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ポリウォーター伝説再訪  STAP 細胞に想う   巻のⅡ




1960年代,水を巡って,サイエンスの世界を揺るがす大事件が起きたんだ。ポリウォーターを巡る一件です。

水ほど,単純に見えて,複雑怪奇な物質も珍しいよ。ポリウォーターの一件は,水のもつ特異な性質を抜きにしては考えられないよ。



伝説の発端



ポリウォ-タ-とは何かを知るには,ある高名な無機化学者 (日本人) が日本化学会第23年会(昭和45年4月,東京)で行った特別講演 「異常水-オルトウォ-タ--ポリウォ-タ-」 の要旨を見るのがてっとり早いよ。以下,その冒頭の部分を原文のまま引用します。


ソビエトの有名な コロイド化学者B. V. Deryagin は1966年のFaraday SocietyDiscussion 誌上に論文 ”Effect of Lyophilic Surface on the Properties of Boundary Liquid Film” を発表した。この報告の内容はその地味な表題にかかわらず 画期的なものであった。


彼の発見は径 5-20μ の石英の毛細管中に気相から凝結した水が毛細管の外に出しても,通常の水と全く異なった性質をもつことであった。Deryagin によれば,この異常な性質をもつ“異常水” こそ真に熱力学的に安定なH2O-orthowater であって,普通の水は熱力学的に準安定な metawater とよばれるべきものである。




B. V. Derjaguin



ソ連科学アカデミー物理化学研究所の重鎮B. V. Derjaguin は,
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1960年代のはじめ頃から,通常の水 water I とは性質が全く異なる water Ⅱ について,ソ連の雑誌に次々に論文を (ロシア語で) 発表していたんだ。これが,上の講演要旨で “異常水” とよばれているものです。


現在われわれが手にしている水は,決して永遠に存在するものではなく,界面に接触することによって,何らかの力が働き,新たな状態に移行するに違いないと考えたと,Derjaguin はのちに書いています。“異常水” が,ソ連国外ではじめて議論された要旨が,Faraday Discussions(Nottingham大学,1966年9月) に引用されているよ。
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“異常水” の示すその特異な性質は,すべてが水の常識をはるかに越える世にも不可思議なものだったんだ。

“異常水” は,150℃ を越えても沸騰しない。粘度は通常の水に比べて1桁以上高い。密度は1.4 g cm-3 に達する ・・・・


Deryaguin の発見は径 5-20μ の石英の毛細管中に気相から凝結した水が毛細管の外に出しても,通常の水と全く異なった性質をもつということだったんだ。Deryaguin によれば,この異常な性質をもつ“異常水” こそ,真に熱力学的に安定なH2O-orthowater であって,普通の水は熱力学的に準安定な metawater とよばれるべきものであるということなんだ。


ここで,話の都合上,一見とんでもないほうにハンドルを切るよ。


*



群馬県の水



群馬県の水は分子生物学に適している と信じている知人がいるんだ。東京から移ったあと,何故か実験がうまくいくと主張しているよ。


私に言わせれば,【群馬県の水は分子生物学に適している】 という 陳述の問題点は,以下の通りだね。

まず第一に,標準がない。すなわち,一体何に対してうまくいくのかが明確でない。

第二に,定量性がない。どれくらいうまくいくのか数字で表わされていない。

第三に,再現性が語られていない。ただ何となくうまくいくというのでは説得力がない。いつ,どこで,だれが実験しても,同じ結果が得られるのでなければ,真剣な議論の対象にはならない。

そして何よりも大切なことに,この陳述には 化学の裏付け がない。

だけどね,どう考えてみても疑わしいこの陳述は,完全に肯定することも,完全に否定することも困難です。



わざわざこのようなことをもちだしたのには理由がある。すでに 「巻のⅠ」 で述べたように,この世に純粋な水は存在しません。われわれが水を手にするとき,どのようなものであれ,それは水溶液なんだ。このあまりにも自明な事実を軽んじたため,過去に数々の出来事が起こった。規模からいって群を抜いているのが,ポリウォ-タ-を 巡る出来事です。



*




E.R.Lippincott



アメリカの分光学者 E.R.Lippincott は,“異常水” の赤外線吸収スペクトルが,それまでに集積されていた10万例のスペクトルのいずれとも一致しないこと,2500-4000cm-1 のスペクトル領域から,OH伸縮振動にもとづく吸収が完全に欠落していること,1595cm-1 と1400cm-1 (ダブレット)に吸収が観測されることを確かめました。

この結果をもとに,Lippincott は“異常水” を構成するHO分子の間には,F-H-F-1 における水素結合に匹敵するきわめて強い水素結合が介在していると結論したんだ。F-H-F-1 においては,フッ素原子の間の距離が短く(2.26Å),水素原子が 2個のフッ素原子の中間に位置し,通常の水素結合に比べて一桁大きい結合エネルギーをもつことが知られているからね。


ポリウォーターは,当時の人々の知的好奇心をいたく刺激し,にわかに信じがたいさまざまな構造モデルが,世界の有名雑誌 ScienceNature に続々と登場したよ。


Lippincott の論文には,構造モデル(A)が掲載されているよ。

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水素結合は通常の水よりはるかに短く,2個の酸素原子にはさまれた水素原子は両者の中間に位置し,これによって,密度の高い構造ができあがるんだ。“対称的な水素結合” をもつこのような構造は,水が石英の表面に接触することによって作られると Lippincott は書いています。


Lippincott は,“異常水”は a true polymer of water であると言い切り,それをポリウォーター(polywater)と命名したんだ。


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J.P.Bernal と R.H.Fowler



ポリウォーターの出来事の一部始終を克明に記述したFranks の著書にはJ.P.Bernal とDerjaguin との間でかわされた会話(1968年,ロンドン)が,録音テ-プから再現されているよ。Bernal は,Fowler とともに,液相の水に関する最初の本格的論文を1934年に発表した J.P.Bernal その人です。

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Bernal: In my opinion this is the most important physical-chemical discovery of this century.

Derjaguin: I am very glad to hear you say this. I would like to ask you something. Would it be possible for you to write something later about your opinion on the significance of this work, as you are the principal specialist on the physics and chemistry of water? It would be very important for me to get such an estimate.

Bernal: I will be glad to do this. But I would like to ask another question. In your view, what is the biological importance?




ポリウォーターをこの世ではじめて手にしたのは,モスクワの北東190マイルの小都市 Kostroma にある技術研究所の物理学者 Nicolai Fedyakin なんだ。毛細管に閉じこめた液体の物性を研究していたFedyakin の実験結果は,モスクワの重鎮 Derjaguin の興味を引くところとなり,30人以上の研究員を投入したDerjaguin の一大プロジェクトとして吸収されてしまったんだ。Fedyakin にとって,よかったのか,わるかったのか,わからないんだけれど,今日,ポリウォーターといえば,誰もが Derjaguin の名を思い浮かべるよ。





つづく

by yojiarata | 2015-01-03 21:25
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