ご隠居さん 改まって,何の話。 その質問に答える前に,今後のブログについての予告。 「今日の ひと と 言葉」 をブログに載せることにしました。 1日の木曜日の夜,NHKテレビで,勝新太郎の生涯を追ったドキュメンタリーをみました。勝新太郎の大変なファンの私は,いたく感銘を受けたよ。「今日の ひと と 言葉」は,その勝新太郎のひとこと: 総理大臣の代わりはいるけど, では,本題に入ります。 今回は,70年に近い私の英語修業の個人史を書かせていただきたいと思っています。自分の辿ってきた道を書くんだから,話は延々といつまでも続けることができるよ。その気になればね。 だけどそうもいかないから,長旅の一里塚に相当する個所で区切って話を進めます。退屈かもしれないけれど,「♪ こんな話でよかったら」 聴いて下さい。 大学に入学して出会った英語の授業は,英文和訳に終始していたんだ。私は,当時の英語の授業の退屈さに辟易していたんだ。教師からは,君は高校で何を教わってきたんだなんて,バカにされるし,英語の良くできる秀才の学生からは,失笑の嵐を浴びるし,踏んだり蹴ったりの状態で参っていたんだ。大学教授なんて,威張っているけど,こと英語に関しては,レベルが低すぎるんじゃないかと,自分のことを棚に上げて,ただ気分を害していたんだ。 興味もまったく湧かないし,試験はいつも ” 可 ” でギリギリセーフ。だけど,英語は必修だから,単位を落とすと留年になるからね。いやな教師だけど,何とか単位を取らねばと石に噛り付いて勉強したよ。 英語がすっかり嫌になっていたちょうどこの頃,奥幸雄先生に出会ったんだ。 今にして思うと, 捨てる神あれば拾う神あり の心地がしたよ。 奥幸雄先生の授業を2年の秋に聞いて,目が覚めたんだ。奥先生は,英語は生きていること,それを生きた形で学ぶことこそ,英語の理解に通じることを教えてくださったんだ。用いたテキストは,ソーントン・ワイルダーの 『わが町』。授業が終わった後で,奥先生を捉まえて,英語の発声,発音など,個人的に延々と教えていただきました。 私は,その後,教師を生業とすることになったんだけど,奥先生の授業を受けたことが,私にとって,何物にも代えがたい財産になっていることが,その時になって,気が付きました。奥先生は,私が最初に出会った教師と違って,英語を学ぶものの心得,学生を励ますことの大切さを身につけさせてくださったんだ。 奥先生に頂いた教訓を背中に背負って,1971年1月 から1973年 3月 まで,アメリカ・カリフォルニアの小都市パロアルトにあるスタンフォード・メディカルセンターの分子薬理学教室に客員として滞在したんだ。当時,既に36歳。いろいろ事情があって,こんな歳になってしまったんだ。 滞在にあたって心掛けた点。 1) できるだけ多くのの現地のアメリカ人と接する。 2) 英語を文化として捉え,つねに周りで進行している” アメリカ ” の動きに注意を払い,日々努力をする。 当時は,ベトナム戦争が延々と続き,その最中に,アメリカ大統領選挙。学生のS君と毎晩のように議論していたんだ。例えば,「死の商人」 のことを 延々と語ったんだけど,S君は全く理解できない様子だったよ。そんなことは,これまで聞いたことも,考えたこともないと言い張るんだ。 選挙では,ニクソンが大勝したんだけれど,S君,研究室のほかの学生も,民主党の対立候補で,ベトナム戦争反対の立場で立候補したジョージ・マクガバンを支持する運動をやっていました。ジョージ・マクガバンが1州を確保しただけで,惨敗した時,涙を流さんばかりに肩の力を落としていたよ。この間の印象は,我々が学生のこと,日本の選挙で経験したことと一脈通じるものがあるなと思ったよ。 1972年6月17日,ニクソンの再選を策するグループが,ワシントンのウォーターゲート・ビルの6階にある民主党全国委員会本部に侵入し,盗聴装置を仕掛けようとして未遂に終わった事件が発覚したんだ。世にいう「ウォーターゲイト事件」です。この事件の結果,再選されたニクソン大統領が辞任に追い込まれたんだ。 ちょうどこのころアメリカにいた私は,アメリカの学生から,得難い知識を多く吸収しました。実にいい経験になったよ。 今日の話には,関係がないんだけれど,すぐ隣がシリコン・バレーで,新しい息吹を感じることが出来たのは,望外の収穫だったよ。 わたしは,30年前,2年間のアメリカ滞在から帰国したあと,自分の英語のセンスと実力に大きな限界を感じはじめていた私は,偶然,平野敬一 『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』 に出会ったんだ。この本を読みながら,文字通り” 眼から鱗が落ちる ” 思いがしたよ。 君だって,そんな経験があるでしょう。大げさに言えば,一冊の本との出会いが,その後の人生を変えることがあるんだよ。 というわけで,少し長くなるけと,わたしがとくに重要だと考える記述を引用するよ。 【むかし筆者が学生時代に読んだある英語のテキストに「三匹の子猫が手袋をなくした」というイギリス伝承童謡からの引用が出ていたが,それに付したさる高名な編者による注解が,たしか「出所不詳」となっていた。 ・・・・・ 「三匹の子猫」の唄は,・・・・・ 英米ならまず三歳の童子でも知っている唄なのである。ところが,これは私たちのように外国で英語を学ぶものにとって,たとえその道の専門家になっても,容易に調べのつかない難しい引用のひとつということになってしまうのである。このギャップというか,途方もない断層が,英語の勉強を志していた当時の私には,ひどく気になったのである。 ・・・・・ こういう事情は,日本語と英語との立場を逆にしてみると,もっとはっきりするかもしれない。たとえば,日本語で「どんぶらこっこ,どんぶらこ」という擬声音(?)を耳にすると,私たちはたいがい,「桃太郎」の話で桃の実が川上から流れてくる場面を連想するはずである。・・・・・ところが日本語を学習している外国人の研究家が,「桃太郎」の話を知らないまま,かりに詳しい国語辞典は引用句辞典でこの表現の出所やいわくを調べようとしても,まず徒労に終わるのではないかと思われる。 ・・・・・ 私たちが外国語を学習する場合,ことばの辞書的意味の習得は,それほど難事ではない。極端にいえば,勉強次第で外国人としてのハンディはかんたんに解消する。ところが,そういう辞書的意味ではなく,あることばないしは表現が喚起したり連想させたりする茫漠とした曰くいいがたきものとなると,その言語のなかで生まれ育った者と,その言語をただ外部から習得した者とのあいだには,どうにもならないほどの隔たりがあるように思われる。 ・・・・・ ことばの喚起性というものは,辞書に明示しうる性質のものではない。それは多くの場合,学校での勉強や書斎における研究では捕捉しえない生活基盤そのもの,広義の「文化」から生まれてくるものである。ことばがどういう情緒を喚起し,どういう連想を伴うか,それを決めるのは,生活であり文化であり,要するに過去のいっさいの経験の総和なのである。 ・・・・・ 個人の過去の経験のなかで,なにが重要かということは,一概にはいえないだろうが,意識も記憶も定かでない幼少時の生活体験―これをかりに幼時体験と呼ぶことにする―が意外なほどのちのちまで影響を及ぼすものであることは,いまでは否む人もないであろう。 英語圏の場合,この幼時体験を形成し支える大きな柱の一つが,伝承童謡,俗にいうマザー・グースの唄のかずかずなのである。私はかねがね英語圏の人間が身につけている英語と,外国でたとえば私たちが習得した英語とのあいだの大きな質的な違いは,幼時体験の決定的な差異に多分に由来するものだと思ってきた。自分の幼時体験をいまさら変えることは,もとより私たちには望むべくもないが,イギリスの伝承童謡に親しむことにより,その間隙をある程度埋めるもとは可能であり,またその努力が必要であるように私には思われるのである。】 平野敬一 『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』 (中公新書,昭和47年1月25日初版,昭和47年11月1日6版) 倉石先生のこの著書は,全く素晴らしいよ 中国の言語と文化の研究に生涯を捧げられた倉石武四郎先生は,つぎのように書いておられます。 【わたくしは,まだ若いとき,本居宣長の『古事記伝』をよみ,「こころとこととことばとは相構えて離れず」の一句にいたり,ふかく推服した。宣長としては,後世のものが上代のことを研究するときの心得としたのであろうが,われわれ外国,ことに中国のことを学習し研究するものにとって,その短かいことばこそ生涯これを服膺してもなおあまりあるものであった。】 平野先生が 『マザー・グースの唄』 で強調しておられる点はまさに,倉石先生が引用しておられる本居宣長の「こころとこととことばとは相構えて離れず」の一句と表裏一体ですよ。 マザー・グースの唄は,気が付いてみると,我々の周りに満ち溢れているよ。 アメリカ大リーグの「第72回オールスター戦 (2001年)」の最中,“名誉コーチ” としてサードのコーチボックスに入っていたラソーダ元ドジャース監督をめがけて,バッターの折れたバットが飛んでいったんだ。ラソーダ氏は,もんどりうって360度回転したんだけど,幸いにして難を逃れたんだ。 このシーンが流されているとき,放送を担当していたアナウンサーは,つぎのように叫んだよ。 Humpty Dumpty had a great fall ! マザー・グースの唄に登場するハンプティー・ダンプティーと,ラソーダ氏の人柄と体型を重ね合わせ,この言葉がごく自然に出たんだと思うよ。ちなみに,“ハンプティー・ダンプティー” のテキストは,歴史とともに少しづつ変わってきているんだけれど,現在ではつぎのようになっているね。 Humpty Dumpty sat on a wall, 平野先生の著書では,つぎのように訳されています。 ハンプティー・ダンプティーは壁の上に座った, 英語国では,ハンプティー・ダンプティーを知らないひとはいないよ。日本でいえば,“ どんぶらこっこ ” と “桃太郎” にあたると思えばいいんじゃないかな。 ハンプティー・ダンプティーが “何者であるか” については,さまざまな説があるようです。ウェブには,ご想像のように,山のような情報が掲載されているよ。ここでは,ルイス・キャロルが 『不思議の国のアリス』 の続編として執筆した 『鏡の国のアリス』 のなかから,壁の上に座ったハンプティー・ダンプティーとアリスが交わす珍妙な会話を引用しておくよ。 ‘And how exactly like an egg he is!’ she said aloud, standing with her hands ready to catch him, for she was every moment expecting him to fall. 『鏡の国のアリス』には,ハンプティー・ダンプティーが落下しないよう手を差し伸べているアリスの挿絵が載っています。 PENGUIN BOOKS ハンプティー・ダンプティーのなかの All the king’s horses and all the king’s men のくだりは,日常の英語に密着して頻繁に使われています。 始めの方で書いたけど,「ウォーターゲイト事件」を題材として, Carl Bernstein と Bob Woodward が書いたノンフィクション "All the President’s men" のタイトルは,ハンプティー・ダンプティーからとられたものです。そこには,一度起こってしまったことは,決してもとにもどらないというニュアンスがこめられています。日本語訳の題名は,『大統領の陰謀』 となっていたけど,困るよね。こんな時は。 マザー・グースの唄については,インターネット上の YouTube には,メロディーを含め,ありとあらゆることが掲載されています。ほかにも,山のような量の情報が得られることはご想像の通りです。例えば,マザー・グースの唄をご覧ください。 私は,自分でいうのも憚られる,バカみたいな凝り性で,マザー・グースに関する著書を徹底的に買い集めたんだ。もちろん,子供のための大小さまざまな絵本も。ここでは,その全部を紹介できないので,私が最も重要と考える2冊を挙げておきます。 Nursery Rhymes EDITED BY IONA AND PETER OPIE First published 1951 Reprinted 1952, 1955, 1958, 1962, 1966, 1969 1973 (with corrections) Oxford University Press, Ely House, London W.1 800 Rhynes 600 Illustrations Assembled by Iona and Peter Opie With additional illustrations by JOAN HASSALL OXFORD AT THE CLARENDON PRESS First edition 1955 Reprinted with corrections 1957, 1960, 1963, 1967, 1973 (with corrections) Oxford University Press, Ely House, London W.1 読みながら,イギリスが,自らの文化遺産を大切にしていることを実感したよ。 昨日,MLB中継をみていたら,ヤンキースとレイズの試合が延々と続き,現地時間 午前 2時ころ,15回,5-5だったんだ。MLBには,延長打ち切りという決まりはないので,まだまだ続くのかなと思ってみていたら,15回の表になって,レイズが突然打ち出し,四球をはさんで5連続安打,結局試合は,10-5でレイズが勝ったよ。 私は,英語の修業は,延長打ち切りのない試合だと思っているんだ。 今は,何をしているのかだって? NHKの英語講座は,素晴らしいよ。色々の講座があるんだけど,私が,いま必ず聴くのは,芝原智幸先生による 『攻略!英語リスニング』 です。 登録すれば,1週間遅れで,番組全部を聴くことができるよ。 自分の英語力を冷静に分析してみると,最もダメなのがリスニングだよ。例えば,英語の唄は,聴いていて歌詞が聞き取れることは稀だし,固有名詞に至っては,全く手も足も出ないんだよ。それでも,” 英語の学習においては,努力は決して無駄になりません。焦らずたゆまずコツコツ努力しましょう” と仰る芝原先生の励ましを力として,番組を録音して,繰り返し繰り返し,聴いているんだ。 暫く前のことだけど,NHKのラジオ深夜便で,マザー・グースの唄を研究しておられる 鷲津名都江 さんの話を聴きました。 ウェブには,次のように紹介されています。 【鷲津名都江わしづ なつえ 1948年1月20日 - 永井荷風の大叔父である鷲津蓉裳の曾孫に当たる。 1952年1月に,日劇の「秋の踊り」で 小鳩くるみ として日劇最年少デビュー。 同年12月から『ちえのわクラブ』(TBSラジオ)に童謡歌手として、またこの番組がテレビ開局に合せてTBSテレビに移行すると同時に司会者となり,1968年3月に終了するまで16年間レギュラー出演。 その後,イギリスに留学,現在,目白大学外国語学部 及び 目白大学大学院言語文化学科教授。】
by yojiarata
| 2014-05-03 22:27
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