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第十一話  熊楠  サイエンス と 哲学を 語る






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「全集 7」
履歴書
25-26   ページ


故菊池大麓男は,小生毎度英国の『ネーテュール』,東京の『東洋学芸雑誌』へ寄書するを読んで,はなはだ小生をほめられたと下村宏氏に徳川頼倫侯が話されたと聞く。この大麓男の言に,英国人は職業と学問を別にする。医者が哲学を大成したり,弁護士の大家があったりする。人間生活の安定なくては遠大の学業は成らぬということを知り抜いたからと申されし。

すべて習慣が第二の天性を成すもので,初め学問を大成せんがために職業を勉めし風が基(もと)となりて,英人父が職業を勉めた結果,大富人となり,その子は父の余光で何の職業を勉めずに楽に暮らし得る身なるに,なお余事に目をふらずにに学問をもっぱら励むもの多し。いわゆる amateur (アマチュール)素人(いろうと)学問ながら,わが国でいわゆる素人浄瑠璃,素人角力と事かわり,ただその学問を糊口の方法とせぬというまでにて,実は玄人(くろうと)専門の学者を圧するもの多し。

スペンセル,クロール,ダーウィン,いずれもこの素人学問にて千万の玄人に超絶せるものなり。・・・・・

しかるに,わが邦には学位ということを看板にするのあまり,学問の進行を妨ぐること多きは百も御承知のこと。小生は何とぞ福沢先生の外に今二,三十人は無学位の学者がありたきことと思うのあまり,二十四,五歳のとき手に得らるべき学位を望まず,大学などに関係なしにもっぱら自習自学して和歌山中学校が最後の卒業で,いつまで立ってもどこを卒業ということなく,ただ自分の論文報告や寄書,随筆が時々世に出て専門家より批評を聞くを無上の楽しみまた栄誉と思いおりたり。

しかるに,国許(もと)の弟どもはこれを悦ばず。小生が大英博物館に勤学すると聞いて,なにか日本の博覧会,すなわちむかしありし竜(たつ)の口の勧工場(かんこうば)ごとき処で読書しおることと思いおりたるらしく,帰朝の後も十五年も海外におりて何の学位をも得ざりしものが還ってきたとて仏頂面をする。・・・・・


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「全集 7」
履歴書
37 ページ


さて以下はまだ洋人が気づかぬらしいから申すは,小生右の一件より考うるに,どうも世界には生気(せいき)とでも申すべき力があるようなり。すなわち,生きた物には,死んだ物にはなき一種の他物を活(い)かす力があるものと存ぜられ候。よって考うるに,今日の医学大いに進んだと申す割合に薬がきかざるは,薬にこの生気がなきによると存じ候。生きた物に,まわりくどき無機物よりも,準備合成の有機物がよくききまわるは知れたことで(土の汁をのむよりも乳の汁をのむ方が早くきくごとく),この点より申さばむろんむかしの東西の医者のごとく,自分で薬草を栽(う)え薬木を育てて,その生品を用いるのが一番きき申し候。



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「全集 7」
履歴書
38 ページ

窒素を取る発明 について,熊楠は次のように書いているよ。


そのころ,また欧州に空中より窒素を取る発明ありたりとて,日本で喧伝され,三井,三菱等,人を派してその方法をドイツより買入れに勉むるとの評判高かりし。そのまえに炭酸曹達(ソーダ)ほど手近く必要おびただしきものはなく,その炭酸曹達は,薬局法(ママ,正しくは,薬局方,筆者注)などに書いた通りの方法で,一挙していつでも木炭できることとわれわれ十四,五歳のときより思いおりたり。しかるに,大戦起こりて外国よりの輸入絶えたるに及び,いざ実試となってみると,これほどのものも日本でできざりし。されば自国で何の練習もせず,あれも珍しこれもほししと,見る物ごとに外国伝習をあてに致しては,まさかの時には絹のふんどしかいて角力に立ち合わんとするごとく,思いのほか早く破れてしまうものなり。たとい窒素を空中より取る法があってからが,高い金を出した相応に本当のことを伝授さるべきや,怪しき限りなり。




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by yojiarata | 2014-07-20 08:43
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