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王さんの甲子園  遠い記憶





王さんの始球式,実に見事だったね。78歳であのストライクですからね。


王さんと甲子園といえば,必ず思い出すことがあります。あれから,60年近く経つけど。


1年生の秋よりエースとなる。久保田高行総監督・宮井勝成監督の指導のもと,ノーワインドアップ投法を身に付け,投球に安定感が増した。春の甲子園で準決勝まで 3 試合連続完封。高知商業高校と対戦した決勝戦では,8回 に3点を奪われて4試合連続完封を逃したものの,5対3 で完投勝利し,優勝を果たす。・・・・・・


2年夏の甲子園では 2 回戦の寝屋川高校戦で延長11回を完投し,ノーヒットノーランを達成。延長戦でのノーヒットノーラン達成は,甲子園では春夏を通じて唯一の記録である。後年,王は「高校2年の頃が投手としてピークだったと思う。この後バッティングは良くなっていったけど,ピッチングはどことはいえないが,どこかおかしくなっていった」 と語っている。


・・・・・


3年生時の選抜大会では打者としても活躍し,30年ぶりとなる2試合連続本塁打を放った (なお、当時の甲子園球場はラッキーゾーンはあったが,高校野球も木製バットを使用していた。金属バットの使用が認められるのは1974年からである) 。


3年生の夏は、東京都大会の決勝戦で明治高校と対戦,1 対1で迎えた延長12回表に4点を奪いながらその裏に5点を奪われて逆転サヨナラ負けを喫し,5季連続の甲子園出場は果たせなかった。この時,早実の野球部長の音頭により,甲子園本大会に向けて大阪に出発する明治高校ナインを早実野球部員全員で東京駅にて見送った。



以上の記事は, ウィキペディアの記事 そのものなんだけど,どうも私の記憶と重要な点が違うんだよ。



私の記憶 


余りにショッキングな敗戦を喫したにもかかわらず,翌朝,王さんは ただ一人 東京駅に出かけ,明治高校ナインを見送ったんだ。このことを新聞記事を読んだとき,私は大変感銘を受け,この人は只者ではないと思ったんだ。その後のことは,日本人なら誰もがよく知っていることです。


本来なら,国立国会図書館に行って当時の新聞をチェックするところだけれど,残念ながら,私は,超後期高齢者のため,足腰不如意でそれが出来ないんだよ。だけど,私は,私の記憶に間違いはないと信じています。


ちなみに,王さんは,8月7日の朝日新聞のスポーツ欄 王貞治さんと見る 高校野球100年 の記事 によると,次のように言っておられます。


僕は3年生の夏に甲子園に出られなかったけど,5回目も出ていたら人生は変わっていたと思う。出なかったからこそ,今の野球人生があるのだと思います。試合に負けた悔しさが,次のステップに向かって頑張ろうという気持ちにつながったと思うんです。


王さんは,やはり途轍もなく凄い人ですね。





おわり

by yojiarata | 2015-08-09 22:23
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