人気ブログランキング | 話題のタグを見る

人 と 言葉  永井荷風:断腸亭日乗を読む  巻の八




昭和19年 つづき



九月廿九日。


快晴。便秘末治せざれば午後土州橋の病院に行く。院長いつもの如く外診にいそがしく出でて帰らずと云。

漫歩箱崎を過ぎて永代橋に至る。濁流に糸を垂れて はぜ 釣る人 あるもをかし。家にかへれば日早く没して庭暗し。やがて月の昇るを見ればその形十二三日ころなり。今年の十五夜は月よかるべし。


十月初八 日曜日。 

積雨始て霽 はれ る。 ・・・・・ 裏庭に鄰りの柿昨夜の風雨に多く落ちたり。拾ひて食うに渋なくして甘し。

世の噂に今日及十九日の両日 電話使用禁止。 犯す時は其後三日間通話差止めるなりと云。夕暮我善坊の崖に物捨てむとて宮様裏の小道に行くに崖下なる貧家の子供七八人塀を攀ぢ宮様の裏庭に忍入り椎の実を拾ひ集めて食へり。 ・・・・・ 顔色蒼白一見 欠食児童 なるを知る。麻布の町のこのあたりにては戦争以前には決して見ざりしところなり。


十月廿二日 日曜日。

朝くもりて後に晴る。

     掃庭

  百舌鳴くや竹ある崖の朝あらし

  ・・・・・

人 と 言葉  永井荷風:断腸亭日乗を読む  巻の八_a0181566_22593279.jpg


1941,2(昭和16,7)年頃 偏奇館にて
『荷風全集 第二十五巻』 より



十月廿四日。

晴れて風なし。 ・・・・・ 門外 防火演習 の人声喧し。午後より昼夜机に凴る。八月頃の月を見る。


十一月廿一日。

微雨。柳北 りゅうほく 『航薇日誌』三巻 を写し終りぬ。余が始てこの遊紀をよみしは明治卅年比岸上質軒の編輯 へんしゅう せし柳北全集の出でし時なり。

今その原本を筆写するに臨み新に感じたることは, 全文にみなぎりし哀調 しみじみと人の心を動かすものあり。また紀中に現来る人物奴僕婦女に至るまで温厚篤実なりしことなり。 過去の日本人の情愛に冨みたりし事 はアルコックの著書にも見えたる事なり。

今日戦乱の世にありて偶然明治初年の人情を追想すればその変遷の甚しき唯驚くのほかはなし。明治以後日本人の悪るくなりし原因は,権謀に富みし 薩長人 の天下を取りしためなること,今更のやうに痛歎せらるるなり。


十一月廿九日。

晴。 ・・・・・  砲声爆音轟然 として窓の硝子をゆする。窓より外を見るに東北の空虹色に染りたり。其方角より考ふるに丸の内辺爆撃せられしなるべし。砲声爆音一時沈静して再び起る。暁明に及びて始めて歇む。

夜寒くして雨歇まざれば 庭に掘りし穴 には入るべくもあらず。押入の内も寒むければ平常の如く夜着引きかぶりて臥したり。


十二月初四。

快晴。風なし。午後銀座二丁目眼鏡屋松島屋に至り 老眼鏡八度 のものを購はむとするに十六度以上の強きものはなしと言へり。今用ふるもの破損するときは読書執筆共に不可能とはなるなり。わが身の末も思へば哀れはかなきものとはなれり。 ・・・・・

[欄外朱書] 浅草公園大勝館前に昨日 高射砲破片 落ち数人重傷すと云う


十二月卅一日。

晴また陰。夜十時警報あり。 ・・・・・ 夜半過また警報あり。砲声頻なり。かくの如くにして昭和十九年は尽きて落寞たる新年は来らむとするなり。我邦開闢以来曾て無きことなるべし。是皆 軍人輩 のなすところ其罪永く記憶せざるべからず。





つづく

by yojiarata | 2015-12-23 22:22
<< 人 と 言葉  永井荷風:断腸... 人 と 言葉  永井荷風:断腸... >>