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異説 日本海海戦



ご隠居さん ヘンテコリンな題名だけど,一体何を話すつもりなの。

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曰く言いがたいんだけど,一昨日 NHK BS で放送された番組がことの始まりなんだ。



英雄たちの選択

 
「日露戦争・運命の一日 ~東郷平八郎の日本海海戦~」


念のために,NHKの番組説明を,そのまま再現しておくよ。

【日露戦争の勝利を決定した1905年の日本海海戦,連合艦隊率いる東郷平八郎の葛藤を描く。直前に姿を消したバルチック艦隊をどこで迎え撃つか。近年公開された極秘史料からは,連合艦隊内での白熱した議論が浮かび上がってきた。東郷の最終決断とは?そしてそれは,日本に何をもたらしたのか?東郷平八郎,運命の選択に迫る】

実際,番組説明の通りで,非常に面白かったよ。


極東の小国である日本が,日清,日露の戦いに連勝して,世界を驚かせたんだ。そのためもあってか,東郷平八郎は,日本人で初めて,アメリカの雑誌 TIME の表紙を飾ったんだ。重々しく威厳のある立派な顔だよ。

”勝った勝った” とマスコミが太鼓をたたき,国中が提灯行列で湧きかえった後,日本が太平洋戦争に進んで行った暗くて長い道程を簡潔にまとめて番組が終わったよ。


英雄に祭り上げられた東郷平八郎だけど,彼の子孫は,それが原因だったのか結果だったか分らないんだけれど,色々大変だったようだね。


 永井荷風の日記から


その後の東郷家については,永井荷風の日記(断腸亭日乗)の記事が,色々な観点からいって,興味を惹かれるよ。

断腸亭日乗は,文章は見事だけど,中身は,良くも悪くも,野次馬根性というか,ゴシップ記事の色濃い部分が少なくないよ。だけど,何年の何日に,こんなことが起こったということを知る上では,大変参考になるよ。

次の記事を読んでください。


昭和十年三月十五日

・・・・ 東郷元帥孫女良子家出の顛末を来合せたる電報通信社ゝ員某氏より伝聞す。大畧次の如し。

東郷良子年十九才なり。本月学習院女子部を卒業せむとする間際に至り二月廿四日出奔し,浅草公園を見歩きて後,花川戸横町 JL という喫茶店に女給募集の貼紙あるを見て,其店の住込女給となり,今朝日ゝ新聞に家出の記事出るまで十七日間働きゐたりしなり。家出する前市ヶ谷見附内紅薔薇といふ喫茶店に出入りをなし色男もありし様子なり。・・・・・

新聞に写真出るまでは家の者もまた出入する客も誰一人東郷家の娘とは気づかざりしと云ふ。三番町紅薔薇にて屡良子と逢引せし男は今朝警察署に拘留せらえ,又 JL の女給には其筋より一切の事を厳重に口留めしたり。新聞の記事も,過半差留められたり。云ゝ


断腸亭日乗 三
荷風全集 第二十三巻
1993年10月28日

(注) 断腸亭日乗には,何種類かの「異本」があるんだけど,ここでは,最も原型に近いと私が考えている1993年の岩波書店版を使いました。


この部分を読むと,現在に通じるものがあるよ。

例えば,

其筋より一切の事を厳重に口留めしたり。新聞の記事も,過半差留められたり。

の件だけど,”其筋” なんて表現,君は聞いたことがある? 新聞の記事についても,検閲が入っているよね。現在の日本の独裁政権の暴走,特別秘密保護法など,考え出すと,歴史が繰り返し,押し寄せて来ているようで,恐ろしくなるよね。怖いよね。


「異説 日本海海戦」 はどうなったのかだって? ま そう急がないで,話を最後まで聞いてちょうだい。


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顕微鏡を考える道具とした最初の思想家



吉田富三(東京大学名誉教授,1903-1973)は,日本のがん研究をリードした重鎮です。私自身も,所属が医学部薬学科だったお蔭で,吉田先生の講義を何度も聴く機会があったよ。

表題の言葉は,吉田直哉 (吉田富三の長男,元NHKチーフプロデューサー,1931-2010)の著書 『私伝・吉田富三 癌細胞はこう語った』 (文春文庫,1995) で使われています。


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吉田富三と長男・吉田直哉(許可を得て掲載)



研究者のなかには,何事によらず思い込んだらどこまでも,という気質の人が少なくないようだね。吉田直哉は,『父・富三の興味と関心』 「常によいものを」のなかで,次のように語っています。昼ごはんに「天満佐」の天丼を食べ始めると毎日のように「天満佐」の天丼,万年筆に凝ると机の引き出しに入りきれないほど万年筆を集めるという具合だったようだよ。

ちなみに,本郷消防署の近くにあった「天満佐」は,私もよく訪れたんだけど,残念ながら,廃業して今は存在しません。


さらに,吉田直哉は続けて。

【・・・・・ いちばんの自慢の品は,留学したときドイツで爪に火をともして買ったという,ツァイスの双眼顕微鏡で,これは終生愛用しておりました。 ・・・・・

そして,これが日本海海戦のときに大いに役に立ったという話が好きで,何度も私に聞かせました。

ロシアのバルティック 艦隊 司令長官 ロジェストウェンスキーは,贅沢好きの男でありましたが,ツァイスの双眼鏡は持っておりませんでした。それが勝敗を分けた要因のひとつだ,と父は断言したのであります。】


北川知行,樋野興夫(編)『日本の科学者 吉田富三-生誕100年記念』(メディカルトリビューン社,2005)には,吉田富三にまつわるさまざまなエピソードが寄稿されています。

吉田富三の時代は,偶々学園紛争の時代と重なったんだ。当時学生であった北川知行博士(後に癌研所長)によれば,吉田富三は講義で学生に次のように話したということです。


【人間はロビンソン・クルーソーの様に孤島にひとり住んでいたのでは,良い人か悪い人かは判らない。人間社会の中に住まわせてみて初めてその性(サガ)が明らかになる。がん細胞もしかり。がん細胞は増殖して仲間が増えると,宿主にとって悪性であることが判るようになる。君達学生諸君も似たところがあるな。一人ひとり話をすると,常識もあり善良な青年に見えるのだが,学生自治会として集団行動をとると,変なことを云ったりしたりする。】

『肝発がん研究と人間 吉田富三のインパクト』,「吉田先生の講義」から引用


この頃の記録を読むと,吉田先生が学問だけでなく,実にユーモアに富んだ面白い人物だったことがよくわかるよ。



by yojiarata | 2014-01-25 22:46
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