阪神甲子園球場  高校野球選手権大会の今昔





◆ 野球少年の巻


私は,中学生の頃からの野球少年です。つまり,超後期高齢者の野球少年です。


野球に初めて接したのは,NHKラジオの中継です。始まりは,京都二中,田丸君。


戦争で,岡山市の家を焼け出され,母の実家の岡山市郊外の田んぼのなかに居候して,一里あまりの道を歩いて中学に通い始めた頃です。往復8キロ以上の道を毎日歩いて中学に通い,夏休みには,毎日,午後は,近くの旭川で泳いでいたのが,超後期高齢者になった今も,何とか生き永らえているエネルギーの一端になっているのかもしれません。


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1946年,戦後初の大会に出場した京都二中のエース・田丸道夫君 【写真は共同】



親子鷹のハシリともいえる田丸道蔵監督・エース田丸道夫のコンビを中心に成田中(千葉),桐生工(群馬),鹿児島商(鹿児島),下関商(山口)を撃破。決勝では,浪華商(大阪)に0対2で敗れたけれど,朝日新聞記者の飛田穂洲が 「平古場(昭二/浪華商のエース)を相手にここまで戦い得たのは京都二中以外になかったであろう」と賞賛した準優勝だったよ。


京都二中     0 0 0 0 0 0 0 0 0   0

浪華商      0 0 0 0 0 1 0 1 X   2

(京) : 田丸 - 金森
(浪) : 平古場 - 広瀬

審判: 球審 浜崎,塁審 伊達・牧野・弘世


平古場投手は,我ら野球少年にとって,神様のような存在だったんだ。神様は,2007年8月12日,香川県小豆島で ひっそりとお隠れになられた。 享年79。


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◆ 球友・中村泰男君の巻


中村君は,60年近くに亘る球友です。野球のことになると,会話スタート後,直ちに話が通じます。


その中村君からメールが届きました。


あんなに好きだった高校野球も,最近はほとんど見てません。昨日の興南-関東を途中から見たのが今夏最初の甲子園です。ものすごく技量が発達し,なんだか別世界の野球のようです。へたくそ感のなくなった高校野球は寂しいです。


地方大会では,公立の熊谷(=浦高のライバル,ちなみに私の代では春ベスト16だが,2回戦で浦高がコールド勝ちした)がベスト8,松山がベスト4,ノーシードの白岡 (実家のある蓮田の隣町) がプロ高校野球の浦和学院を破って決勝進出と,幾分意外性が残っていますが,最後はプロにやられてしまいますね ・・・・・ 浦高も 3回戦まで行けば応援に行くのに ・・・・・ 



私も,中村君の意見に賛成です。

技術が物凄く向上し,プロ真っ青のプレイが出るかと思えば,つまらないエラー,フォアボールなどで失点してゲームが決まってしまうんだ。例えば,準々決勝の4試合,結果だけ見ると,どの試合も1点を争う好ゲームであるかのような印象だけど,やはり,中身は薄いんだよ。



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私がこれまでにこのブログに書いた記事から。


枯葉

木枯らしといえば,二葉あき子さんの 『別れても』 を思い出す。


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前にも書いたが,私の中学生活は,明けても暮れても,野球とともにあった。戦災で焼け出され,母の実家のある田舎の家を早朝6時にでて,一里(約4キロ)のまだ暗い道を歩いて,入学したばかりの中学に行く。中学と言っても,全焼して校舎はなく,グランドはやけに広かった。仲間が大勢集まっている。授業が始まるまで,布で作ったボールと竹のバットで野球。授業が終わった後は,また野球。薄暗くなってから,田舎の道を歩く。木枯らしの頃の寒さは格別だった。家に駆け込み,コタツに潜り込む。


「空になる凩,雨戸うつ吹雪 ・・・ 」 は,まるで子守唄のように,野球少年だったあの頃を思い出させる。


ほかにも,『水色のワルツ』,『夜のプラットホーム』などを遺した二葉あき子さんは,今年8月16日,心不全のため他界された。今の世にはもはや存在しない上品で透明な声の歌い手だった。




野球少年 正岡子規の巻


小雨の丘


野球少年 甲子園の一球の巻


野球少年の記憶 土井垣武





by yojiarata | 2015-08-24 22:25
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