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二人が中に降る涙 川の水嵩も増さるべし



ご隠居さん 今日は一体,何を話すつもり。

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ま ゆっくり話を聞いてよ。最近,不愉快な輩の横行で,楽しくないことが多いから,今日は,気分を変えるために,日本の自然の美しさを書くことにしたんだ。

春となれば,霞が棚引く。夏山から雲海を見おろす。奥山に分け入れば,霧が音を立てて流れる。晴れ渡った冬の里に風花が舞う。日本ほど,四季の変り目を身の回りに感じる国は,世界でも少ないよ。

年が明けて1月になると,全国から,雪や氷の話題が届くよ。


美しき 天然


『美しき天然』 (うるわしきてんねん) は,1902年に作曲された日本の唱歌。作曲者は,当時の日本海軍・佐世保鎮守府(長崎県)で軍楽長を務めていた田中 穂積(たなか ほづみ) (1855 -1904)。作詞者は,滝廉太郎作曲『花』の作詞で知られる詩人・武島 羽衣 (たけしま はごろも)  (1872 -1967)。『美しき天然』のために武島が新たに書き下ろした歌詞ではなく,既存の詩集から転用されたものだそうです。

二番は,次のようになっているよ。



春は桜のあや衣

秋はもみじの唐錦(からにしき)

夏は涼しき月の絹

冬は真白き雪の布


見よや人々美しき

この天然の織物を

手際見事に織りたもう

神のたくみの尊しや



日本人と水


大槻文彦著:『新訂大言海』(冨山房,昭和31年) の“みづ”の項には,つぎのように記されているよ(引用の一部を省略)。

水[此語、清濁両呼ナレバ、満(ミツ)の義カ、終止形ノ名詞形ハ、粟生(アハフ)ノ類、水ノ神ノ罔象(ミヅハ)、美都波(ミツハ)(神代紀、上十)アリ](一)流動物。所在ノ地ヨリ沸キ出ヅ。空気ト共ニ、最モ人ニ要アリ、熱ニ遭ヘバ、湯ト成リ、気ト成リ、寒サニ遭ヘバ、氷ト成ル。(二)酒ノ稱。(酒ハ米ノ水ナレバ云フ)萬葉集十六十三「味飯ヲ、水ニ醸ミ成シ、吾ガ待チシ、代リハゾナキ、タダニシアラネバ」(略解ノ訓)水にするトハ、流ス、無クスルコト。叉、休マスルコト。(相撲ニ)水にゑがくトハ、映リ、忽チ消ユノ意。水に流すトハ、拭フ、白紙トスル意。叉、忘レ去ルコト。水を汲むトハ、凧ニ云フ語、スクフ状ヲ云フ。水の泡トハ、極メテ消エヤスク、ハカナキコト。水も漏らさずトハ、少シノ間隙モナキニ云フ。叉、交リ極メテ親シ。情密 伊勢物語、第二十八段「ナドテカク、逢フコガタミニ、ナリニケン、水もらさじト、結ビシモノヲ」水を差すトハ、人ノ濃キ中ニ、水ヲ加ヘテ薄クスル意ニテ、中違(ナカタガヒ)セシム。水の垂るトハ、極めて麗ハシキ意。


国技・相撲の水は,平安朝の宮中行事のにすでに記録されているそうだよ。「水をつける」,「力水」,「水入り」などの言葉とともに,水は相撲の歴史とともにあったんだ。

日本人なら,水とともに,鴨長明を思い浮かべるに違いないし,魚も泪した芭蕉の晩春の千住の旅立ちを忘れることはできないんじゃないの。


曾根崎心中  徳兵衛・おはつ  道行


『曾根崎心中』 のことを思うたびに,直ちに次の件が頭に浮かぶんだ。


此の世(よ)の名残(なごり)。 夜も名残(なごり)。 死(し)にゝ行(ゆ)く身を譬(たと)ふれば あだしが原(はら)の道の霜(しも)。一足(あし)づゝに消(き)えて行(ゆ)く。 夢(ゆめ)の夢(ゆめ)こそあはれなれ。

あれ数(かぞ)ふれば 暁(あかつき)の。 七つの時が 六つなりて 残(のこ)る一つが今生(こんじょう)の。鐘(かね)の響(ひびき)の聞(きゝ) 納(おさ)め。寂滅為楽(じゃくめつゐらく)と響(ひび)くなり。鐘(かね)斗かは。 草(くさ)も木(き)も。空(そら)も名残(なごり)と 見上(あ)ぐれば。 雲(くも)心なき水の音(をと)。 北斗(ほくと)は冴(さ)えて 影映(かげうつ)る 星(ほし)の妹背(いもせ)の 天(あま)の川(かわ)。梅田(むめだ)の橋(はし)を鵲(かささぎ)の 橋(はし)と契(ちぎ)りていつまでも。われとそなたは女(め) 夫星(をとぼし)。必(かなら)ず添(さ)うと縋(すが)り寄(よ)り。二人が中(なか)に降(ふ)る涙(なみだ) 川(かわ)の水嵩(みかさ)も増(ま)さるべし。


『曾根崎心中 冥途の飛脚 他五篇』
近松門左衛門作 祐田善雄校注
岩波文庫 43ページ
曾根崎心中(下巻) Ⅰ 道行


水をこれほど大げさに,かつ情感をもって描いた人を私は知りません。水のこんな発想は,西洋の論理からは決して出てこないと思うよ。水を深く考えれば考えるほど,日本と西洋の対比に考えが向くよ。先人の言葉に耳を傾けるとき,三十一文字の国・日本を実感するんだよ。


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付け加えておきたいことがあるよ。私が20年近く前に書いた『水の書』(共立出版,1998)のなかで,曾根崎心中の道行の場のことにほんの少し触れました。当時,私は文楽なるものを一度も見たことが無かった,つまり,曾根崎心中を,紙の上の,音のない世界で2次元的にしか理解していなかったんだ。それで,これはまずいと考えて,ちょうどその時,国立芸術劇場で上演されていた曾根崎心中の実物を聴いて,自分の知識を3次元化したんだ。太鼓など,独特の音の響きに納得しました。今でも,あの音は耳に残っているよ。




by yojiarata | 2014-01-10 22:02
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