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文明の利器 自動車の巻 



文明の利器だなんて,また,突拍子もないことを書く気じゃないだろうね。それに,ご隠居さん,運転免許証なんて,もっているの?

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まぁ 落ち着いて。昔の苦労話をするから,聞いてちょうだい。


1) 自動車社会で暮す


1971年の1月にアメリカで修行することになったんだ。滞在先はカリフォルニア州パロアルトにあるスタンフォード大学医学部病院,薬理学教室。近くにシリコン・バレーがあったよ。おかげで,IT 時代の幕開けを肌で体験したよ。 

アパートから,通うには,徒歩(不可能),自転車(自動車に刎ね飛ばされ危険性高い),バス(朝,昼,晩の3本のため役に立たない)というわけで,どうしても自動車になるんだ。

やむなく,アメリカに向けて出発する直前の1970年の秋,齢30後半になって,自動車教習所に通う羽目になったんだ。ところが,当時の教習所の指導員は,威張っていて,情けない思いをしたよ。いまは,教習所は,” お客さん ” を下にも置かぬ扱いらしいけど。

私の知人は,指導員と喧嘩して止めてしまったんだ。彼氏は,筑波で仕事をしていたんだけど,筑波はアメリカと同じで,自動車なしにはやっていけないんだよ。結局,自転車を使っていたよ。

アメリカに行ってみたら,アメリカで運転するなら,免許の取り直しが必要だといはれて,取り直しました。日本と大変な違いで,筆記試験は,友達と一緒に行って相談しながら答案を作ればよいので,100%合格。あとは,免許を持った人が同乗すれば,路上で練習可能。これは,日本と同じ。私は,教習所のようなところに行って,おば様の指導員に,2,3度教わって,その後,試験,そのおば様から OK がでて,無事,アメリカの免許をとったんだ。

それに,当時から,アメリカの情報網はすごかったよ。1970年代の後半だったと記憶しているんだけど,3週間ほどの短期の滞在のため,レンタカーを借りて,自動車保険に入るために,近くの保険会社に行ったんだ。貴殿は,これまで,アメリカでチケットをもらったことはないかというもんだから,無いと答えたら,ちょっと待てと言って何かゴソゴソとやってすぐに応答があり,

貴殿は,1972年の8月にキング・シティーで,

速度制限オーバーで,42 ドルの罰金を徴収されている。


と記録があるいうんだよ。恐れ入りましたと言うほかなかったね。

要するに,アメリカでは免許を取るのは非常に簡単だけど,事故を起こしたらお金もかかるし,大変だよね。

アメリカでは,免許がすぐとれるから,1週間か10日,滞在して免許を取り,日本で書き換える連中がいたんだけど,今は,たしか,1年以上滞在することが必要になったはずです。


2) 自動車の技術革新


キーワードは,ギア・チェンジ,パワー・ステアリング,パワー・ブレーキ だよ。

日本で免許を取った時にまず苦労したのが,ギア・チェンジ。ギア・チェンジの度に,どどど~と床が揺れて,エンスト。情けなかったよ。次にハンドル(アメリカでは,ハンドルではなく,ステアリングというよ)とブレーキ。

現在,自動車に乗っている人は,ハンドルもブレーキも,余分のガソリンを消費して,”パワー化されている” から,ハンドルは,右手の甲でくるっと回るし,ブレーキもつま先でちょっと触ると OKでしょ。私が自動車を使いだしたころは,パワー・ステアリング,パワー・ブレーキへのちょうど,移行期だったんだ。ギア・チェンジ も オートマティックになって,少なくとも,われわれ素人は,ギア・チェンジの悩みから解消されたんだ。

移行以前は,自動車の運転というのは力仕事だと思っていました。何をするにも,ヨイショ,ヨイショと力いっぱい。

私の自動車の修理などの面倒を見てくれた人が,中部・東部アメリカで使われた中古車は買うなと助言してくれました。雪が凍らないように,道に塩を撒くでしょ。そのため,床がやられているんだ。彼は,一度,急ブレーキをかけるため力一杯ブレーキを踏み込んだら自動車の床を踏み抜いたと言っていたよ。

オートマの自動車(1973年当時)は,エンジンを掛けるときに,ブレーキを踏んでないと急発進して怖かった記憶があるね。10年ほど前に運転を止めたから,今は,どうだか知らないけど。文明の利器というのは怖いものなんだ。


3) 恐怖の円安時代を生きる


1970年当時は,1ドルを手にするのに,360円が必要な ”超円安の時代” だったんだ。旅券も,公務員(当時の私)の場合は,1回しか使えない ”公用旅券”。

終りに,我ら一家が,1971-1973年の2年間乗っていた自動車の写真です。大きさが分るように,物差しとして,3 歳 と 5歳 の子供の写真を入れておくよ。

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FORD Garaxie 5000


排気量は 5000-CC ,物凄いでしょう。

当時は,アメリカの人々は,ガソリンはただのようなものだと思っていた節があるね。1000とか1500のような小さいのは,パワーもないし,グシャッとすぐつぶれるから乗りたくないと,とくにご婦人方はいっておられたよ。

信じられないかもしれないけれど,1970代の初め頃,この FORD Garaxie 5000 を運転すると,

ガソリンは,1 ガロン 30 セント [すなわち,1 リットルが 2850円 ]

走行距離は,1 ガロン(3.8 リットル)で,6 マイル (10 キロ) [すなわち,1 リットルで 3キロ 未満]

今から見ると,お化けのような怪物だね。だけど,アクセルを踏んで,ブーンと走るのは,夢のように凄かったよ。まぁお金を撒いて走るようなものだったね。我々日本人にとっては。



昔噺はこれでおしまい

by yojiarata | 2013-10-14 22:47
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