第十話 検診 と 治療 ● 画像診断技術の進歩 がんの対策は,年々急速に進歩しています。 MRI の導入によって,それまで検診といえばレントゲン写真撮影だった画像検診が革命的に変化しました。それまでのレントゲン検査は,2次元の平面的な情報だってものが,MRIによる3次元情報,しかも,必要とする部位を取り出すことができるからです。 詳しいことは,2012年5月27日に執筆したブログ『MRI 第1話-第10話』を読み直してください。 MRIによる画像診断をきっかけとして,X線CTなどの診断法が進歩し,診断技術が大きく変わりました ● 外科手術 画像診断技術の発展に伴って,外科手術の正確性も飛躍的に向上しました。 ● 遺伝子レベルでのがん対策 近く退任するアメリカのオバマ大統領は,昨年の秋,がん対策として,今後,Precision Medicine の路線を執るべきであると演説しました。 がん治療とその方策の現状については,昨年の12月8日に執筆したブログを再読してください。 創薬・新版(2016)日本の現状と将来 巻の1,2 第十一話 がん細胞には個性がある ● がん細胞とヤクザ 組織内における正常細胞とがん細胞の振る舞いはどこが違うのでしょうか。 正常細胞は,周りに気を使いながら,隣接する細胞とたがいにコミュニケーションをとりあって,仲良くニコニコ暮らしています。ご近所の細胞を押し退けて自分勝手に増えることなどありません。ところが,いったん悪性化すると,急に人が変わったように,周りのことなどどうでもよくなって,自分勝手にメチャクチャに行動を始めるのです。これをがん細胞の 自律性 とよんでいます。 自律性は,がん細胞の本質的な特徴のひとつです。なんだか人間の社会に似ているようにも思えます。ある博徒を対象に潜入ルポを試みようとしていた吉田直哉・NHKプロデューサー(当時,1931-2008)に,父上である吉田富三先生が次のように話されたそうです [→ 吉田直哉『私伝・吉田富三 癌細胞はこう語った』(文春文庫,1995,300ページ)] 。 「ヤクザは面白い。悪性にはちがいないんだが,乱暴にとり除くとまた別の副作用がでてくるんだな。結局はうまく共存しなければならない。問題は,悪性の度合いとその本態なんだから,よく見てきて教えてくれ」・・・ 最終的には共存するしかない癌細胞,その映像が,父のなかでヤクザのそれと完全にオーバーラップしたのだ。 吉田直哉氏は,「父・富三は顕微鏡を考える道具とした最初の思想家であった」と回想しておられます。吉田富三『随筆集 生命と言葉』(読売新聞社,1972)には,吉田先生が考えておられた癌の世界が,実に興味深く綴られています。私はこれら二冊の著書を繰り返し読み,吉田先生の言葉と哲学に深く感銘を受けました。 ● ノーベル賞 1966年,国際対がん連合・第9回国際癌会議(組織委員会委員長,吉田富三先生)が東京で開催されました。私は本書のこの部分を執筆するため,当時の会議資料などの一次情報ソースを閲覧すべく努力しましたが,残念ながら現時点までに見付かっていません。従って,以下の記述は,会議について連日のように報道した産経新聞を通じて知り得た二次情報によっていることをお断りしておきます。 この学会における大きな話題は,同年10月24日夜,東京の赤坂プリンスホテルで開かれた「山極勝三郎記念講演会」における フォルケ・ヘンシェン博士(Folke Henschen,1881-1977,ストックホルム・カロリンスカ研究所・名誉教授,当時)の講演でした。ヘンシェン博士は「実験的タールガンとその歴史的重要性(ポットから山極まで)」と題する講演のなかで,40年前のノーベル生理学・医学賞の選考経過をつぎのように淡々と語られたということです。 《ドクター・ヤマギワのタールがんの方が,原因が明確で学問的価値が高い。ノーベル賞はヤマギワにすべきだ。私は強く主張しました。・・・ しかし委員の中から,東洋人にノーベル賞は時期尚早であるとの意見が出されました。当時,私はまだ若く,意見は通りませんでした》 山極博士は,ノーベル賞の候補として最後まで残っていたのです。ノーベル賞の選考過程が公表されるなどということは後にも先にも例がありません。この暗黙のルールを破ったヘンシェン博士は当時84歳,1926年のノーベル賞選考委員会のメンバーのただ一人の存命者でした。 1926年のノーベル生理学・医学賞は,“スピロプテラ・カルシノーマの発見”によって,デンマーク・コペンハーゲン大学の病理学者ヨハネス・フィビガー博士(Johannes A.G.Fibiger,1867-1928)に贈られました。フィビガー博士は,「がんの原因を発見した。あらゆるがんは,寄生虫によって惹き起こされる。寄生虫の名前はSpiroptera carcinomaである」という主旨の論文を発表していました。しかし,あとになってフィビガー博士の研究は全くの間違いだったことが明らかになったのです。 ノーベル賞選考委員会の大失敗でした。このためもあってか,フィビガー博士のあと,がんの研究にはノーベル賞を与えないという時代が長く続くことになりました。 → ピエール・ダルモン(河原誠三郎,鈴木秀治,田川光照訳)『癌の歴史』(新評論,1997,188-189ページ)) 第十二話 散る桜 残る桜も 散る桜 立春も過ぎた2月のある日,雪がチラチラ舞っていました。眺めながら,良寛の(辞世と伝えられている)句とともに,「がん」のことがふと頭をよぎりました。それと共に,古の人々が吐露した数々の感慨が頭に蘇ってきました。 室町時代に流行した語りを伴う曲舞の一種である 幸若舞 こうわかまい は,中世から近世にかけて,能と並んで武家達に愛好された芸能であり,武士の華やかにしてかつ哀しい物語を主題にしたものが少なくありません。中でも,一ノ谷の戦いの平敦盛と熊谷直実に取材した『敦盛』は特に好まれたといわれています。 『敦盛』の中に, 人間五十年,化天のうちを比ぶれば,夢幻の如くなり 一度生を享け,滅せぬもののあるべきか という詞章があり,非業の最期を遂げた織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられています。 生物の誕生は,生物の死を意味します。しかし,がん細胞はこの生物永遠の法則に従わない,自然界唯一の存在です。 がん細胞はありとあらゆる記憶を失っています。「一度生を享け,滅せぬもののあるべきか」の言葉通り,年をとればやがて死を迎えるという自明の事実さえ忘れてしまって生き続けているのです。 しかし,皮肉なことに,不老不死のがん細胞も,征服したはずのご主人様の死とともに,自らも消えていく運命を辿ります。人間にとってがんほど迷惑な存在はありませんが,“忘却とは忘れ去ることなり”の捨て台詞を残して消えていく悪い奴の一生は,いかにも物悲しいものです。 吉田富三先生の言葉を引用して終わります。 癌の治療も,最終のところで「癌細胞との共存」なのだ。 吉田富三(1903-1973) _____________________________________________ おわりに 私は,2009年,薬事日報社より『がんとがん医療に関する23話ーがん細胞の振る舞いからがんを考えるー』を出版しました。 この本を執筆するに至った切っ掛けは,大学入学以来の友人で,吉田富三門下の病理学者・青木幹雄博士と40年以上にわたって交わしてきた諸々の雑談です。病理学のプロであり,私の病理学の師匠でもある青木博士が語るがんは,この上もなく新鮮で筆者の知的好奇心をいたく刺激しました。 雑談を続けているうちに,医学部薬学科で学部教育を受け,医学の世界と浅からぬ縁をもち,薬学を友として長年にわたって修業してきたからこそ可能な切り口でがんに光を当てられないか,小冊にまとめられないかと考えるようになりました。国会図書館などに通いつめて諸々の資料を集め,問題点を整理し,時に応じて思いついたアイディアの断片と共にパソコンに残しながら,忘れては思い出し,思い出しては忘れて日々を過ごすうちに,20年近くが経過しました。 こうしてフォルダに保存された山のようなメモをもとにまとめながら“20年の歳月をかけてできた”のが本書です。 この本に書いた内容をより多くの人に読んでいただきたいと考え,とくに大切と思う部分を抜粋,最近の進歩を加えて編集したのがこのブログです。 畏友・青木幹雄博士との50年近くにわたる会話がなければ,本書,そしてこのブログが世に出ることはありませんでした。同博士の友情に改めて感謝の意を表したいと思います。
by yojiarata
| 2017-01-18 23:57
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