ご隠居さん きょうは,石川さゆりの話ですか。 いろいろ書くつもりです。よかったら,読んでよ。 あれは,1970年代の終わりの頃だったと記憶しています。当時,私たち一家は,江東区の越中島にあった公務員住宅に住んでいました。すぐ前に,東京水産大学(現在の東京海洋大学)。JR東日本の京葉線の「越中島」が1990年にできる20年も前のことになるね。 当時,大阪に出張するのに,こんな便利なところも少なかったよ。すぐ前の清澄通りに出て,午前5時45分までにタクシーを拾うと,新幹線の始発(6:00発)に間に合うんだ。 あの時も,6時の新幹線に乗るために,タクシーに乗って東京駅に向かっていました。タクシーの中は,薄暗かったから,多分,季節は晩秋の日が短い頃だったと思うよ。音を小さく絞ったラジオから,初めて聞く曲が淡々と流れていて,その音色は,新幹線に乗った後でも,耳に残っていたよ。 私が初めて聴いた石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」です。ネットで調べてみると,「津軽海峡・冬景色」(作詞 阿久悠,作曲 三木たかし)は,1977年(昭和52年)1月1日に日本コロンビアから発売されたということです。つまり,私がこの曲をはじめて聴いたのは,1977年の秋だったんじゃないないかと思うんだ。 話は,先週の5月15日に飛ぶよ。この日のNHKのラジオ深夜便で,1970代の流行歌をまとめて放送したのを聴いたよ。その時かけられた最初の唄が,偶々「津軽海峡・冬景色」でした。ラジオで聞くのは,1977年の暮れ近く,あのタクシー以来,初めてのことだったんだ。 その時,私は,あの時とのあまりの違いに,唖然となったよ。人は年とともに,よく言えば,円熟味が出て来るし,悪く言えば少しづつ,何かを失うよ。唄に限ったことではないんだけど,唄でいえば,歌唱表現も 変ってくるよ。その分を,お肌のシミやしわをケアするように努力する。唄にも,無意識のうちの濃い目の化粧が入ってくるのは,避けられないんじゃないだろうか。なにしろ,タクシーの中で唄っていた石川さゆりと同一人物とはどうしても,思えなかったのは確かだよ。よく言えば,熱唱だけどね。 断っておくけど,私は,現在の石川さゆりの唄が悪いなんて言っていないよ。 ところで,私は,「津軽海峡・冬景色」を聴くたびに, 「飢餓海峡」(内田吐夢監督作品,1965) を思い出すんだ。映画では,下北半島周辺の光景が丹念に描かれていました。 戦後まだ間もない頃,北海道地方を襲った猛烈な台風により,青函連絡船が転覆して多数の死傷者が出ました。『飢餓海峡』は,この未曽有の海難事故を原点とする殺人事件を描いたものです。三国連太郎,左幸子,伴淳三郎の連携が,日本映画の歴史に残る素晴らしい作品を生んだんだ。 三国連太郎(犬飼太吉のちに樽見京一郎を名乗る) 左幸子(青森県大湊市の娼婦・杉戸八重) 伴淳三郎(函館署の刑事・弓坂吉太郎) 三国連太郎,左幸子に加えて,犯人を追いつめる函館署の刑事を演じる伴淳三郎の素晴らしい演技が印象的だったよ。 このブログを書こうと思ったもう一つの切っ掛けは,同じく,NHKのラジオ深夜便で聴いた,ディック・ミネの「人生の並木道」です。1937年( 昭和12年)公開の日活映画 『検事とその妹』 (渡辺邦男監督,原節子・主演)の主題歌 (作詞:佐藤惣之助,作曲:古賀政男)です。 余計なことだけど,渡辺邦雄監督は,昔は,早撮りの監督として,有名だったんだ。早撮りといっても,3週間。いまでは,映画はあっという間にできるらしいよ。テレビなんて,同じ俳優が毎日毎日,別の番組に出ているよ。 黒澤明の場合は,1年が常識。森谷司郎監督の「八甲田山」は,完成までに,実に3年間だものね。結果は,見事な雪嵐の画像となったよ。森谷監督は,その将来を期待されていたんだけど,53歳で他界されました。残念だね。森谷監督は,成瀬巳喜男,黒澤明などの助監督をつとめた経験があるんだ。 更に脱線するようだけど,「八甲田山」では,芥川也寸志の音楽が素晴らしかったよ。私は,思わず,サウンド・トラックのレコードを買ってしまったよ。何でも買いたくなる癖は,祖父,父の遺伝で,困ったもんだと反省しています。 ディック・ミネ に戻るよ。
で始まる 「人生の並木道」 は,親しかった友人の三井幸雄さん(故人)が,カラオケで必ず唄っていました。何か,特別の思いがあったようで,あの頃の彼を,いまでも懐かしく思い出します。 ところで,「人生の並木道」 を作曲した佐藤惣之助は,詩人であり,作詞家。歌謡曲の歴史にその名を残す大重鎮です。そもそも,日本の歌謡曲をスタートさせた人物です。 「六甲おろし」 も惣之助さんが作詞したというんだから,驚きだね。現在唄われている「六甲おろし」は,惣之助さんの作品のなかの「大阪タイガース」の部分だけを,「阪神タイガース」に変えたものだよ。 佐藤惣之助 (1890-1942)。義兄の萩原朔太郎が死亡した四日後,脳溢血で急逝。享年51。 佐藤惣之助の作品が如何に広い範囲にわたっているかは,次の例をみれば,一目瞭然だよ。 『赤城の子守唄』(昭和9年2月)[竹岡信幸作曲,歌:東海林太郎] 『緑の地平線』(昭和10年10月)[古賀政男作曲,歌:楠木繁夫] 『大阪タイガースの歌(現:阪神タイガースの歌,通称:六甲おろし)』(昭和11年3月)[作曲:古関裕而] 『男の純情』(昭和11年9月)[古賀政男作曲,歌:藤山一郎] 『すみだ川』(昭和12年2月)[山田栄一作曲,歌:東海林太郎] 『人生の並木路』(昭和12年2月)[古賀政男作曲,歌:ディック・ミネ] 『青い背広で』(昭和12年2月)[古賀政男作曲、歌:藤山一郎] 『人生劇場』(昭和13年7月)[古賀政男作曲,歌:楠木繁夫] 『湖畔の宿』(昭和15年5月)[服部良一作曲,歌:高峰三枝子] 物凄い人がいるもんだね。 その「人生の並木道」を,「津軽海峡・冬景色」の何日か前のNHKラジオ深夜便で聴いたんだ。アンカーを務めた方が,唄は1937年(昭和12年)に発売されているんだけれど,今夜は,その後,録音し直したレコードを掛けますと仰ったんだ。悪い予感がしたんだけど,予想通りの結果でした。 余りの熱唱に,すっかり,疲れてしまったよ。同じ熱唱でも,三井さんの熱唱とは質が違うんだね。わかるでしょう。 歌い手さんも,人間だから,当然,加齢があるよ。良くも悪くも,年齢が唄に反映されるのは当然なんだ。その場合,唄は,自分を感動させるために唄うのではなく,聴き手を感動させるために唄うのだということを忘れないでほしいんだ。
by yojiarata
| 2014-05-24 22:38
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