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人 と 言葉  永井荷風:断腸亭日乗 を読む  巻の九



昭和20年


正月元日。

曇りて風なし。華氏四十三度なり。この日誌も今は数重なりて二十九巻とはなりぬ。 感慨極まりなく 却て筆にはし難し。 ・・・・・ 此夜空襲なし。


一月五日。


未明警報あり。晴。寒気甚し。夜初更復警報。


一月六日。

晴。 ・・・・・ 谷崎君来書。細雪続編執筆中 と言ふ。 ・・・・・ 夜警報二回あり。


一月九日。


晴。 ・・・・・ 二時過警報あり。夜半復び 砲声 をきく。 ・・・・・ 浅草代地柳光亭の辺。下谷御徒町末広町東側。竹町西町辺。また浅草仲店も焼けたる由。


一月十一日。

員。昨来寒殊に甚し。晩間細雨やがて雪となるべし。 深更警報眠を妨ぐること 例の如し。


一月十四日 日曜日。


晴又陰無事。昼の中は掃塵炊飯にいそがし。炭もガスも思ふやうに使うこと能はざれば板塀の古板蜜柑箱のこはれなどを燃して 炭の代り とす。案外に時間を要するなり。朝十一時頃に起出で飯をたきて食し終れば一時過なり。

室内の塵を払ひ町の銭湯に行きかへり来りて茶など喫すれば日はいつか傾きまた晩飯の支度すべき頃とはなるなり。されば心のどけく読書するは晩飯の後燈火を点じてより後の事にて毎夜覚えず十二時過となるなり。

今年の冬ほど読書に興を得たること未だ曾て無し。 ・・・・・


一月十六日。

晴。朝十時警報。 ・・・・・ 又巷説によれば マニラの陥落 も遠きにはあらざるべく戦争も本年八月頃には終局となるなるべしと云。 ・・・・・


一月十七日。

晴。二三日来寒気激甚なり。 深更警報。


一月十九日。

晴。 午後警報。


一月二十日。

晴。無事。


二月初四 日曜日。

晴。寒気忍び難し。台所の水昼の中より凍りて解けず。 春の来るは今明日なるべきにこの寒さにては豆をまくとも は家の内より去らざるべし。この日警報を聞かず。


二月初五。

晴。寒ますます烈し。過日根津より団子坂辺の火災に 鷗外先生旧邸 も烏有になりし由。 ・・・・・ 今日も幸に警報をきかず。


二月初七。

晴。後に陰。朝九時警報。須臾 しゅゆ にして解除となる。


二月初九。

晴。午後警報。忽解除。


二月十日。

晴。朝十時警報。午後三時再警報あり。但東京の市街は無事なりしと云。四時過手拭片手に近巷の銭湯にて休まずにゐる処をさがし歩む。 ・・・・・ いつこの混堂も 本日休業の札 をさげたり。空しく家にかえれば日は徐ろに暮れんとす。夕焼けの空いかにも春らしくなりしが風猶寒し。

食後ドウモンド古雑誌を閲読して深更に及ぶこと毎夜の如し。 就眠後サイレン に目ざむること再度に及ぶ。


二月廿一日。

晴。午後飯倉片町の床屋に行き 理髪 せむとする時警報発せらる。去年十二月の初に刈りたる髪なれば今はのびて耳を蔽ふほどになりしが床屋の主人 警防団屯所 に行くとて出で行きたれば空しく家にかへる。木戸氏庭に佇みて待ちゐたり。

日暮阿部雪子来り 米軍硫黄島に上陸 したりとて人心恟々たりと語る。ほうれむ草麸を恵贈せらる。



 【 この年,新年から連日空襲警報が鳴り,東京は 「その日」 を迎える。】 




三月初七日。

員。正午近く警報あり。西ノ窪の混堂に浴す。 ・・・・・


三月九日。

天気快晴。夜半空襲あり。 翌暁四時わが偏奇館焼亡す。 火は初長垂坂中ほどより起り西北の風にあふられ忽市兵衛町二丁目表通りに延焼す。

余は枕元の窓火光 かこう を受けてあかるくなり隣人の叫ぶ声のただならぬに驚き 日記及草稿を入れたる手革鞄 てかばん を提げて庭に出でたり。谷町辺にも火の手の上るを見る。また遠く北方の空にも火光の反映するあり。

火星 かせい は烈風に舞ひ 粉々として庭上に落つ。

余は四方を願望し到底禍を免るゝこと能はざるべきを思ひ,早くも立迷ふ烟の中を表通に足出で,木戸氏が三田聖坂の邸に行かむと角の交番にて我善坊より飯倉へ出る道の通行し得べきや否やを問ふに,仙石山神谷町辺焼けつゝあれば行くこと難かるべしと言う。

道を転じて永坂に到らむとするも途中火ありて行きがたき様子なり,時に七八歳なる女の子老人の手を引き道に迷えるを見,余はその人々を導き住友邸の傍より道玄坂を下り谷町電車通に出で溜池の方へと逃しやりぬ。

余は山谷町の横町より霊南坂上に出で西班牙 スベイン 公使館側の空地に憩ふ。下弦の繊月 せんげつ 凄然として愛宕山の方に昇る を見る。荷物を背負ひて逃来る人々の中に平生顔を見知りたる近鄰の人も多く打まぢりたり。

余は風の方向と火の手とを見計り逃ぐべき路の方角をも稍 ようやく 知ることを得たれば麻布の地を去るに臨み, 二十六年住馴れし偏奇館の焼倒るるさま を心の行くがきり眺め飽 かさむものと,再び田中氏の門前に歩み戻りぬ。

巡査兵卒宮家の門を警しめ道行く者を遮り止むる故,余は電信柱または立木の幹に身をかくし,小径のはづれに立ちわが家の方を眺る時,鄰家のフロイドルスペルゲル氏褞袍 どてら にスリッパをはき帽子もかぶらず逃げ来るに逢ふ。

崖下より飛来りし火にあふられ其家今まさに焼けつゝあり。君の家も類焼は免れまじと言う中,わが門前の田島氏そのとなりの植木屋もつゝいて来り先生のところへ火がうつりし故もう駄目だと思ひ各その住家を捨てゝ逃来りし由を告ぐ。

余は五六歩横町に進入りしが洋人の家の樫の木と余が庭の椎の大木炎々として燃上り黒烟風に渦巻き吹つけ来るに辟易し,近づきて家屋の焼け倒るるを見定ること能はず。

唯火焔の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これ 偏奇館楼上少からぬ蔵書 の一時に燃るがためと知られたり。火は次第にこの勢に乗じ表通へ焼抜け,住友田中両氏の邸宅も危く見えしが兵卒出動し宮様門内の家屋を守り防火につとめたり。蒸汽ポンプ二三台来りしは漸くこの時にて発火の時より三時間程を経たり。消防夫路傍の防火用水道口を開きしが 水切 にて水出でず。

火は表通曲角まで燃えひろがり人家なきためここにて鎮まりし時は空既に明く夜は明け放れたり。


三月十日。

町会の男来り罹災のお方は焚きだしがありますから仲の町 ちょう の国民学校にお集り下さいと呼歩む。 ・・・・・

余は一まづ代々木なる杵屋五叟に到り身の処置を謀らんと三河台電車停留場に至りしが,電車の運転する様子もなし。

六本木の交番にてきくに青山一丁目より渋谷駅までは電車ありとの事にその言う如く渋谷に行きしが, 省線の札売場 は雑踏して近寄ること能はず。

寒風に吹きさらされ路上に立ってバスの来るを待つこと半時間余り,午前十時過漸くにして五叟の家に辿りつきぬ。一同を共に昼飯を食す。飯後五叟は二児つれ偏奇館焼跡を見に行き余は炬燵に入りて一睡す。

昨夜路上に立ちつづけし後鞄包 かばん を提げ青山一丁目まで歩みしなれば筋骨痛み困憊甚し。

ああ余は着のみ着のまま家も蔵書もなき身とはなれるなり。余は 偏奇館に陰棲し文筆に親しみこと 数れば二十六年の久しきに及べるなり。

されどこの二,三年老の迫るにつれて日々掃塵掃庭の苦労に堪えやらぬ心地するに到りが,戦争のため下女下男の雇はるる者なく,園丁は来らず,過日雪のふり積りし朝などこれを掃く人なきに困り果てし次第なれば,むしろ一思 ひとおもい に蔵書を売払ひ身軽になりアパートの一室に死を待つにしかずと思ふ事もあるやうになりゐたりしなり。

昨夜火に遭ひて無一物とんりしはかへって老後安心の基なるやまた知るべからず。されど 三十余年前欧米にて購 あがな ひし詩集小説座右の書 今や再びこれを手にすること能はざると思へば 哀惜の情 如何ともなしがたし。

昏暮五叟及その二子帰り来り, 市中の見聞 をかたる。大畧次の如し。

昨夜猛火は東京全市を灰になしたり。

北は千住より南は芝,田町に及べリ。浅草観音堂,五重塔,公園六区見世物町,吉原遊郭焼亡,芝増上寺及霊廟も烏有に帰す。明治座に避難せしもの悉く焼死す。本所深川の町々,亀戸天神,向島一帯,玉の井の色里凡て烏有となれるといふ。

午前二時に至り寝に就く。灯を消し目を閉るに 火星紛々として暗中に飛び,風声啾々として鳴りひびく を聞きしが,やがてこの幻影も次第に消え失せいつか眠におちぬ。


三月十一日 日曜日。

余の眠りし一室は離座敷にて道路にちかく往復する自動車省線電車の響のみならず通行人の話声さへ枕辺にきこえ来りて,その喧しさ堪えがたきばかりなれは,風甚寒けれど八時頃に起出でたり。 ・・・・・


三月二十日。

晴。午に近く小堀四郎氏自転車にて来り事態愈切迫したり。幸いにして其鄰人自家用自動車と貨物自動車との家財を積載せ信州上諏訪茅野といふところに避難の支度中なれば,小堀氏も妻子を伴ひ其車に乗りおそくも此月末までに東京を去るつもりなり。余にも東京に未練を残さず共に 避難 せよ。汽車には最早や乗り難し。

若しこの機会を逸する時は遠からず東京にて餓死せずば焼死するより外に道なかるべしと言ひ,手を取らぬばかりに説きすゝめられたり。 ・・・・・

余は老病の身の貨物自動車にゆられ 遠路を疾走すべき体力 なきを知れり。縦令人に手を引かれ扶けらるゝとも徒歩するに若かじと思ひ,小堀氏の厚意を辞することに決意し,折から来合せたる金氏と共に出でゝ夜十一時寓居にかへる。半輪の月空に或り。


三月廿二日。

曇りて南風激しく塵烟濛ゝたり。午後市兵衛町焼跡に至り町会事務所を訪ふ。 ・・・・・ 郵便物及び町内有志者より罹災者への見舞金を受納す。一世帯につき金一百円。東久邇宮家より別に金五円を恵まるゝなり。


三月廿四日。

朝九時サイレンの響 に驚き覚む。風寒きこと二月に似たり。夜半また警報あり。


三月廿六日。

晴。寒邪咳嗽 がいそう 甚し。 ・・・・・



つづく

by yojiarata | 2015-12-23 22:21
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