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第九話  ウィグル族のこと







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中国のウィグル自治区では,漢民族との小競り合いが続いているようだね。問題はイスラム教との対立です。熊楠は,「ウィグルのこと」と題する詳細な新聞記事を書いているよ。



「全集 6」
20-21 ページ
新聞随筆(明治四十四年六月二十五日『和歌山新報』



ウィグルのこと



一月二十九日 『大毎』 紙に,橘瑞超師「新疆探検の序幕」を報ぜらる。中に,ウィグル文字,ウィグル語等の字しばしば見え,橘師みずからウィグル字の経片,銅銭等を得たる由記せり。また昨年九月の『東京人類学雑誌』,鳥居君子女史の東部蒙古旅行記にも,女史がウィグル字の碑文を写せしこと出でたり。

橘師も鳥居女史も,十分知り切ったことと思えど,まだ知らぬ人のために説かんに,このウィグルとは,『十八史略』などで漢学者御馴染の回紇(かいこつ)のことなり。十八年以前,予在英の日,当時パリにありし土宣(どぎ)法竜僧正の嘱に応じ,蒙古,西蔵等のことを調べたる時,初めて知り得たるなれども,欧州の支那学者間には,ずっと以前から知れ渡りいたるなり。

安禄山の乱に,唐の粛宗巡幸して鳳翔に至りしみぎり,回紇子葉護(ようご)を遣わし,精兵四千人を将(ひき)いて至る。代宗,史朝義を討ち平らげし時も,回紇の援兵功多きにおり,郭子儀が吐蕃(とばん)を破りし時も,回紇の助力を須(ま)つこと大なり。

『三才図会』に,回紇その先,匈奴に本づく,およそ十五種あり。隋に至り韋紇(いこつ)という突厥に臣たり。突厥その財力に資(よ)って北荒に雄たり。大業中みずから回紇と称す。突厥亡びて,ただ回紇最も強し。薛延陀(せつえんだ)を攻めて,その地を***(あわ)せ有す。使を遣わして中国に献款す。かってみずからその鷙捷鶻(ししょうはやぶさ)のごときをもって,唐の徳宗の時に至って,請うて回紇を易(か)えて回鶻となす。その地,今の和寧路なり,とあり。

唐の時代にずいぶん盛大なる邦なりければ,文物観るべきものも多かりしと見え,わが邦にもその音楽を伝えたり。藤原守中の『歌舞品目』,唐部楽曲の新楽部に,廻忽(かいこつ)拍子十二と見ゆる,これなり。『和漢三才図会』に,廻忽は廻鶻なり,もと匈奴の国名,唐に降り,来たりてその国の楽を奏せしなり,と言えり。






宗教と民族間紛争



「全集 7」
180-181ページ

土宣法竜宛書簡

・・・・・回々教。これはマホメットがユダヤ,耶蘇の二教を研究し,編み出せる『コーラン』を主とす。すなわちユダヤの諸師祖および耶蘇を救世主と見て,マホメットがこれを継述せるなり。一神を奉ず。(アラーという。)時世も土地も異なるゆえ,耶蘇の言わぬことをもいいたり。この徒は,人を神のごとく尊称することを排撃せり。故にマホメットは人にして,この教を神より受売りせるなり。決して耶蘇徒のキリストを神の子というごときことなし。

・・・・・

回祖のあとつぎのことに異論ありて,二派に分かれたり。耶蘇教の二派になれるは,一は新にして一は旧なるなれど,回教の二に分かれしは同一時に分立せり。故に教制は二派によりて多少かわる。一は Shiism ペルシャ王これを奉じ,インド等にその徒多く入れり。一は Sannism トルコ王これを奉じ,小アジア等の人これを奉ず。一神教。しかし今は,アラビア人などは先祖をも神とするようなり。




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by yojiarata | 2014-07-20 08:40
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