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第Ⅱ部  著作・抜読み





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第Ⅱ部では,熊楠作品の中から,私が選択したものを掲載します。何度も言っているように,無限といってよい拡がりをもつ熊楠の世界を知るのには,全く不十分だけど,これを切っ掛けとして,貴君が南方熊楠をよりよく知るためのヒントになれば幸いです。要するに,全集などの全部に眼を通してほしいのです。その面白さは,太鼓判の保証付きです。



第一話  丸 と 麿




舟の名前は,** 丸 となっていることがほとんどだよね。


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船の科学館 のウェブ・ぺージのはじめに,次のように書いてあるよ。



日本の船名に「丸」のつくものが多くあります。

「丸」のつく船名の起源は古く,記録としては,1187年仁和寺の古文書に現れた「坂東丸」が最初といわれています。

・・・・・

もともと自分のことを「麿」と言っていたのが敬愛の意味で人につけられ,更に犬や刀など広く愛するものに転用されました。その「麿」がやがて「丸」に転じて船にもつけられるようになったという説です。



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熊楠は,次のように書いているよ。


「全集 5」
小編
船名に丸字を加うること

391-392 ページ


これ毎々欧米人が本邦人に問うところにして,ロンドンにおいて発行する『随筆問答雑誌』(ノーツ・エンド・キーリス),特に予を指名して弁明を乞われしより,去る四十年八月十七日と十一月九日においてこれに答えたり。その内に次の文あり。

船名に丸字を付すること,およそ四百五十年前すでに行われしことを知ることを得。芳賀博士・下田学士共編の『家庭百科字彙』に,船の何丸と呼ぶこと,天正十九年秀吉が作りし日本丸を初めとす,とあり。

されど『武功雑記』上に,これより十三年まえ,信長堺浦にて日本丸上覧,その持主九鬼嘉隆に知行増加のことを載せ,また天正十二年小牧軍(こまきいくさ)の時,家康の清須丸と九鬼の日本丸と船軍のことを記せり。また,天正十九年よりは百三十三前なる応仁二年『戌子入明記』に,泉丸,寺丸,宮丸,弥増丸,薬師丸,熊野丸,住吉丸,夷丸,田原丸と九つまで渡唐船の名を挙げ,「兵庫において御荷物上げ置く,在所は問丸なり,云々」とあり。問屋を問丸と呼ぶも,船を丸と名づくるに縁のあることなるべし,云々。(著者書きこみ)この拙文は,英国海軍元帥イングルフィールドがヒル氏をして,一九一六年六月の『ロイド登録』に載せしめたり。)

(明治四十五年七月十五日『日本及び日本人』五八六号)


【追加】

前文の終りに左の通り追加す。これより先,平安朝に僕使,愛童より延いて名刀,飼鷹までに丸字を名に付くることあり。『俊牛絵詞』に名高き牛の名を列せる。後白河帝の獏丸,後鳥羽帝の獅子丸,伝法院の宝螺丸等あり。牛飼の名にも丸字を付けたるが多し。思うに牛船斉しく乗り物なれば牛より推して舟にも丸字を付くるに及びしか。もしくは最初船長の名多く丸字を付しあり,移りて船名に丸を付することとなりたるならんか。

(明治四十五年八月一日『日本及び日本人』五八七号)


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船舶に命名せる最古の物


『続記』に,「天平宝字七年八月,初めて高麗国に遣わす船を,名づけて能登という」と言えるなるべしと,七月一日号(『日本及び日本人』五八五号)一〇六頁に見えたり。『和漢三才図会』巻三四に,本朝船の始めは,「神世に,天磐櫲樟船(あまのいわくすぶね)あり,もって蛭子(ひるこ)を載するなり。・・・・・

(大正元年十一月一日『日本及び日本人』五九三号)




南方熊楠全集8 書簡Ⅱ(昭和47年4月20日,初版)
607-608
昭和二年四月二十八日午前十時過
西村真次様


 ・・・・・ 「丸」に関する拙文は,英文の方末広君の手にてタイプライチングに付いたるところ,エリザベス朝の古字多く,十分分かりがたしとて,正誤のため拙方へタイプ書を廻送され有之(これあり),これは倅四,五日来少しく静まり候つき,校字の上,三,四日中に末広氏へ返すことに御座候。

右拙文の大要は,船に丸の字を付くることは,芳賀矢一,下田次郎二氏の『家庭百科事彙』に,秀吉征韓の時,九鬼嘉隆が作りし日本丸が嚆矢なり,とあり。しかるに,小生,近藤[瓶城]氏の『属史籍集覧』の『戊子入明記』より,足利氏のころすでに金比羅丸,えびす丸,住吉丸等の船名あるを見出だし,丸をもって舟に名づくることは,足利氏の中葉すでにありしことを知り,その旨書きたるに候。

・・・・・

外国の,丸の船名について多少説きたるは,チャムバレーン氏の ‘Things Japanese' だけ小生は知りおり候。それは斉藤彦麿の『かたひさし』のその条を訳したるものらしく候。(この条も斉藤が誰かの書から移しとりたるものなるも知れず。)それにはただ真の意味は分からずというような曖昧なことなりしと存じ候。

小生初めて 『ノーツ・エンド・キーリス』 に出せる文は,チャムバレーンが筆せしところ,丸なる詞は最初は何の意に用い,次に何に用い,さてまた何の意に移りし,と順序立てて書きありしを,左様の順序整然と移変せしものにあらず,古くよりあの意にもこの意にも用いたること多しと例証を挙げたるに御座候。

さて,ヒル氏がこれらの文を案じてのち,しからば丸とはまず,mascot(延喜祝い)ごときものなれば,日本で舟を人と見て何々丸と称せしは,ちょうど英国で近古,舟を箇人同様に見立てて,The good Duke Robert などと等しく,The good Ship Awa とするもっとも適当なるに近からんとの説を 『ロイド・リスト』 に出したるに御座候。

小生が広末氏まで(今日までに)差し上げたるは右に止まる。



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「全集 3」
≪民族と歴史≫ 六
452-453ページ


丸 と 麿


麿の名がもっとも著しく国史に出始めたのは,孝徳天皇の朝の初めに大臣になった安倍内麿と蘇我倉山田石川麿とからだが,それより前にも厩戸皇子の舎人に調使麿,また前の雄略天皇朝に須磨の賊分石小麿あり(『聖徳太子伝暦』。『書紀』一四)。

麿を丸とかくことは,すでに弘仁中の作,『日本霊異記』にあり。例せば,上の二九に白髪部猪麿(しらがべのいまろ),中の三に吉志火麿(きしのほまろ),同九に大伴赤麿,同二四に捕牛鬼の名槌麿。しかるに,下の二五に中臣連祖父麿,祖父丸と二様に書し,二七の宝亀九年の記事中に秋丸なる悪人の名あり。三〇の延暦元年の記事に多利麿また多利丸,三二に呉原忌寸名(くれはらのいみき)は妹丸,三八に藤原朝臣仲麿また仲丸と同様にかきある。

・・・・・ 『続日本後紀』の本文には,「馬麿の腋下に及ばず」とある馬麿を『西宮記』に馬丸としたのだ。同記二三に強盗の名を列した中にも,藤原童子丸,六人部法師丸,泰犬童丸あり。その前にも純友の子重太丸というのが『今昔物語』にみえる。・・・・・



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書いているうちに,黒澤明 『羅生門』 (1950年8月公開)を思い出したよ。

三船敏郎が演じる盗賊の名前が多襄丸 だったよ。京マチ子,森雅之,志村喬 ・・・・・ 素晴らしかったね。それに,早坂文雄が担当した音楽,ボレロの静かな音が印象的だったよ。森の木々を通してふりそそぐ 木洩れ日を,空にカメラを向けた宮川一夫の撮影も美しかったよ。日本映画の歴史に残る作品です。

第Ⅱ部  著作・抜読み_a0181566_13555660.jpg

三船敏郎 と 京マチ子





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つづく

by yojiarata | 2014-07-20 08:29
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