ご隠居さん 何をしておられるのですか。 先日,神田の三省堂の6階で,新年度の高校の「化学」の教科書を入手しました。6種類あるんだけど,どれも,同じ大きさ,同じ値段で,すっしりと重いんだ。それで,今,目方を計っているところなんだ。 目方ですって?! 世の中には変わった人もいるもんだね。中身じゃなくで,まず重さだなんて。 君だって,重さは気にならない? 気にならなきゃ,それでいいんだ。 私が購入した東京書籍版は,値段は1085円(税込み)。627グラムです。ほかの5冊も,同じ値段で,同じくらいの重さだと思うよ。 最近感じるんだけど,本はどうしてこんなに重いんだろう。PCのマニュアルなんかも重くて,困っているんだ。もっとも,連れ合いは,超後期高齢化したために,筋肉が弱って,そう感じるんだというんだけど。 紙のつやを出すために,バリウムか何か,金属が混ぜてあると聞いたことがあるけどね。 それはそれとして,高校化学の教科書を,どうしてご隠居さんが今頃になって買う気になったの? 戦争に夢中になっていて,これから何をやりだすか分からない我らの ”最高指揮官” の振る舞いを眺めていて,100年前の戦争のことを思い出したんだよ。 順番に書いていくから,ゆっくり読んでください。なお,執筆にあたっては,宮田新平『毒ガス開発の父 ハーバー』(朝日新聞出版,2007)を参考にさせていただきました。 その1 栄光編 ハーバーとボッシュのノーベル賞 20世紀の初め,窒素肥料の枯渇が,心配になっていたんだよ。食糧危機に繋がるからね。 窒素と水素からアンモニアを合成する方法を1903年から研究していたフリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868年12月9日 - 1934年1月29日,ドイツ生まれの化学者)は,1908年,650 ℃ の高温で,オスミウムを触媒に用いるアンモニアの合成に成功し,特許も取得しました。 空中窒素の固定に成功したハーバーの研究によって,人口増加による食糧危機は回避されることになりました。この成果を工業的の実用化するためには,ハーバーの従弟のボッシュが大きな貢献をした。 ハーバーは1918年,ボッシュは1931年,それぞれ,ノーベル化学賞を受賞しました。 その2 日本で現在使われている高校の化学の教科書 このころの出来事を,現在使われている高校の化学の教科書ではどのように記述しているのかに興味があったんだ。 東京書籍 『 化学 Chemistry 』(著作者,竹内敬人 ほか17名,平成28年2月10日発行,162ページ) アンモニア合成の歴史 より 《 アンモニア合成の工業化とその影響 》 ・・・・・ こうして,1911年から,アンモニア合成の試験操業が開始された。この朗報を聞いたドイツ皇帝ウィルヘルム2世は,大量生産されたアンモニアがあれば,窒素肥料と爆薬の自給が可能と考え,1941年,第一次世界大戦の開戦を決意したと言われている。 以上,ハーバーとボッシュに関する記述の全文です。 その3 毒ガスの開発 フリッツ・ハーバーは,第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼ばれることがあるよ。ユダヤ人だけど,洗礼を受けユダヤ教から改宗したプロテスタントになったんだ。 第一次世界大戦下,史上初の毒ガス戦がヨーロッパで繰り広げられました。 NHK で放送された 新・映像の世紀 の第1集には,この毒ガス戦の映像が生々しく再現されています。 *********************** 付記 第1集 第一次世界大戦・100年の悲劇はここから始まった 2015年10月25日 21:00 - 22:15 第2集 グレートファミリー・超大国アメリカの出現 2015年11月29日 21:00 -21:50 第3集 第二次世界大戦・時代は独裁者を求めた 2015年12月20日 21:00 - 22:15 第4集 冷戦・世界は秘密と嘘に覆われた 2016年1月24日 21:00 - 21:50 第5集 若者たちの反乱・若者の反乱が世界に連鎖した 2016年2月21日 21:00 - 21:50 第6集 21世紀の潮流・あなたのワンカットが世界を変える 2016年3月20日 21:00 - 21:50 *********************** 最初に使われたのは, 塩素ガス ,ハーバーは戦いの前線で自ら,指揮をとったそうだよ。 続いて,毒ガスが次々に開発されて,第一次世界大戦で使用されたんだ。 塩素ガスの他に,次に掲げるように,実に様々な毒ガスが使われているよ。 塩化水素 一酸化炭素 シアン化水素 塩化水素 有機リン系の下記の諸々の神経ガス ホスゲン ジホスゲン サリン サリンという名は,ナチスのサリン開発に携わったシュラーダー (Gerhard Schrader),アンブローズ(Otto Ambros),リッター (Gerhard Ritter),フォン・デア・リンデ (Hans-Jürgen von der Linde) の名前を取って名付けられた。 サリンはもともとは1902年にすでに合成されていたんだけど,当初その毒性は知られていなかったようです。毒性に最初に着目したのはナチス・ドイツ軍で,第二次世界大戦中に量産を計画し,敗戦までに7000トン以上の「サリン」を貯蔵していたにもかかわらず,終戦まで一度も使うことはなかったそうです。 アドルフ・ヒトラーの側近だったヨーゼフ・ゲッベルスは「サリン」投入を主張したんだけど,第一次世界大戦で毒ガスによって視神経や脳神経に一過性の障害を負い喉や眼を負傷した経験を持つヒトラーは彼らの進言を全く聞き入れず,「サリン」を戦争やユダヤ人の殺害に使用することはなかった。また,同じ枢軸陣営であった,日本軍にも「サリン」の技術は提供されなかったと言われています。 宮田新平『毒ガス開発の父 ハーバー』 そして,イギリス軍が マスタード・ガス ,フランス軍が イペリット とよんだ 究極かつ最悪の毒ガス 。 1917年,主としてイギリス軍の塹壕に向けて発射されたマスタード・ガス(イペリット)は恐ろしいものだったよ。目と呼吸器,皮膚のただれ。どんなガスマスクでも防げないのです。 ドイツでは。エミール・フィッシャーが製造を指導し,1859年に完成した。化学を学んだ人なら,エミール・フィッシャーを知らない人はいないと思うけど。 その4 20世紀前半まで,医学,有機化学を含めたドイツのサイエンスは世界を制覇していた。 君もよく知っていると思うけど,戦前の医学は,ドイツ医学そのものだったよ。小さな町医者の私の父親も,ドイツ語でカルテを書いていたよ。家事兼,薬剤師兼,看護婦兼の私の母親も,テーベー,シャッテン,ワッセルマン ・・・ なんて言っていたよ。 今は,太平洋戦争終結とともに入ってきた実利的なアメリカ医学が世界を制覇してしまい,医者もドイツ語を書けないし,書けないから使わないよ。 毒ガスの研究に多少なりとも関りのあった化学者の名前を挙げてみようか。(順不同) ロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼン グスタフ・キルヒホフ エドゥアルト・ブフナー ヴィクトル・グリニャール オットー・ジムロート ヴィルヘルム・オストワルド カール・エングラー ハンス・ブンテ スヴェンテ・アレニウス(スエーデン) ヴァルター・ネルンスト ロベール・ル・ロシニョール フリードリッヒ・ベルギウス エミール・フィッシャー エルンスト・ベックマン リヒャルト・ヴィルシュテッター オットー・ハーン アドルフ・フォン・バイヤー この方々の中から,多数のノーベル賞受賞者が出ています。化学をちょっとでも経験した人なら,自分の使った器具に名前を残しているのに気が付くでしょう。 ちなみに,マスタード・ガスの製造を指揮したのは,エミール・フィッシャーだと言われているよ。 その5 ハーバーとその家族を襲った悲劇 ハーバーの最初の妻,クララは,ドイツで最初に博士の学位をとった化学者だったんだ。彼女は,周囲を顧みることなく,毒ガスの開発に暴走する夫のハーバーの,毒ガスから縁を切るように何度も懇願したそうだよ。耳を貸そうとしない夫が,自宅で毒ガス開発成功のパーティーを開いている時,クララは,夫の部屋から拳銃を持ち出し,自らの胸に向け発砲し自死したと記録は伝えています。 その5 晩年 ハーバーについて,ウェッブ・ページなどを見ると,次のように書かれています。 愛国的科学者として名声の絶頂にあったハーバーだが,1933年にその生涯は暗転した。ナチスが政権をとると,ユダヤ人の多かったカイザー・ヴィルヘルム協会への圧力が強まった。ハーバーは,第一次大戦の従軍経験が考慮されたために自らが解雇されることはなかったが,研究員におけるユダヤ人の割合を減らすよう求められた。しかしハーバーは,この要求は受け入れなかった。 1933年4月,ハーバーは,研究員を採用するにあたって今まで自分はずっと人種を基準にしたことはなかったし,その考えを65歳になった今になって変えることはできない,さらに,「あなたは,祖国ドイツに今日まで全生涯を捧げてきたという自負が,この辞職願を書かせているのだということを理解するだろう」と記した辞職願をプロイセン州教育大臣に提出した。 ハーバーは9月までベルリンに留まり,他のユダヤ人研究者の転職先を探すなどの活動を続けた。その間,自らの職も求めたが,ハーバーはすでに高齢で健康状態が悪化しており,しかも毒ガス開発にかかわったことによって印象を悪くしていたせいもあって,思うような仕事を見つけることは出来なかった。10月にはドイツを離れ,息子ヘルマンのいるパリや,スイスなどで生活した。 その後ウィリアム・ポープからケンブリッジ大学への誘いを受けて一旦イギリスに渡った。ケンブリッジでは触媒を使用した過酸化水素の分解の研究に携わった。しかしイギリスでは毒ガスの件で風当たりが強く,たとえばアーネスト・ラザフォードにはこの理由により会うことを拒まれた。さらにイギリスの気候もハーバーには合わなかった。 ハーバーはスイスにいた時に,シオニズム運動家のハイム・ヴァイツマンと出会っており,ヴァイツマンからパレスチナへ来るよう誘いを受けていた。そのため1934年1月,パレスチナへ向かおうとして,いったんスイスのバーゼルへと移った。しかしその移動中に体調を崩し,1月29日,バーゼルのホテルで睡眠中に冠状動脈硬化症により死去した。享年65。 その6 終結 ところで,ドイツにも,毒ガスの開発,使用に反対した化学者もいたんだ。ヘルマン・シュタウディンガーは,その一人だったそうです。今から50年以上も前,私が進学した薬学部の落合英二先生は,シュタウディンガーの研究室でポスドクをなさったと聞いています。 シュタウディンガーは,スイス国内に本部のある「赤十字」に訴えたと伝えられているよ。 イギリスがマスタード・ガスの開発に成功した頃,サラエボの1発の銃弾に端を発し,1000万人近い犠牲者を出した第一次世界大戦は終わったんだ。 好むと,好まざるに関わらず,サイエンスは戦争と無縁ではいられないんだ。 続きのブログで書くつもりだけど,化学,物理学を学ぶ時に,神様のような存在である ウェルナー・ハイゼンベルグ もナチスドイツに原子爆弾の製造を提案したんだそうだよ。このため,彼を暗殺すべく追いかけたアメリカの諜報機関に付け狙われ,結局,イギリスの田舎に匿われ,その一生を終わったと聞いています。 そんなことを言えば,ルーズベルト大統領に原爆を開発するように進言したアインシュタインだって同罪だよね。 残念ながら,話はここで終わらないんだ。実際には,もっと厄介で深刻な問題に人々は悩まされることになるんだ。 続編にいろいろ書くつもりだから,ぜひ読んでください。 ブログ執筆にあたっては,宮田新平『毒ガス開発の父 ハーバー』,インターネットの記事などを参考にさせていただいた部分があります。記して感謝の意を表します。
by yojiarata
| 2016-04-24 21:30
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