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第十五話  セレンディピティー





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セレンディピティーなる詞が,ひろく使われるようになったのは,そんなに古いことではないんだ。

例えば,1970年代の初め頃,インドのボンベイ(現在のムンバイ)で開かれた学会(出席者の大部分は,イギリスとアメリカから)の特別講演で,アメリカ人の大先生が使われるまで,私はこの詞を知らなかったんだ。世の中でも,使われる機会があまりなかったとみえて,大先生は,講演の本論に入る前に,この詞の謂れを丁寧に説明されました。


念のために辞書を見ると,


セレンディピティー【serendipity】
(お伽話「セレンディプ(セイロン)の三王子」の主人公が持っていたところから)思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招きよせる力。


と説明されています。

[岩波書店 広辞苑第六版]



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「全集 8」
柳田国男宛書簡
117-118 ページ

明治三十六年十月三十一日の ‘Notes and Queries’ 9th ser., xii, 349, John Hebb なる人,一問を発す。ロンドンに頃日 “Serendipity Shop” と家号せる奇書珍画肆を開ける者あり。この名の起り如何(いかん),と。

これに対し,W.P.Prideaux 同年十一月二十八日 9th ser., xii, p. 431 に答えをだす。いわく,この語はホレース・ワルボールが創製にて,一七五四年一月二十八日,サー・ホレース・マンに送りし状にいわく,予はこれ(ある画題)を見出だせしは セレンジピチー と呼ぶべき秘法に出でたり。かって『セレンジプの三王子』と題せる小本を読みしに,これらの三王子旅行中ちょっとしたことを捉えて智略を用い種々の発見をなす。たとえば,一王子,道の左側の草,右側の草より性悪きに左側の草のみ喫(く)われたるを見て,右眼盲(めしい)せる騾がその路を通りしを言い中(あ)てたる等なり。近くワード・シャフツベリーがグレンドン蔵相方に饗せられし席上,ハイド夫人すでにヨーク公と婚せるを知れるは,ひとえに夫人の母が食卓で夫人を尊敬すること異常なるを観て推量し中てたるにて,またこの類なり。

ここにいえる小本は,一七二二年ロンドン出版,’The Travels and Adventures of Three Princes of Serendip’ という稀覯の書,この話その九-一四ページに出でたり。ただし,騾は駱駝の誤りにて,兄王子まずその一目眇(すがめ)せるをいい中て,中王子跛(ちんば)なるをいい,末王子その歯乏しきをいい中てしなり。この他にも三王子がなせる驚奇の発見談あれど,猥褻に渉れば述べ得ず,と(・・・・・)。


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熊楠按ずるに,この話古くすでに『アラビア夜譚』にあり (Burton, ‘Supplemental Nights,’ ed. Smithers, vol. x, 1864, p. 359 seqq,)。アル・ヤーメンの三王子位を争い,他国王の裁断を乞わんと共に旅行す。

途上草食いし迹あるを見,兄王子いわく,これ一側に砂糖煮,一側に酢漬を負いたる駱駝の食らうところ,と。次王子いわく,この駝一目なし,と。弟王子いわく,然り,しかしてまた尾なし,と。駱駝主,三人,その駱駝の状を言うを聞き来たり,汝ら三人わが畜を攘(ルビ,ぬす)めりとて強いて王宮へつれ行く。

王これを責むるに,三王子,われら駱駝を見しことなしという。何故に見しこともなきによくその駝の状を言いしかと詰(なじ)る。中王子いわく,道の一側の草のみ食らわれたるを見て,その駱駝の眇(すがめ)なるを知れり。弟王子いわく,駝糞,地上に円堆(ルビ,えんたい)せるを見たり,すべて駝は糞する時に尾を掉(ふ)って糞四散す,しかるに尾なければこそ地上に円堆せりと察せり。兄王子いわく,駝が跪座せし跡を見しに,一方にのみ蠅集まろ酢食を蠅忌む,これをもってその片荷は甘食,片荷は酢食と知れり,と。

しかして時代よりいえば,このアラビア譚は全く仏経より転訛し出でたるなり。この通り筆して投書せしも何故か掲載されざりしは,わが邦と違い欧州には古語の専門家多ければ,小生より前すでに同一の所見を公けにせる人ありしにや。または欧人はずいぶん自族を重んじ日本人などに功名させるを嫌う風あるから,何となく握り潰し,他人の功名に今ごろはなりおるも知れず。とにかくちと長いが,後日のため貴下へこの扣(ひか)えを上げ置く。

明治四十四年九月二十九日早朝



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筆者注
『ノーツ・エンド・キーリス』
NOTES AND QUERIES

南方熊楠が多数の英文論考を投稿したイギリスの『ノーツ・アンド・クエリーズ』誌 (以下,『N&Q』誌と略記) (1)は,文学,歴史,民俗学,語源学,地理学などを扱う総合学術誌(一八四九年創刊,週刊)であった。

この雑誌は投稿誌であり,誌面は読者同士の質疑応答で埋め尽くされ,編集部による記事は書評などに限られた。読者は文学,歴史等に関わる知見や質問を投稿し,質問への回答を書き送ったのだが,投稿の種にはノート,クエリー,リプライの三つがあり,誌面も三欄に分けられている。ノートは「短報」で,現在の学術論文に近いものから,簡単な覚え書きまである。クエリーは「質問」で,それに対して読者が返す「回答」がリプライとなる。





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by yojiarata | 2014-07-20 08:51
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