第十七話  人柱の話




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辞書によると,人柱(ひと-ばしら)とは,

架橋・築堤・築城などの難工事の時,神の心を和らげ完成を期するための犠牲(いけにえ)として,人を水底・土中に生き埋めにすること。

とあるよ。

[株式会社岩波書店 広辞苑第六版]



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『人柱の話』
「全集 2」 421-438 ページ


『人柱の話 』 の書き出しの部分。421ページ

建築,土工等を固めるため人柱を立てることは,今もある蛮族に行われ,その伝説や古跡は文明諸国に少なからぬ。

例せばインドの土蛮が現時も これを行なう由 時々新聞にみえ,ボスパスの『サンタル・バーガナス口碑集』に,王が婿の強さを忌んで,畜類を供えても水が湧かぬ涸池(「かれいけ)のなかに乗馬のまま婿を立たせると,さすがは勇士で,水が湧いても退かず,馬の膝まできた,わが膝まできたと唄いながら,いよいよ水に没した,その跡を追って,妻もまたその池に沈んだ話がある。『源平盛衰記』にもまた,清盛が経の島を築く時,白馬白鞍に童を一人のせて人柱に入れたとあれば,乗馬のままの人柱もあったらしい。ただし『平家物語』 には,人柱を立てようと議したが,罪業を畏れ,一切経を石の面に書いて築いたから 経の島と名づけた,とある。

(大正十四年九月 『変態心理』 一六巻 三号)



426ページ

清水平三君説(高木敏雄氏の『日本伝説集』に載す)には,雲州松江城を堀尾氏が築く時成功せず,毎晩その辺を美声で唄い通る娘を人柱にした,今も普門院寺の傍を「東北」(とうぼく)を謡いながら通れば,必ずその娘出て泣く,と。これは,その娘弔うた寺で「東北」を謡う最中を捕わったとでもいう訳であろう。現に,予の宅の近所の邸に大きな垂枝松あり,その下を夜更けて「八島」を謡うて通ると,幽公がでる。・・・・・



「全集 3」
439-471
≪民族と歴史≫

471ページ
おばけ


予が二十歳近くなるまで(明治十九年ごろまで)和歌山では化物を「バケモノ」「バケモン」といい,「オバケ」という詞は東京より帰任した士族のみもっぱら用いた。たまたまこの詞を用いる婦人などはすぐに江戸詰の一家と分かった。

(大正十年十一月『民族と歴史』六巻五号)


熊楠は18 ページ にわたって,インド,支那,日本,アィユランド,エジプト,ルマニア,イングランド,スコットランド,イタリア,カルタゴ,ドイツ,露国,フランス,デンマーク における人柱について,縦横無尽に薀蓄を傾けているよ。




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次の西村真次宛ての書簡も興味があるよ。

昭和二年五月八日早朝
西村真次様

「全集 8」
617 ページ

・・・・・小生は今に多難にて,『民族』を蔵中より取り出して貴下の柳田氏に対し難ぜられたるは何ごとなりしかを詳らかに知るを得ず,しかしあるいは柳田氏が人柱のことを議せしに対してのことにあらざるかと漠然ながら想起候つき,ちょっとここに人柱のことだけ申し上げ置き候。人柱のことはちょうど拙児発症始まりし直後に,宮城の門下にその痕趾を認めたりとかのことを,『東京日日』が申し出だし,『大阪毎日』がこれをふれちらしたるに候て,小生はそれを読むと直ちに病人と同室しながら一文を草し,『大阪毎日』に出だし早速載せられたるも,宮内省辺より小言ありしと見え,本元の『東京日日』には掲載されざりし。その拙文を増注して『南方閑話』に載せ,さらに増加して『続南方随筆』に収め候。いずれもおびただしく増注せしも,『大毎』紙へ出だせし分を少しも刪(けず)らず。」



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「全集 3」
≪現代≫
桑名徳蔵と橋杭岩の話
二 橋杭岩の話

538-539 ページ

・・・・・

今も西洋風の進水式に,必ず葡萄酒の赤いのを罎詰のままわる。・・・・・ ベーリング・グールド説に,こは古く人牲の頸を折ってその血を舳に濺(そそ)いだ遺風で,それと斉しく,むかし人を建築の土台に埋めた代りに,今も罎一本と銭を欧州で埋める由。





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by yojiarata | 2014-07-20 08:54
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