眼科医でもあり,言語学者でもあったザメンホフ(1859-1917)は,世界中のひとが共通に使うことのできる人工の国際語 「エスペラント」 を創り,それを普及させることを夢見ていた。 ザメンホフは帝政ロシア領時代のポーランドの小都市リトアニアに生まれた。この地方は,ヨーロッパの四つの端,スカンジナビアからコーカサス,ウラルからイベリアを結ぶ線の交叉点にあたり,古来,ヨーロッパ列強の影響のもと,さまざまな民族がひしめきあい,絶え間のない抗争が続いた不幸な地域だった。しかし,この地域からは,コペルニクス,カント,ショパン,キュリー夫人,ローザ・ルクセンブルグなど,歴史に名を残す多くの人々がでている。ザメンホフの夢には,この地に生まれたことが大きく影響している。 ラテン語の sperare(希望)に由来するエスペラント(Esperanto)は,はじめはザメンホフのペンネームだった。エスペラントはその後,ザメンホフが創った「国際語」そのものを指すのに用いられるようになった。ザメンホフは,自分の国の言葉と文化を大切にしながら,言葉と文化を異にする人々が国を越えて交流することを目的として,ヨーロッパ諸国の言語を基本とし,文法を整理してエスペラントを創った。 ![]() 伊東三郎『エスペラントの父 ザメンホフ』岩波新書より ザメンホフは28歳の1887年,『エスペラント博士著 国際語 序論ならびに学習全書』を発表した。現在のB6版より少し大きい40ページの薄い本だったという。そのなかで,ザメンホフはつぎのように書いている。
この文章を読むと,ザメンホフの理想が大変によく理解できる。ザメンホフの生まれたリトアニアがそうであったように,エスペラントはヨーロッパ列強の狭間に翻弄された。ザメンホフがユダヤ人であったこともあって,エスペラントはナチスドイツの弾圧にあった。しかし,ザメンホフの目指した理想が多くのひとびとの共感をよび,エスペラントは次第に世界に浸透していった。ザメンホフのほかにも,国際語,世界語を創ることを試みた人が大勢いたようであるが,あとに残ったのはエスペラントだけである。 明治39(1906)年には,日本エスペラント協会が発足した。会員の数は必ずしも多くはなかったが,熱狂的なエスペラントの支持者が日本にも生まれた。各都市に設立された日本エスペラント協会の支部は,エスペラントの普及に尽力した。 町医者であった私の父親もエスペラントに熱中し,学生,若いおじさんたちを毎週自分の家に集めて,会を開いていた。会話はすべてエスペラント。筆者は,その会の熱気に驚くとともに,大願成就は熱心さによってはじめてもたらされるのだと子供心に実感したことを記憶している。 現在でも,エスペラントの熱烈な支持者は世界中にいる。しかし,英語があまりにも強力な“国際語”になってしまったことはいまや何人も否定できない。例えば,20世紀の前半までは,ドイツ医学が世界を席巻していた。そのため,医師であるためにはドイツ語を身に付けることが必須の条件だった。当然,診察記録を記すカルテの記載にはドイツ語が使われた。 しかし,第二次大戦後は,ドイツ医学が衰退し,アメリカを中心とする新しい医学がこれにとってかわった。その結果,医学書も国際会議も,用いられる言語はすべて英語になった。誇り高く英語化の波に抵抗していたフランスでも,時代の流れとともに徐々に英語が勢力を拡大していった。 後日譚 もう30年以上も前のことになる。 山口大学医療短期大学部の緒方幡典先生に招待していただき,学生に筆者の専攻するNMRの講義をする機会があった。その時,父親がエスペラントに夢中になっていますとお話しした。 先月の5月24日,緒方先生から手紙がとどいた。そこに,次のように書いてあった。 先日受け取った日本エスペラント協会発行の2012年エスペラント運動年鑑の団体名鑑の中に,岡山エスペラント会の項目があり,この会は1920年に設立されたが戦時中に衰退し,1953年に再建された。初代会長は荒田一郎(皮膚科医)とありました。・・・・・ ひょっとするとこの方は,先生のお父様ではないかと思い,その部分をコピーしてお伺いしようと思い立ちました。・・・・・ ![]() さっそく返事を書いた。 緒方先生よりの返信(平成25年6月3日) お葉書有難うございました。思った通りと納得いたしました。 お父様が初代会長として活躍されていた頃,私は佐賀大学で西洋史の西海太郎先生からエスペラントを教わりました。当時は時代的にも混沌としていましたし,教える先生も,習う生徒も何かを求めて真剣でした。恐らく先生のお父様もそのようだったと想像します。・・・・・ ひょっとすると岡山エスペラントの会の三代目会長の原田英樹先生も荒田一郎先生のお弟子の一人かもしれません。 ・・・・・ 今先生のお父様に西海太郎先生の面影と重ね合わせ当時を思い起こしております。 エスペラントによって,久しぶりに父親と再会した。
by yojiarata
| 2013-06-07 22:11
|
外部リンク
最新の記事
メモ帳
荒田洋治 昭和一桁最終便 覚え書 (アドア出版, 1995,絶版) 荒田洋治 昭和平成春夏秋冬 改訂・Web 版 (2016) 左クリックして ください。 これまでにこのブログに掲載した記事は,以下の通り,年度,月別に掲載されています。 以前の記事
2018年 09月 2018年 07月 2018年 05月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 02月 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||