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不如帰



ご隠居さん 今日は古い話題のようだけど,どのように発展するのかな。

***


明るい話題じゃないんだ。だけど大事な話だから是非読んでちょうだい。


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嘗ては,日本人の死因の一位を
占めていた病



結核に罹ると,特効薬が発見されるまでは,空気のきれいなところで静養するしかなかったんだ。私が大学に入学した頃も,「サナトリウム」 という言葉は身近な存在だったよ。結核に罹って休学を余儀なくされた友人もいたしね。

ちなみに,結核に罹って命を落とした人には,インターネットで見ると,

ショパン(1810-1849)

ナポレソン2世(1811-1832)

高杉晋作(1839-1867)

陸奥宗光(1844-1897)

小村壽太郎(1855-1911)

正岡子規(1867-1902)

高山樗牛(1871-1902)

国木田独歩(1871-1908)

樋口一葉(1872-1896)

滝廉太郎(1879-1903)

長塚節(1879-1915)

石川啄木(1886-1912)

竹久夢二(1884-1934)

梶井基次郎(1901-1932)

堀辰雄(1904-1953)

秩父宮雍仁親王(1902-1953)

ヴィヴィアン・リー(1913-1967)

高野公男(1930-1956)

などがいるよ。


結核の予防,治療法など,現在では大いに進歩したけど,今でも ,日本国内で結核がもとで,年間2000人以上の人が命を落としていることを知っているかい。



徳冨蘆花『不如帰(ほととぎす)』


『不如帰』(ほととぎす)は,明治31年(1898年)から32年(1899年)にかけて国民新聞に掲載,のちに出版されて大ベストセラーとなったんだ。

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岩波書店 初版本復刻シリーズ 昭和十一年九月十八日 第一刷発行


粗筋

片岡中将の娘浪子は,海軍少尉川島武男男爵との幸福な結婚生活を送っていた。実家の冷たい継母,気むずかしい姑に苦しみながらも,日清戦争へ出陣して行った武男の帰りを待つ。結核に感染した浪子は,それの理由に,武雄男爵との離婚を強いられ,夫を慕いつつ死んでゆく。



著者の徳冨蘆花は,第百版『不如帰』の巻首に (何と,第百版だよ!!!) に書いているよ。

不如帰が百版になるので,校正方々久し振りに讀むで見た。

お坊ちゃん小説である。 ・・・・・ あらを云ったら限りが無い。

百版と云う呼聲に對しても今些どうにかしたい気もする。

併し今更書き直すのも面倒だし,到頭ほの校正だけにした。

・・・・・

不如帰のまづいのは自分が不才の致す處,

其にも関せず讀者の感を惹く節があるなら,

其は逗子の夏の一夕にある

婦人の口に藉って訴へた「浪子」が

自ら讀者諸君に語るのである。

要するに自分は電話の「線 はりがね 」になったまでのこと。


明治四十二年二月二日

昔の武蔵野今は東京府下

北多摩郡千歳村粕谷の里にて

徳冨健次郎識




『不如帰』 の名場面 [下編 三七五-三七六]

浪子は,口を閉じ,眼を閉じ,死の影は次第に其面を掩むとす。

中将は更に進みて

「浪,何も言遺す事は無いか。 ―  確かりせい」

なつかしき聲に呼びかへされて,纔に開ける眼は加藤子爵夫人に注ぎつ。

ふじんは浪子の手を執り,

「浪さん,何も私がうけ合った。安心して,阿母の所に御出」

幽かなる微咲の唇に上ると見れば,見る見る瞼は閉じて,

眠るが如く息絶えぬ。

さし入る月は蒼白き面を照らして,微咲は猶唇に浮べり。

然れど浪子は永く眠れるなり。



俳誌 「ホトトギス」 と 公職追放


終戦後,連合国軍総司令部(GHQ)は日本の軍国主義の復活を警戒し,面に,裏に,様々な活動を行っていたことは知っているでしょ。そのほとんどが,現在も闇に葬られたままになっていることもね。

昨日の新聞に,正岡子規や高浜虚子が選者を務めた俳誌「ホトトギス」の戦時中の複数の号が,裏表紙が切り取られた状態で発行元の「ホトトギス社」(東京都千代田区)に保管されているのが見つかったという記事が掲載されたよ。GHQ などが行った戦争責任の調査と恐れて切り取ったとみられるそうだよ。

ホトトギス社によると,切り取られたのは,1941年11月から翌年の9月号の1年分。

切り取られた部分に,虚子の身辺や社会情勢にまつわる所感をつづる 「消息」 欄が掲載されていたと言うんだ。

虚子の記事は,例えばこんな調子だよ。

「戦捷の新年を慶賀致し,皇軍の赫々たる戦果に唯々感激致すものであります(42年1月号)」,「シンガポール陥落のことを心から慶祝いたします」 (3月号) など,旧日本軍の快進撃を喜んでいるんだ。

こんなことは,公職追放の理由になるものじゃないことは,戦時下の軍国少年・荒田洋治が断言するよ。だって,”勝った勝った” と,毎日,ド派手に騒いで,我々をその気にさせたのは,新聞,ラジオじゃないの。

結局,文学者に戦争協力させた日本文学報国会の俳句部の会長の経験者だった虚子や,会長の徳富蘇峰は責任を問われ,公職追放されたよ。ちなみに,徳富蘇峰は,徳冨蘆花の5歳年上の兄貴だよ。大変な不仲だったらしいよ。第一,徳富(蘇峰),徳冨(蘆花)で,トミの漢字が違うでしょう。気が付いたかい。


大山巌元帥の連れ子 と 川島浪子のモデル


大山巌は先妻との間に娘が3人いたんだ。結核のため20歳で早世した長女の信子が浪子のモデルと言われているよ。「あああ,人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」の名セリフが当時の流行語にまでなったそうだよ。

家庭内の新旧思想の対立と軋轢、伝染病に対する社会的な知識など当時の一般大衆の興趣に合致し,広く読者を得たんだろうね。

一つ付け加えるとすれば,大山元帥の再婚相手は,鹿鳴館の華 ともてはやされた大山捨松だよ。彼女は,スペイン風邪にかかって,59歳で他界したと記録は伝えているよ。


【追記1】

次の著作が参考になるよ。

福田眞人 『結核の文化史 - 近代日本における病のイメージ』 (名古屋大学出版会,1995)

福田眞人 『結核という文化 - 病の比較文化史』 (中公新書,2001)


【追記2】

椿姫は,結核に侵された悲劇のヒロインなんだけど,オペラにすると,昔の郵便ポストのような体格の歌手が出演せざるを得ないので,何だか滑稽な感じになってしまうのが残念だね。


【追記3】

逗子銀座通り入口にある 「三盛楼浪子最中本舗」 で売っている 「浪子最中」 は絶品だよ。お勧めします。




by yojiarata | 2013-11-06 20:01
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