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「上海帰りのリル」 と 松本清張



つい最近,NHKラジオ深夜便で,津村謙『上海帰りのリル』を懐かしくも聴いた。筆者が大学に入学する前年の昭和26年の大ヒット曲である。

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深夜便で『上海帰りのリル』を聴きながら,松本清張の短編『捜査圏外の条件』が直ちに頭に浮かんだ。

『カルネアデスの船板』 に収載
角川文庫 昭和36年 (90円)

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松本清張は,『ある小倉日記伝』で,昭和27年(下半期)の芥川賞を受賞した。清張の初期に短編には,素晴らしい作品が多い。ちなみに同年(上半期)の芥川賞は,五味康祐『喪神』 が受賞している。いずれも,最近のなよなよした意味不明の芥川賞とはまるでレベルが違う。

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『捜査圏外の条件』は,東京の大手銀行に勤務する31歳の男の復讐を描いた清張初期の傑作である。

ここでは,粗筋を追う形で再現してみる。

昭和二十五年四月,今から七年前

黒井の妹・光子は,当時二十七歳,十九歳の時に結婚し,終戦間際に夫を喪った戦争未亡人。

独身の黒井が引き取って同居している。光子は朗らかな性格で,銀行が退けて家の近くまで来ると,「上海帰りのリル」などが聞こえてきたりする。その頃、流行りはじめた唄で,光子はそれが好きだった。黒井は,うるさいといって,よく光子を叱った。

笠原は,近くに住んでいる銀行の同僚。年齢こそ四十を出ているが女出入りの多いと評判の悪い男である。

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光子の失踪

「兄さん。明後日は輝男の命日で,しばらく墓参りしていませんから,田舎に遣らせてください。」

あくる朝,光子は元気よく家を出た。うれしいのか,暗いうちに起きて支度しながら,さすがに低音で,例の「上海帰りのリル」を唄っていた。

黒井は恰度出勤する自分と新宿駅まで同行した。東京行きの満員電車の中で自分に彼女は手を振った。

光子は,それきり失踪した。

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光子の死

光子は墓参りではなく,お墓から遠く離れた温泉地の旅館に男と宿泊した。光子は狭心症の発作で死亡した。

スーツケースから,名刺挟みが毟りとられていた。ハンドバッグの中の名刺入れ,光子の頭文字を縫いつけたハンカチも見当たらなかった。

黒井は,男の人相を詳しく聞き,宿帳の筆跡も見た。それは,笠原のものであった。卑怯にも,笠原は光子をその場に残して姿を消した。その笠原に,黒井は抑えがたい殺意を抱く。

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計画

笠原殺害の容疑者として,自らを捜査圏外に置かねばならない。そのため,綿密な計画を立てる。

銀行を辞め,宇部市のセメント会社に就職。自分と笠原の関係を断つため,計画を実行するまでに七年間待ことを決める。銀行の親しい後輩に銀行内部の人の動きを報せてくれるように依頼する。

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上海帰りのリル

七年後,情報によって,飲み歩いている笠原を出会える新宿の飲み屋街で三日目に笠原に再会し,飲み屋に入る。

飲むほどに,酔うほどに,笠井が小さな声で『上海帰りのリル』を唄いだしていた。自分もいつの間にか唄いだしていた。

「リル,リル,どこに居るのかリル,誰かリルを知らないか」 ― 歌っているうちに,うるさいと叱った光子の声が聴えそうで頬には泪が流れた。

「恰度,こいつが流行しているころだったね。想い出すよ,ね,君」

折から横を通りかかった若い女中が,ちらりとそう言う笠原の顔を見て,次に自分の顔に視線を投げた。瞬間のことだったが,笠原の言っていることを耳にしたに違いなかった。その証拠には,彼女も,リル,リル,と歩きながら唄いだした。

そのあと,ビールに青酸カリを入れて笠原に飲ませて,急いてその場を去る。

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破局

捜査当局が,自分と被害者とが,「リル」が流行し始めた頃,つまり昭和二十六年ごろには懇意の間柄であることを推察した。・・・・・ 女中の見た相客の顔から,昭和二十六年時点での銀行在職者の一人にそれを照合させるのは容易であった。
by yojiarata | 2013-04-11 00:05
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