第十四話  ペリー と ハリス




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「全集 5」
日本及び日本人
本邦における米国船員の逃亡

342-343 ページ


これは従来一向珍しからぬことだが,その最初の記録とも言うべきものを見出でたから申し上げ置く。ペリー初来の翌々歳,安政三年四月十日付江戸紀州侯御屋敷大浜詰池田」甚三郎より吉野屋民蔵という紀州在国人へ宛てた書簡に,去年極月四日露国船下田碇泊中地震津波で大破した際,伊豆国君沢郡戸田浦に上陸して残りおった露国人の始末を述べていわく, ・・・・・

六日の夜アメリカ人の内下官の者十人いずれかへ逃げ去り,相見え申さず,その段アメリカ人より戸田浦御出役所は御問い合わせに相成り候につき,差し驚きそれぞれ取り調べ相成り候ところ,右十人の者同夜に戸田浦山中へ逃げ込み候趣きにて,追い追い日本人にて御召し取りに相成り,それぞれアメリカ人へ」相渡し候ことに御座候。・・・・・」


ついでに言う。六九三号三二頁(「自主的日米親交論」)に中野(正剛)君は「米国は自由精神の伝道のために日本の門戸を叩けりなど説くは,思わざるもはなはだし」と喝破された。右述羽山氏の雑纂,そのころ米人に関することどもをおびただしく記しあるを見るに,ペリーといいハリスといい,当年渡来の米人いずれも得手勝手のことを推し通したのみ,自由精神の伝道らしき言は兎の毛も吐かず,我利のみを惟(こ)れ言い張ったので,たまたま日本のためになりそうなこととては,税関を置いて鉄に税を掛けたら政府の収入が増すなど分かり切ったことか,行く行く必ず分かって来るべきもとのみ忠告した。大槻平次の献策にも,「この度かの国より差し超し候使者ペルリ儀は,識見端正にして才能あるの由,別紙をもって申し越し候儀に候えども,左様には存ぜられず,短智狭量の小人と愚鑒仕り候。その仔細は,かの国より申し付けにも無之(これなく),一己の存じ付きをもって,数十艘の軍艦をもって御返翰催促に参り申すべき趣き,虚喝の言をもってわが国を威しかけ候もまことに浅智の至り,腹底の知れたる男子に御座候。その上,書翰容易に御請取なさるを幸いに存じ,国法を犯し猥りに内海に入り,勝手我儘の振舞致し候もみな少量の心より起こり候義,深沈大度のところはさらに御座なく候。かの先年ロシアの使節レサノフの人物とは格別の相違に御座候。これ正にわが国の大幸とも申すべく候。この処をよくよく御呑み込み御座候て,何分臆し候念を御断ちなされ,従容(しょうよう)寛大に御諭解なされ候わば,必ず御思し召し通り事済み申すべきやと存じ奉り候」とある。・・・・・



(大正五年十二月十五日 『日本及び日本人』 六九五号)




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by yojiarata | 2014-07-20 08:49 | Comments(0)
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