ご隠居さん 永井荷風のファンだったの? ファンというのとは,ちょっと違うんだ。極めて興味ある人物であることは確かだけどね。 それでは,まず,永井荷風が一体何者で,ご隠居さんが荷風のことをどのように考えておられるか,このブログで荷風を何故取り上げるのか,そして,何を書こうとしているのかを簡単にまとめてください。 可能な限り,記事に客観性をもたせるため,荷風の日記 【断腸亭日乗】 から引用するかたちで,この方の人となりをまとめてみます。なお,断腸亭は荷風の別号,日乗とは日記のことです。 永井荷風,本名 永井 壮吉(ながい そうきち,旧字体:壯吉)。(1879-1959,享年七十九)。 永井荷風は,一体何を変えているんだか,どこまでが本気で,どこからが冗談か分らない ” 奇人” です。文化勲章を受章した時(1952),動いている荷風をテレビではじめて見ました。” これからは,浅草に行かず,仕事に励む” とかなんとかいっていたけれど,意地悪爺さんという感じだったね。 荷風は,自分でもそのことがわかっているんだよ。 40歳の大正七(1918)年 の日記に,自他共に認める 偏屈な自分 を,荷風自身が次のように語っています。 【 正月七日。山鳩飛来りて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必ただ一羽わが家の庭に来るなり。 ・・・・・ されどわれはこの鳥の来るを見れば,殊更にさびしき今の身の上,訳もなく唯なつかしき心地して,在時は障子細目に引あけ飽かず打眺ることもあり。 在時は暮方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど決して人に馴れず,わが姿を見るや,忽羽音鋭く飛去るなり。 世の常の鳩には似ずその性偏屈にて離れ孤立することを好むものと覚し。 何ぞ我が生涯に似たる の甚しきや。】 荷風は, 多種多様な病気 を抱えていたようです。それを,少々大げさに日記の方方に書いています。 大正九年5月七日。 霖雨歇まず。 腹痛あり。 懐炉を抱く。 ・・・・・ 大正九年五月廿三日。 この日麻布に転居す。母上下女一人をつれ手つだひに来らる。麻布新築の家ペンキ塗りにて一見事務所の如し。名づけて 偏奇館 といふ。 大正九年五月廿四日。 転居のため立働きし故か, 痔いたみて 堪がたし。谷泉病院遠からざれば赴きて治療を乞ふ。帰来りて臥す。・・・・・ 大正九年五月廿六日。 毎朝谷氏の病院に赴く。平生 百病 断えざるの身,更にまたこの病 を得たり。 荷風と,母が同居している弟・威三郎の仲は最悪の状況にありました。その顛末は,昭和十二年四月三十日 の日記に詳述されています。 昭和十二年三月十八日。晴。 ・・・・・ 家に帰ると郁太郎より手紙にて,大久保の母上重病の由を報ず。母上方には威三郎の家族同居なすを以て見舞にゆくことを欲せず。 ・・・・・ 余は余丁町 よちょうまち の来青閣を去る時その日を以て母上の忌日 きにち 思ひなせしなり。当時威三郎の取りし態度のいかなるかを知るもの今は唯酒井晴次一人のみなるべし。酒井も久しく消息なければ生死のほども定かならず。 昭和十二年九月九日。 哺下雷鳴り雨来る。酒井晴次来り母上昨夕六時こと切れたまひし由を告ぐ。酒井は余と威三郎との関係を知るものなれば唯事の次第を報告に来りしのみなり。 葬式は余を除き威三郎一家にてこれを執行するといふ。 ・・・・・ 雑司ヶ谷墓地永井氏塋域 えいいき に葬す。享年七十六。追悼。 泣きあかす夜は来にけり秋の雨。秋風の今年は母を奪ひけり。 荷風は 浅草病 に感染したような人物です。浅草公園六区は,荷風にとっての安息所だったようです。あとで出てきますが,例えば,昭和17年の日記 (七月廿一日) に, 浅草はいかなる世にも面白をかしきところなり。 と書いています。 例えば,昭和二十六年 の日記を見ると, 正月初二。晴。 夜浅草。に始まって,正月初四までの 「甚寒しの」 2日間を飛ばして,初七,初九,十一日,十七日,十八日,二十日,廿四日,廿五日, ・・・・・ 雨の日,体調不良の日以外は 浅草詣 です。 文化勲章受章 の後も,浅草詣は全く止んでいません。 私は,荷風の書く小説は,好きになれないけど,随筆は天下一品ですね。とくに,三十八歳から七十九歳 (死の前日)まで,四十二年にわたって,ほとんど欠けることなく書き続けた日記 【断腸亭日乗】 は素晴らしい。何しろ,文章がすごいですよ。 【断腸亭日乗】 は,今に至るも大勢の読者の興味を惹きつけているのも理解できます。 荷風全集(岩波書店)に,全編が収録されています。断腸亭日乗 第一巻 - 第六巻 (1993-1995)。日記原本。校異,脚注などを含めて,断腸亭日乗の完全版といえるものです。現在,岩波書店が新版を刊行中です。 新版 断腸亭日乗 第一巻 - 第七巻(岩波書店,2001-2002)。 摘録 断腸亭日乗(上),(下)(ワイド版 岩波文庫 21,22,1991)。 永井荷風日記 第一巻 - 第七巻 (東都書房,1958-1959)。[生前の公刊本 中央公論社版の復刻] どれも,私の書庫に並べてあります。時々,ふと,どれか一冊を引き出して,パラパラと目を通すんだ。 ![]() 面白いから読んでご覧といっても,大長編ですから,すぐに投げ出されると,もったいないという気がします。 世の中には,” 永井教 ” の信者が少なくありません。例えば, 大野茂男 『荷風日記研究』 (笠間書院,1976) [全 491ページ] などは,すごいですよ。 神田・神保町の古書店をのぞきながら,ふらふら歩いていて,たまたま一誠堂でこの本を見つけて,直ちに購入しました。 本のあとがきに,大野茂男は次のように書いています。 【 私と荷風との結縁は,一編の卒業論文にはじまる。 ・・・・・ マニアを読者にもつ作者が荷風に限ったことではないのはもちろんだが,荷風には,無声の,しかも他の作者には余り縁のない素人(つまり文学青年や文学老年でない)のマニアの多いことを痛感する。 「無声」でも「素人」でもないが,昭和三十四年六月以降今日に至るまで,「荷風研究」という機関誌を,年四回律儀に,しかも損得の計算を離れて,百数十名の読者に送り続けている種田氏の如きは,マニアの域も越えて, 荷風宗の殉教者 と言えるだろう。 岩波書店版と中央公論社版の日乗を校合し,また岩波版の日乗に現れた人名の索引を作製した私なども,他人から見たら救い難いマニアであろう。 】 私は荷風教の信者でも,殉教者でもないつもりだけど,種田,大野両氏のことは十分に理解できる気がします。何事によらず,一つのことに食いついて突進する人は好ましく思うからです。
by yojiarata
| 2015-12-23 22:30
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