それでは,ご隠居さん自身のお考えを聞かせてください。 国家プロジェクトの成り立ちと問題点 文部科学省は,自らの管轄下にある理研で,極めて広い分野にわたって,様々な 国家プロジェクトを立ち上げ,巨額の予算を注ぎ込んでいます。 ところが,この国家プロジェクトなるものが,日本の国公立・私立大学などの研究組織などには見られない,理研独自の世にも不思議なものです。 話を具体的にするために,2002年4月から2007年3月までの5年間実施された タンパク 3000 プロジェクト を取り上げます。 様々な切り口で,この巨大プロジェクトを徹底的に分析すれば,プロジェクトの実像,延いては,プロジェクトの舞台となった理研の 「実像と虚像」 が浮かび上がってくるはずです。 何故,タンパク 3000 プロジェクトを取り上げるのか。 研究分野が私自身のそれに近いこと,プロジェクトの進行当時,不肖・私がプロジェクトの総責任者である和田昭允・ゲノム科学総合研究センター(GSC)所長のアドバイザーを務めていたのがその理由です。 このプロジェクトの研究費の大半は,NMR分光計の購入に使われる I T 技術などの進歩によって,実験科学の分野の研究法が大きく変化,進歩してきました。そのうちの一つが,実験に使う高性能の高額機器の導入です。 タンパク 3000 プロジェクトの特徴は,研究費の大半を,高額の 核磁気共鳴(NMR)分光計 が占めていることです。NMR分光計は,(種類にもよりますが),当時の価格で,1台につき1億円と考えておいてください。 ちなみに,私が現役の頃の1900年代に終わり頃には,装置は未だ十分に進歩していなくて,価格が1台数千万円でした。我々研究者にとって,そのための予算を獲得するのが夢でした。当時は,特別推進研究を申請し,一生に一度の機会を生かすべく努力したものです。私も,大阪大学薬学部の冨田謙吉教授(故人)と共同で,当時の最高機種であった600MHz分光計を申請しました。ヒアリングの場で,申請した研究の必要性を熱烈に訴えましたが,敢え無く落選しました。 その時の審査委員長は長倉三郎・東大名誉教授,2名の審査員のうちの一人が,野依良治・名古屋大学教授(当時)でした。今にして思うと,因縁を感じます。非常勤顧問として理研に存在していた頃,野依良治・理事長(当時)のオフィッスを,両三度訪ねて,愚見を申し述べましたが(後述),理事長は,あの時の私の 「熱演・討ち死」 の顛末をよく覚えておられました。 あの頃に比べますと,タンパク 3000 プロジェクトにおける研究費のモンスター化に驚くばかりです。 聞いたところでは,後にこのプロジェクトのプロジェクト・リーダーとなる彼の人は,理研の理事会で,NMR分光計を100台導入するという,奇想天外な案を提出し,熱弁を振るった結果,理事会の承認を得たということです。和田昭允・GSC所長(当時)も,あの厳しい理事会を突破したのだからスゴイと感心しておられました。 「栴檀は双葉より芳し」 といいますが,この詞は,彼の人のためにあるようなものです。 内閣府(後述),文部科学省もさすがに驚いたらしく,結局,台数は10分の1に削られました。それにしても,当時の常識から言って,物凄い偉業だったのです。 現在,化学や生物化学で利用されている NMR は,戦後すぐの頃,アメリカで誕生しました。NMRはその後,読者がよく御存じの MRI に変身し,医療の現場に革命を起こしました。 NMR,MRIの研究によって,何人もの研究者がノーベル賞を受賞しています。ここで話題にしているプロジェクトの国際評価委員会のメンバーにはその内の一人 Kurt Wüthrich 博士 (2002年ノーベル化学賞受賞)が加わっています。 ここで議論の対象となる一大国家プロジェクトは,3000 種のタンパク質の立体構造を,NMRを用いて決定するのが目標です。 タンパク質の立体構造を決定する手段としては,X線結晶解析法が,古く1950年代に確立しています。これに加えて,Wüthrich 博士によって確立されたNMRを用いる方法があります。この方法では,水溶液中のタンパク質の構造を決めることが出来ます。 何故 3000 なのか? 「タンパク 3000 プロジェクトの産んだもの」 (蛋白質 核酸 酵素 2008年 4月号)の冒頭の記事 中村春木・月原冨武 特集にあたって の 597ページ から 引用します。 このプロジェクトは,2001年9月に総合科学技術会議が研究開発目標のひとつとして定めた” 蛋白質構造・機能解析 ” を具体化し,30% 以上の配列相同性をもつ 蛋白質集団として定義される ” ファミリー ” の代表構造(当時は,ファミリーの総数は1万個程度と推定されていた)を国際協力によって決定するため,その3割程度の寄与 (1万個の3割で3000個の構造決定を行なう)を努力目標とした国家プロジェクトである。 しかし,NMRには限界があります。タンパク質分子が大きくなるにつれて,NMRによる解析が困難になるのです。他にも,数々の問題点があるのですが,この点については,この記事の後半で,徹底的に議論します。 以上の諸点を念頭に置いて,次に進んで下さい。 まず,すぐ上に紹介した「特集号」から始めましょう。プロジェクトの成果が,プロジェクトに参加した研究者全員によって書かれています。 タンパク 3000 プロジェクトの産んだもの 蛋白質 核酸 酵素 2008年 4月号 (共立出版) 不肖 私も,一文を寄稿 しました。そこの書いた私の考えは,今に至るも全く変わっていません。 私が執筆した 647 ページを御覧ください。 【報告書(筆者注:今や,この世に存在しません,後述)を読む限り,プロジェクトとはおよそ縁のなさそうな研究室が少なからず含まれているのが気になる。ある大学教授はつぎのように語ったという。 「研究費を確保できるので,違和感を覚えつつ多くの研究者が参加した。皆で 毒まんじゅう を食べた」 (2007年9月28日付,日経産業新聞 朝刊10面】 この特集号を子細に見ると,子供のおもちゃ箱のようです。いろいろ書いてあるけれど,理研で行われた研究を除くと,このプロジェクトに直接つながる研究はごく僅かで,このプロジェクトに参加させてもらって,研究費の恩恵に浴した研究者が大半を占めます。率直に言わせていただければ。 研究成果の報告書が,ネット上から消えた プロジェクトの終了後,2007年9月に,理研からの報告に基づいて,文科省が早々と作成した 492ページにおよぶ長大な報告書がウェブに掲載されました。 http://www.mext-life.jp/protein/evaluate2007/ このサイトは消去されていて,今やこの世に存在しません。こういう重要な報告書は,速報性を重んじ,すぐに消すことの可能なウェブに加えて,何らかの方法でアクセスできるようにしてもらわないと困ります。 やったら,やりっぱなし,これでやれやれ安心と胸を撫で下ろす人もいれば,温故知新,日本の将来に思いを馳せる人もおられるに違いありません。それに忘れてはならないのが ” 無関心層 ” の存在です。選挙の時と同じです。自分には関係ない,どうでもよいというわけです。 このブログ全体を通じて私が伝えたいのは,理研においては,その組織と予算を適正に生かすには,柔軟なコ ミュニケーションの体制を創り上げることが本質的に重要であるにもかかわらず,現実はそれとはほど遠いものであったということです。 誰の責任かと問えば,社会の常識では,理研の理事長 ということになるのでしょう。しかし,実際には,問題はそれほど単純ではありません。 筆者追記(平成27年4月20日) 理研の情報公開窓口の方から,文科省が消してしまった報告書を,ウェブで読むことができる ことを知らせていただきました。 現時点で,私が手にしている情報はこれだけです。 以上述べた点を考慮し,このプロジェクトのそもそもの成り立ちに立ち戻って議論する必要かあると,私は判断しました。巨額の税金が使われているんだから,国民にとっても,無関心で済ますことができない,大問題ですからね。 以下,私の知る限りのことをもとに,議論を進めます。理研側の資料が必要なので,現在,プロジェクトの立案からプロジェクトの終了に至るまでの研究の流れ,研究の成果,評価について プロジェクト・リーダー,理研の理事長,理事をはじめ執行部によって,どのように記録しているのかについての情報公開を申請しています。資料が送られて来たら 「巻の七」 に掲載します。 巨大プロジェクトのスタート 総額 535億円が投じられたこのプロジェクトは,2001年9月,内閣府によって運営されている総合科学技術会議(座長,内閣総理大臣)が,研究開発目標のひとつとして定めた” 蛋白質構造・機能解析” を具体化するための方策の一つとして,この世に生まれたものです。 この会議で一体何が議論され,何が,どのように決まるのかに疑問をもった私は,内閣府がウェブ・ページに公開している資料を徹底的に調べました。その結果は,拙書 荒田洋治 『日本の科学行政を問う 官僚と総合科学技術会議』 (薬事日報社,2010) に詳述しました。 私の率直な感想を述べれば,これは,官僚の用意した「書類」を囲む 政治家と官僚たちの雑談の会です。凡そ,真面目なサイエンスの議論とは言えません。これが日本のサイエンスを動かしている組織かと思うと,暗澹たる気持ちになりました。 タンパク 3000 プロジェクトが,このような土壌から生まれたことを強調したうえで,これからの私の議論を読んで下さい。以下の記述は,私が理研で非常勤顧問を勤めていた 2000-2005年 に見聞したことが基になっています。 巨大プロジェクトはどのように進行したか ① 文部科学省の認可がおり,理研でプロジェクトが始まった後は,プロジェクト・リーダーが,実質的にすべてを取り仕切る。 ➁ プロジェクト・リーダーは,何名かのグループ・リーダーを配下に置く。グループ・リーダー達は,プロジェクト・リーダーに指示された筋書きに従って研究を行う。 ③ プロジェクトの状況については,ひと月に一回開かれるGSCの全体会合(座長,和田昭允GSCセンター長)に報告される。この会は,GSCに関するすべてが話題にされる。この会には,アドバイザーの私も出席するように求められが,何が決まるという代物ではなく,例えば,研究所内の自動車の速度制限なども話題になる,雑談の会。 ④ 別に,GSCのすべてのプログラム・リーダーの会があるようです。この会には,私は,無論出席していませんから,何が議論されているかは知りません。これは,私の推測ですが,自分のプロジェクト以外の研究については,おたがいに口出しはしない慣わしのようです。 ⑤ お金をどのように使ったかは,それぞれのプロジェクト・リーダーから,理研・事務部を通じて,文部科学省に報告されます。 一言でまとめると,それぞれのプロジェクトは,完全な独立国家で,やろうと思えば,予算の範囲であれは,プロジェクト・リーダーの意のままに如何なることも実行可能です。 突拍子もない喩えになるのですが,安倍内閣の政治のようなものです。手続きはちゃんと踏まれているから,外から文句のつけようがないし,絶対多数の独裁政権だから,その気になれば,自衛隊の海外派遣でも,戦争でも,何でもできるのです。 理研のことを考えていると,ふと,現在の安倍政権のことが頭に浮かぶことがあります。「巻の三」から後も,突然脱線するかもしれませんが,驚かないで下さい。
by yojiarata
| 2015-04-18 23:55
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