ご隠居さん 大槻文彦って誰なの。それがどんな話題に発展するの。 ま そう先を急がずにゆっくり話を聞いてちょうだい。 ひと昔前のはなしになるけど,青少年のために,『自分をつたえる』 (岩波ジュニア新書,2002) を書いたんだ。だけど,商売にならなかったとみえて,出版社の方針で,すぐに絶版になってしまったよ。自分では,時間をかけて書いたよい本だと確信をもっていたんだけどね。 ただ,不思議なことに,私立中学の模擬試験にはよく引用されたり,実際の試験に出題されたりして,いまだに ”人気 ” があるんだよ。 この本で青少年に伝えたかったのは,自分を如何にして的確に表現し,それを相手に伝えるか,それには,詰まるところ,日本文化について,理解を深めることが本質的に重要なんだという趣旨のことを書いたんだ。 とくに,日本で最初の近代国語辞典 『言海』 を完成した大槻文彦については,何ページかを割いて,紹介しました。 ここでは,そこで本を執筆するときに集めて資料をもう一度見直し,さまざまのエピソードの中から,大槻文彦の業績を改めて振り返ってみたいんだよ。 ここに,煉瓦のような,さいころのような, 『言海』 があるよ。神田の古書店で大枚を投じて購入したものです。 重さ 860 グラム 大きさ 13 × 27 × 5 センチ 明治三十八年十二月十五日 第百五拾版発行 著者兼発行者 大槻文彦 東京府北豊島郡日暮里村大字金杉二百五十八番地 發行所 合資會社 吉川弘文館 ![]() ![]() ![]() 高田宏 『 言葉の海へ 』 には,手帳を四六時中はなさず,耳に聞くこと,幼少時から記憶したことを思い出すたびに書きつける大槻文彦の言葉が再録されています。 酒宴談笑歌吹のあいだにも,ゆくりなき人のことばの, 文彦のこの言葉は,教えたり,講演したりすることを生業としてきた私にも非常に参考になりました。何か月も先に予定されている講演に関係のありそうな事柄がふと耳にとまったとき,それをメモしておくのが習わしになりました。この作業の積み重ねで,話に即興性がでるんだよ。 官僚が書いた文章を棒読みにするような総理大臣の演説は,人の心を捉えることはないよ。もっとも,一党独裁になってからは,声だけやたらにでかくなったけどね。中身は何も変わっちゃいないんだから,はなしにもなにもならないんだよ。 大槻文彦は,杉田玄白,前野良沢を師として,日本の近代化の曙の時代を蘭学とともに歩んだ大槻玄沢の孫にあたります。文彦は,祖父・玄沢の言葉 およそ,事業は,みだりに興こすことあるべからず, を座右の銘とし,寝食を忘れて辞書の完成に取り組んだよ。苦闘の末に完成した 『言海』 の 跋文(ばつぶん)に,大槻文彦は
と書いています。 17年の歳月を要して完成された『言海』が出版された明治二十四 (1891) 年の翌年,山田美妙(びみょう) 『日本大辭書』 が出版されているよ。国会図書館を訪ね,口述速記によってわずか一年二ヶ月で完成したと伝えられているこの辞書を開いてみて唖然としたね。 長文の「緒言」には,『言海』に対する攻撃的な批判が随所に声高に書かれているんだ。このこと自体,きわめて異例のことだけど,私が驚いたのは,辞書全体がほとんどの部分が 『言海』 の丸写しだということだよ。丸写しといって差し障りがあるなら,『言海』をつねに横に開いておき,少しづづ追加,修正を書き込んでいったといってもよいと思うよ。 『言海』 は,とくに名詞,中でもさまざまな動物の記述に,なるほどと納得させられるものが少なくないよ。例えば,「ねこ」の項には,つぎのようなくだりがあります。 ・・・・・ 其晴(そのひとみ),朝ハ円ク,次第ニ縮ミテ,正午ハ針ノ如ク,午後復(ま)タ次第ニヒロガリテ,晩ハ再ビ玉ノ如シ,陰処ニテハ常ニ円シ ・・・・・ 知恵を絞りぬいた大槻文彦の努力の跡がしのばれるよ。ところが,驚いたことに,『日本大辞書』 には,「ねこ」の項にまったくといってよいほど 同じことが書かれているんだ。「いぬ」 も 「さる」 も 「きじ」も,『日本大辞書』 の説明は,『言海』 のコピー同然だよ。百年前には,こんなことが容認されたんだろうか。しかし考えてみれば,一年二ヶ月で作った辞書だから,“ 粗製濫造 ” としかいいようがないのは無理もありません。粘り強い努力だけが本物に到達するという教訓にしたいね。 大槻文彦は六十六歳から,『言海』 の 改訂版 『大言海』 に十年以上も取り組んだけれど,遂に完成をみることなく他界しました。助手を務めた大久保初男 によって,さら に十年後の昭和十七年に完成した 『大言海』 は,大槻文彦 『 新訂大言海 』 (冨山房創立七十年記念出版,冨山房)として,昭和三十一年三月一日,新訂版が発刊されたよ。私の手元にあるには,昭和四十六年五月十日 新訂版三十七版です。 ![]() 重さが 3800 グラム。威厳のある装丁の,前に置くと思わず頭を垂れたくなる辞書だね。 今思い出したんだけど,戦前,小学校では,授業が始まる前に,まず教科書にお辞儀をしてから,教科書を開いたものだよ。誰に強制されたわけでもないんだけどね。 言葉の説明を単に機械的に求めるのであれば,書店に並んだ 国語辞典 のなかから手ごろなものを購入すれば 目的を達することができるよ。これで何も困ることはないn。しかし,読むほどに興味がつきない 『言海』,『大言海』 からは,「思ひさだめて興すことあらば,遂げずばやまじ」を座右の銘として辞書つくりに打ち込んだ大槻文彦の肉声が聞こえてくる思いがするんだよ。 君も,この素晴らしい辞書を,図書館でぜひとも開いてみてちょうだい。 大槻文彦の辞書は,“ 作った辞書 ” ではなく,“ できた辞書 ” だと思うよ。この点もまた,辞書に限らず,世の中一般に通じることだね。日本は今後50年間で30個のノーベル賞を目指そう,そのために必要なお金は国が出そうといった政治家がいるよ。ノーベル賞もまた,お金を出して作るものではなく,努力の結果として気がついて見ればできているものであることを,この政治家はまったく理解しておられないんだよ。
by yojiarata
| 2013-12-14 22:24
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