,田川光照訳)『癌の歴史』(新評論,1997,29-30ページ)] 。

2千年以上も前に生きたギリシャの哲学者ヒポクラテスによる著作には,すでに乳がんについての記載がみられます [→ ヒポクラテス(小川政恭訳)『古い医術について 他八篇』(岩波文庫,1963)]。体の表面に出来た乳がんのかたちが,甲羅から足を伸ばしたカニのかたちに似ているところから,カニを語源とするcancer(英語), Krebs(ドイツ語),Carcinoma(ラテン語)が用いられることになったといわれています。


3)がんとは何か

腫瘍は,地理的にはある国の一部でありながら,独立を主張し,その国の憲法を全く無視して勝手気ままに行動して勢力を拡大していく “革命自治政府” のようなものです。

腫瘍は,“ 新生物 ” と “ 悪性新生物 ” に分類されます。新生物は,腫瘍が発生した部位の正常の細胞と姿,かたちがほとんど変わらない細胞から成り立っています。

新生物は良性腫瘍と同義語です。良性腫瘍の細胞は増殖が遅く,腫瘍が一定の大きさに達すると増殖が止まります。その結果として腫瘍は局所にとどまり,浸潤も転移も起きません。良性腫瘍は,必要なら手術によって摘出することも可能です。特別の場合を除いては,良性腫瘍が致命的になることはありません。よく知られた例外は脳腫瘍です。硬くて狭い閉鎖空間に発生した腫瘍は,たとえ良性であっても一命に関わることがあります。

一方,悪性新生物すなわち悪性腫瘍は,自らの周りの組織を破壊しながら増殖を続け,さらに血液,リンパ,体腔などを介して身体の様々な場所に飛び火します。悪性新生物,悪性腫瘍,がんは全て同義語です。


がんの多発地帯:体の表面

人の身体の至るところから がんが発生します。しかし,はっきりといえることがあります。それは,結合組織や支持組織などからも,がんは発生するけれど,ほとんどのがんは身体の表面を覆っている上皮組織から発生するという経験的事実です。すなわち,身体の “表面” は,がんの多発地帯なのです。

つぎのような仮想の実験を想像してください。

体内の組織に触っても傷つけないように注意して作った細くて軟らかいプラスティックの長い棒を口からそっと差し込んでみます。この棒は食道から,胃,小腸,大腸,肛門を通って身体の外に出ます。すなわち,食道から肛門にいたる消化管の上皮組織はすべて身体の表面です。

肝臓細胞も上皮細胞すなわち表面です。お酒が過ぎると,胃液や胃の内容物と一緒に,胆汁を吐きます。肝臓細胞が口につながっているからです。人の身体からは尿も出れば,汗も鼻水も出ます。体液が出てくるところは,すべて表面です。

似たような状況を想定すれば,子宮頸部,子宮体部の上皮組織はいずれも表面であることが理解していただけるでしょう。子宮体部の上皮組織を形成する子宮内膜は,生理のたびに剥がれ落ちて,血液とともに体外に流れ出ます。

別の例を挙げれば乳管です。母乳を作る乳管細胞が乳頭を通って外に繋がっていなければ,おなかを空かせた赤ちゃんの口に母乳は入りません。肺の上皮組織も表面でその機能を発揮します。酸素を取り込み,二酸化炭素を吐き出すためには,肺胞の表面が口,鼻につながってなければなりませんから。


実質とストローマ

上皮組織は,たとえば胃では粘膜上皮組織として,消化酵素の分泌などに関わっています。このように,ひとつの塊となって,生きていくための機能を発揮する細胞の集団を “実質” とよびます。

一方,結合組織は身体が出来上がっていく過程で生じた細胞間の空隙を埋め,身体を支える役割を果たします。ここで注意していただきたいのは,上皮細胞には,自分自身の活動を支えていくために必要な酸素と栄養の補給路が備わっていないということです。このため,上皮細胞の生存に必要な酸素と栄養は,結合組織に大量に存在する血管によって供給されています。

結合組織は “間質あるいは “ストローマ” と総称されます。以後,ストローマを用いることにします。ストローマは,実質が心おきなくその使命を実行するために用意された,普遍的かつ必要不可欠な組織です。

強調しておきたいことは,“上皮のあるところにストローマあり” ということです。すなわち,上皮とストローマはつねに一組のセットとして考えるべき存在です。“基底膜” によって隔てられた “上皮” と “ストローマ” の関係は,正常組織の場合であっても,悪性腫瘍の組織であっても概念的には変わりはありません。

組織の空隙を埋め,実質を支え,実質を構成する細胞に血管を通じて酸素,栄養を供給する働きをするのがストローマです。たとえてみれば,
登山する部隊(実質)の食料などを備蓄してそれを支える役割を受け持つのがストローマです。


“癌”と“がん”と“ガン”

現在,書籍,新聞などでは,“癌”と “がん”と “ガン” という風に,漢字と平仮名と片仮名を見かけます。言語学的に根拠はないと思うのですが,平仮名で “がん”と 書くと,癌と肉腫の両方を含むということになっているようです。

“国立がんセンター” は,癌という字を使わず,あえて平仮名で“がん”と書いています。以前,大塚にあった“癌研”(財団法人癌研究会癌研究所)では,漢字の “癌” を使っていました。癌研は,吉田富三先生が所長をしておられた頃から,癌には肉腫が入らないから困るといって,気にされていたということです。片仮名の “ガン” は病理の専門家は使わないようです。


良性と悪性

良性と悪性は,言葉の上では明確に区別がついているといえばついているのですが,現実的には必ずしもそうとも限りません。良性にもいろいろな種類があり,良性腫瘍が悪性化することもあります。さらに困ったことに,組織全体をみると,一部が良性,一部が悪性という場合さえ知られています。当然といえば当然ですが,生物の理解の難しい点です。

診察を受ける側にとっては,良性と悪性の区別は極めて重い意味をもちます。がん検診で,“ 腫瘍がありますが,幸い良性です ”と告げられれば安心します。しかし,実際には,良性と悪性の区別は微妙なことが少なくありません。診断した医師から,「現在のところ心配はありませんが,半年か一年したら,念のためもう一度検査しましょう」と告げられることもあります。その時,その時で,担当の医師から納得がいくまで説明を聞いていただきたいと思います。


がんは “どうにもとまらない”

がんの特徴を直感的に理解するには,がんと炎症を比較してみるのがよいと思います。炎症は,日常生活でも何となく使われているのですが,医学の定義は必ずしも明確ではないようです。赤くなって,熱をもち,燃えるような感じがすることから,ドイツ語でも英語でも,燃えているという意味の言葉を使います。このため,日本語でも,漢字の “炎” をあてることになったのでしょう。

炎症は肺炎,腹膜炎,虫垂炎,腱鞘炎などのように炎という語尾で終わっているもののほかに,炎とは関わりない名前でよばれている結核,梅毒などの伝染性の疾患にも認められます。我々が遭遇する病気の多くが炎症を伴います。結核や梅毒の病巣が,初期の段階から全身に拡がっていく有様は,がんの場合と驚くほど似ています。がんも炎症も,病気の舞台が同じ人体であることを考えれば,当然といえば当然です。

しかし,炎症はその原因を取り除けば消えてなくなります。これに対して,がんは,原因が何であれ,いったん進行が始まると,“どうにもとまらない”のです。ここが,がんと炎症が決定的に違う点です。


4)がんの治療

がんの治療には,外科手術,放射線療法,化学療法が用いられます。しかし,がんが進行してしまった場合,少なくとも現在では,化学療法が最後の “命綱” です。身体の方々に散らばってしまったがん細胞を殲滅するには,相手の居場所を特定して行う外科手術,放射線療法は無力だからです。


巻の二 がんの薬 これまで・現在・これから(Ⅰ) 


に続きます。
























by yojiarata | 2018-02-09 22:00 | Comments(0)
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