私の中学生時代は,昭和20(1945)年から昭和23(1948)年の3年間。 宇野線 宇野 → → → → 妹尾 → 大元(おおもと) → 岡山 (終着駅) 昭和20年6月28日に空襲で我が家が全焼,母の実家で一家で居候をしていた。中学校までは一里余り。母の実家から大元駅まで徒歩20分,大元駅から汽車で10分,岡山駅から市電で15分で学校に着く。 汽車で10分といったが,実際には,” われわれ生徒は,貨物を載せて運ぶ車両に押し込められ,岡山駅まで運ばれた” と表現するのが当たっている。 色々なことを思い出す。 我々は,箱,すなわち貨物の車両にギュウギュウ詰めにされて,次の駅まで運ばれた。記憶によれば,箱に詰められて運ばれたのは,男子だけ。女学生だって大勢居ただろうに。 それに,当時はセクハラなんて概念は存在しなかった。何故男子だけだったのだろう。我が歴史の謎である。 箱のなかでは,先輩たちの ”鄙猥な話” を散散聞かされた。これが面白くて大変勉強になった。 そして,最大の楽しみは,特等席を確保することである。 D51機関車の特等席 [1号機 (ナメクジ型)] 先頭の部分に,4,5人は座れる空間がある。特等席に座りたい生徒の数知れず。私も2,3回 特等席を獲得したが,多い希望者の中から,どうやって順番を決めていたか全く記憶にない。 特等席に中学生を載せて,列車の運行係の警告もなく,汽車はノロノロ と岡山駅に向かった。 70年以上も前のこととはいえ,列車の運行を管理する国鉄の職員さんは,危ないから降りろ!など一言も注意しなかった。こうして,今となっては再現することのできない,幻のような特等席の楽しみが記憶に残ることになった。 新しい新幹線ができたとか,今日でこの路線の運転がお終いになるんだなど,そのたびに,カメラをもって大勢のマニアが集まる。昔を体験した筆者は,”冒険というものがない,一体何が面白くて” と思う。
by yojiarata
| 2013-05-16 18:59
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