東京ローズ   太平洋戦争 と 日系アメリカ人



ご隠居さん 今日は一体何を書くつもり。東京ローズとは何ですか。聞いたことが無いですね。



***


ま,そう焦らずに,ゆっくり話を聞いてよ。

と言ってみたけど,今から70年以上も前のことだから,君は未だ,この世に存在していないし,太平洋戦争の悲劇が,人々の記憶から消えつつあるしね。

戦争が始まる前,12万人もの日本人が,職を求めて,アメリカ に移民したんだ。これから二つの話題を取り上げるけど,どちらも,アメリカに移住した日本人の家族についてです。移民後に生まれた2代目,3代目の家族は,アメリカの市民権を取得したアメリカ人です。



東京ローズの巻



先月の1月21日の午後10時から,NHKテレビで放送された 歴史秘話ヒストリア 【太平洋戦争のラジオ・アイドル 東京ローズ】 を観たんだ。


以下,その内容を要約するよ。


太平洋戦争に参戦したアメリカ兵は,東京発のラジオ 「ゼロ・アワー」 に夢中になっていた。放送局は,ラジオ・トウキョウ (現在のNHK)。「ゼロ・アワー」では,かなりの時間がジャズに割かれていたんだけど,放送の中では,アメリカ兵に話しかける女性の甘い声が流れ,ホームシックになるアメリカ兵も出始めたんだ。アメリカ兵たちは,DJの女性を 東京ローズ とよんで,日本からの彼女の放送を聴くため,ラジオに噛り付いていたんだ。


事態を重く見たアメリカ政府は,東京ローズのことを徹底的に調べたんだ。

その結果,

1) 東京ローズに該当する女性は,少なくとも,二人いる

2) アメリカ当局が確認した女性は,アイバ・イクコ・トグリ (アメリカ国籍を有する日系アメリカ人)

3) 彼女の両親は,山梨県から,アメリカ・カリフォルニア州に移民した日本人夫婦である



アイバは,太平洋戦争の始まる直前,山梨県に住む両親の故郷を訪ねることになりました。家族の一人の病気のお見舞いにね。これが彼女のその後の運命を決めたんだ。


アイバが山梨県にいる時,太平洋戦争がはじまり,彼女は,” 祖国 ” アメリカに帰ることが出来なくなったんだ。彼女は生計を立てるため,「ゼロ・アワー」 に出演し,その結果,心ならずも戦地のアメリカ兵をホーム・シックにさせることに貢献することになりました。


太平洋戦争終結後の1949年,彼女は逮捕,母国であるアメリカ に強制送還され,アメリカ に対する反逆罪で裁判にかけられたんだ。陪審員12名はすべて 白人。評決は有罪。禁錮10年,罰金10,000ドル,アメリカ国籍剥奪。

模範囚として,6年余りで釈放,両親の住むシカゴ に帰り,余生を送ったと記録は伝えているよ。

その後,アメリカ政府は,日系アメリカ人に対する差別が間違いだったことを公式に認め,1977年,アイバの特赦が決定,27年ぶりにアメリカ市民権を回復,2006年,彼女の貢献を高く評価したアメリカ退役軍人会から表彰を受けた。

その8か月後,アイバはアメリカ人として,波乱の一生を閉じたんだ。享年 90。


アイバの裁判が行われていた丁度その頃,彼女の両親は,カリフォルニアの日系アメリカ人・強制収容所で辛い毎日を送っていたんだ。




***



ここまで書いてくると,私は,従妹の キヨ のことを語らなければならないんだ。



わが従妹・キヨの巻




山口県から,アメリカカリフォルニア州・ローダイに移住した私の父方の伯父一家も,アーカンソー州のキャンプで苦難のときを過ごしたんだ。

1971年から1973年までの2年間,スタンフォード大学のメディカル・センターに客員として滞在していた私は,何度がローダイを訪ねました。三人の息子のうちの一人は,アメリカ軍人としてヨ-ロッパに参戦し,アメリカ軍人として戦死しました。キヨ は,日系のアメリカ人女性,ちょうど,トグリと全く同じ立場で,話を聞いてみると,トグリ と キヨ が味わった苦しみには,大変類似点があるんだ。


*





1942年2月19日,アメリカ合衆国大統領フランクリン・ル-ズベルトは大統領令9066に署名したんだ。これによって,12万人の日系人が,アメリカ中西部に設けられた10ヶ所の

【日系アメリカ人強制収容所】

に移送されたよ。


私は,日系アメリカ人の足取りをさらに深く知りたくて,写真集 『大統領令9066』(メーシ-・コンラット,リチャ-ド・コンラット編,カリフォルニア歴史協会,1972年発行) を,スタンフォ-ド大学の書店で購入したんだ。

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本書の内容を,簡単にまとめておくよ。


ペ-ジを開くと,引き締まった顔の青年の写真がある。青年の白人の妻は,幼い子供と共に,キャンプに住むとある。生まれたばかりの女の子を抱く若い母親。志願して,23歳でアメリカ軍人となった息子と並ぶ母親。彼女はそのとき53歳。37年前,16歳でアメリカに渡ったという。軍人は,彼女の6人の子供の末っ子である。胸に手を当ててアメリカ国家に忠誠を誓う小学校の女の子達。口をへの字に結んで,孫と移送を待つ老紳士。胸に移送のための札が見える。


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両親とともに,日系アメリカ人強制収容所に送られる少女



銃を肩にしたアメリカ軍人のあとに,子供達を先頭とする人々の列が続く。キャンプの入口には,

【日系人収容センタ-につき立入禁止】

の立て札が立つ。はてしなく広がる砂漠に並ぶ仮説住宅。そこにはためく星条旗が奇妙に鮮やかである。頭をたれて煙草をふかす男。雪解け水で泥沼と化したキャンプを行く青年。砂漠でポツンと行われる葬儀。住宅の中に置かれた仏壇は,日本と何も変わらないのが悲しい。

新聞の切り抜きやポスタ-の写真も胸に突き刺さる。「カリフォルニアからジャップ全員の追放近し」の新聞の大見出し。移住命令を貼り出すアメリカ兵。「アメリカ人農夫を求む ジャップは不要」。「ジャップ立入禁止 ねずみ野郎」。戦争が終わると日本人が戻って来るという噂に「ジャップは永遠に帰って来るな」のポスタ-を指さす理髪店の主人。「ジャップ一人をやっつけるのに,8トンの物資がいる」とサザンパシフィック鉄道が大きな看板を掲げている。 「十万人のジャップが,これで西海岸から,追い払われた」と報じる,1942年5月20日付けのサンフランシスコ・クロニクル紙。「14対1で,南カリフォルニア住民は,日本とかかわりのあるすべての人間を,アメリカから追放することに賛成した」とのロサンゼルス・タイムスの世論調査を報じる新聞。

ともあれ,12万の日系人はキャンプに送られた。主が去ったあとの空き家の雑貨店のガラスには,英語で「永年のご愛顧に深謝 またいつの日か会いたし」の貼り紙がある。店先には,天顔水のびんが写っている。何年も続いた八百屋さんのドアには,I AM AN AMERICAN の大きな紙が貼られている。


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家の主が強制収容所に送られた後,空き家になった店



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山口県から移住した私の父方の伯父一家も,アーカンソー州のキャンプで苦難のときを過ごしたんだ。三人の息子のうちの一人は,アメリカ軍人としてヨ-ロッパに参戦し,アメリカ軍人として戦死したよ。

キヨ は,私が直接話を聞いた限り,アイバとは違って,アメリカの不利益になることをしたわけではないんだけど,実際には,仕事をするうえで,人種差別など,大変な苦労をしたようだよ。色々聞いたんだけど,多くを語ってくれなかったよ。想い出すのも不愉快なことばかりだったんだろうね。




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書いていて一つの疑問が残ったんだ。それは,同じアメリカの対戦国であったドイツ,イタリアには,日系アメリカ人を対象とした非人道的な措置がとられることはなかったということだよ。

















































































































































by yojiarata | 2015-02-05 11:53
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