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南方熊楠  巻の十一  御進講



ご隠居さん 熊楠の御進講について,話していただけませんか。

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御進講 の 経緯



摂政宮殿下,小生多年調査研究の粘菌類標品御覧なされたく,前日よりしばしば御待兼の旨伝達有之,今夕もまた侍講服部博士より催促有之。この状を書き了りて直ちに進献表および図解を認めにかかり申し候付き,本状はこれにて擱筆仕り候。


別巻1 445ページ
南方熊楠全集 別巻第一 書簡補遺・論考補遺 (平凡社,昭和四十九年三月一二日,初版第一刷発行)


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岩田準一宛ての昭和6年8月の書簡に,熊楠は次のように書いています。

岡崎邦輔氏よりの来信に,小生ごとき官辺に何の関係なき無位無勲の者を召せられ御言葉を再三賜わり死は従前無例とのこと,御臨幸の前に小生一書を山田の妻(名は信恵(のぶえ))に遣わし,四十四年前のはる,尊女の長兄と軽舸を仕立て鉛山(かなやま)温泉へ渡りし見当の所に,今度御召鑑がすわるなり,付いては一つの頼みあり,熊楠は生来放佚にして人を人とも思わず,これが大玭で一切世間に持てず,しかるに今度この御諚あり,いささかも無礼不慎のことあっては一族知人ども一般の傷となる。

仏教に,慧は男,女に勝れ,定は女,男に勝るという,自分は何を信ずるをいう心がけもなければ,かかる場合は神仏を祈念しても誰かはこれを受けん,そこがそれ深川の小唄にもある,「むかし馴染のはりわいさのさ」で,尊女の長兄次兄とずいぶん隔てぬ中だったから,尊女かの二人に代わりて当日,熊楠事なく進講を澄ましてくるればこれに越した身の幸いなしと,一心不乱に念じてくれよ,熊楠は自分に失態あっては尊女の一生に傷を付くるものと思うて,いかな気に入らぬことあるも無事を謀るべし,といいやりしに,空蝉の羽より軽き身を持ってそんな大事に当たり得るとは万思わねど,御申し越しの通り全力を尽くすべし,との返事あり。しかる上は安心と決定して進講準備にかかる。

・・・・・

四日四夜のうちにただ一朝五時より七時までの間の時計を聞かざりしだけ,まずは仮眠したと思う。進講品出来上がりて浴して身を清め了れば,はや出頭の時刻なり。

それより神島へ渡るに当日舟蘯(ゆ)れて何の考えも付かず,何を進講してよいか御さきまっくらなりしが,島で拝謁,進献品に就いて奏上,次に御召鑑で,進講も幸いに標品をそれこれ見計らい持参したから,次から次えと標品の出るに任せて奏上して退きしまで,例の鼻をすすったり咳嗽の一つも出さず,足の一歩も動かさずに事のすみしは,全くラ・ダム・ド・メ・パンセー(わが思いの貴婦)の一念が届いたものと殊勝さ限りなく感じた。後に聞くに,家にあって無事を念ずるよりはその近辺へ出かけて声援否(いな)念すべしとして,姉妹二人長途を馳せ来たり,御召鑑の見ゆる浜辺に立って御召鑑出立まで立ち続けおり,いよいよ煙立ち波湧き出すを見て帰宅の途に就いたとのことなり。

34-36ページ



昭和4年(1929年)
天皇紀南行幸に際し田辺湾神島に駕を迎へ,採集の御案内をなし,次いで御召艦長門に於て進講す


この時の熊楠は,在米時に友人三好太郎からもらった四十年前の明治23年に仕立てた古物のフロック・コートを着て参上したのであるが,後に加藤寛治大将(当時の軍令部長。熊楠のロンドン在住時代には少尉であった知人)が「往日は久方振りの拝姿,相変わらず神気満身之御風格」と熊楠への書信中に賛しており,また野口侍従も後年「かねて奇人・変人と聞いていたので御相手振りもいかがと案ずる向もあったが,さすが外国生活もして来られたジェントルマンであり,また日本人らしく皇室に対する敬虔の念ももっておられた」と追懐している。



笠井清『人物叢書・南方熊楠』
277-278 ページ
(乾元社・旧『全集』 月報二号)より引用


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無事に進講の任を果たした熊楠は,御紋章入りの菓子二箱を拝領して帰ると,同夜すぐマグネシウムをたいて自分一人のものと,妻と二人のものの記念写真をとらせたんだ。


南方熊楠  巻の十一  御進講_a0181566_22591958.jpg

御進講当日の南方熊楠と松枝夫人  昭和四年六月一日撮影
南方熊楠全集 第三巻 雑誌論考Ⅰ(平凡社,昭和四十六年十一月二十九日,初版発行)




熊楠は信恵に感謝状とともに拝領の菓子一個を送っているが,筆まめな彼は,その書信中に菓子十二個(煉菓子五,干菓子七)の分配法をくわしくしるしていて,日頃親交のある縁者,小畔・上松・平沼らの高弟,親友・知己にも分け贈ったことがわかるが,そのうち「脇村高女 小生始めに此の地に住みし時,世話になりし家の娘にて,当地高女校長の妻也」とあるのは,壮年の日ひそかに騎士道をもって自らを鞭うっていた多屋の次女高のことにちがいあるまい。また「金崎宇吉(拙宅長屋に住む裁縫師)とあるのは熊楠の家の構内の小さな借家に住んだ洋服屋で,さすがに隣人の庶民を愛した彼らしい分配ぶりである。


笠井清『人物叢書・南方熊楠』
279-281 ページ



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この進講時のことは,余程陛下の御印象に深く残ったようで,時々宮中でも熊楠のことが話題にのぼり,渋沢敬三(当時蔵相)は,

終戦後のある日,私は陛下に拝謁を賜った際,談たまたま南方先生のことに言及しました所,「南方は惜しいことをした」と申され,ついでニコニコされながら,「南方には面白いことがあったよ。長門に来た折,珍しい田辺付近産の動植物の標本を献上されたがね。普通献上といふと桐の箱か何かに入れて来るのだが,南方はキャラメルのボール箱に入れて来てね。それでいいぢゃないか」と仰せられたことがあります。平素およそ批評がましいことを口になさらぬ陛下として,物心の本質をよく把握される片鱗を漏らされ嬉しく存じましたが,これも南方先生ならばこそ極めて自然であり,陛下も殊の外親しみ深く思い召されたのでありましょう。

と書いています。

人物叢書・南方熊楠
278-279ページ





進講の御沙汰を承っての熊楠の吟詠が遺されているよ。




ありかたき御世に樗(あふち)の花盛り

南方熊楠  巻の十一  御進講_a0181566_18233295.jpg

(熊楠自身の筆になる書,書かれたのは進講の翌年)
人物叢書・南方熊楠,口絵より





つづく




追記

熊楠の著作全部にわたって登場する人物についての記述は,本書・第九巻 書簡 Ⅲの巻末におかれた「書簡解題」に詳述されています。
南方熊楠全集 第九巻 書簡 Ⅲ(平凡社,昭和四十八年三月一日,初版発行)
625-630ページ
by yojiarata | 2014-07-20 13:05
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