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神田淡路町あたり  蕎麦とお汁粉



今年の2月20日,神田淡路町の「神田やぶそば」の木造2階建て店舗が半焼した。

東京のこの一角は,戦火を逃れ,いまに古い面影を残している静かで懐かしい場所である。このあたりを歩いていると,吸い寄せられるようにお汁粉の店「竹むら」の一階のテーブルに座って ”田舎汁粉” を注文している自分に気が付く。

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お汁粉と言えば,永井荷風を思い出す。

40歳の大正7(1918)年,自他共に認める「偏屈な自分」を,荷風自身が次のように語っている。

【正月七日。山鳩飛来りて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必ただ一羽わが家の庭に来るなり。・・・・・

されどわれはこの鳥の来るを見れば,殊更にさびしき今の身の上,訳もなく唯なつかしき心地して,在時は障子細目に引あけ飽かず打眺ることもあり。在時は暮方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど決して人に馴れず,わが姿を見るや,忽羽音鋭く飛去るなり。世の常の鳩には似ずその性偏屈にて離れ孤立することを好むものと覚し。何ぞ我が生涯に似たるの甚しきや。】

その偏屈な荷風の 昭和9 (1934)年正月 ”お汁粉旅日記”。

【正月二十日 ・・・ 諸氏と共に仲通の汁粉屋柳家に立寄りてかへる。】
【正月廿一日 ・・・ 柳家にて汁粉を食してかへる。両三日寒気稍寛なり。】
【正月廿二日 ・・・ 風吹き出でゝ寒気日中の寛なるに似ず遽に厳しくなりぬ。いつもより早く家に帰り。沐浴して寝に就く。】
【正月廿三日 ・・・ 燈刻銀座に食しキユウペルに憩い夜半柳家に汁粉を食して帰る。】
【正月廿四日 ・・・ 柳家にて諸氏と共に汁粉を食してかへる。】
【正月廿五日 ・・・ 風なけれど寒気甚だしければ銀座通も今宵は人出少し。黒パンを購い直に家に帰る。】
【正月廿六日 ・・・ 柳家にて汁粉を食してかへる。】
【正月廿七日 ・・・ 帰途諸子と共に今夜も柳家に立ち寄り汁粉を食す。寒月夜毎に明なり。】

お汁粉は更に続く。荷風がお汁粉を賞味するのは,さんざん飲んだり,食べたりの後の帰宅前の深夜近く,それも殆んど毎日,これでは腹痛が持病の身体に良いわけがない。しかし,物事,ここまで徹底すれば文句はない。

自らの体調については,次のように書いている。大げさで,何とも滑稽である。

昭和3(1928)年

【四月廿四日。 ・・・ 前月来何の故とも知らず身体の疲労を覚えること甚しく,精神また明瞭ならず,朝夕のわかちなく唯うつうつを眠気を催し殆支ふること能はざるなり,今年の一二月頃までは心つかれて創作に従事する事能はざる折には,古書の抄録または習字などしてわずかに身のさびしさを忘れゐたりしが,今はその果敢きたのしみさへ失はるるに至りぬ,悲しいかな,わが文墨の生涯もこの春を名残にして終を告るにいたりしならむ歟,唯怪しむべきは健康の頽廃既にかくの如くなるに食欲のみ猶平生に異らざることなり,】

昭和7(1932)年

【十二月初二。晴。夜半俄に腹痛を覚え苦悩暁に至る。】

昭和9(1934)年。

【四月十三日。 ・・・ 本年は洋服のみならず腹巻襯衣寝衣の浴衣等皆破れ古びて用をなさゞるに至れり。余の老躯も亦之に似たると謂うべし。千疋屋楼上にて晩餐を食す。・・・】

【十月十七日。霖雨歇まず風また烈し。腹痛痊えず懐炉を抱く。午後銀座尾張町新川洋服店店員新調の外套を持来る ・・・ 今日までの経験によれば冬の外套は七八年あまりも着られるなり。五年目位に裏返しをすれば前後を通じて十年間は着られるなるべし。此れを思えばこの度新調したる外套の破れて用をなさゞるに至るは十年後にして余は六十六七の齢に達する時なり。病躯果たして其年まで生存するや否や。日暮れて後雨歇む。銀座に往き蕎麦屋よし田にて茶漬飯と饂麺を食してかえる。】

昭和17(1942)年。

【七月七日。晴。腹痛やまず午後に至り鳩尾に差込み起り苦痛に耐えず。よろめきつゝ谷町通に至るに幸にタキシ来りし故呼留めてこれに乗り土州橋の病院に至る。注射二針におよびしが苦痛去るべき様子もなし。看護婦に扶けられ階上の病室に入りて臥す。終夜呻吟。】

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甘味が街から消えた終戦直後の記録から。

昭和21(1946)年。

【三月初二。 ・・・ 飲食店は一軒もなし。肴八百屋も跡を絶ちたり。汁粉売る物一軒目にとまりたれば一椀を喫して帰るに,五叟の家人あたかも新聞を前に汁粉にて死したるものあり,甘味に毒薬を用ひしがためなりと語り合えるところなり。予覚えず戦慄す。惜しからぬ 命もいざとなれば惜しくなるも可笑し。】

荷風は,昭和34(1959)年4月30日,市川の自宅でその生涯を閉じた。断腸亭日乗は死の前日に書かれた短い文章

四月廿九日。祭日。陰。

でおわっている。享年79。

毎日付き合う相手が偏屈おじさん・荷風であるという仮定の状況はどうにも考えたくない。しかし,荷風の文章は素晴らしく魅力的だし,また何ともいえず剽軽で面白い人物であることは確かである。

率直に言わせていただけるなら,筆者は『断腸亭日乗』のほかは,『荷風随筆集』,『江戸藝術論』(いずれも岩波文庫)などを別にして,荷風の書く小説には全く興味がもてない。好みの問題である。


引用は全て,『新版 断腸亭日乗,岩波書店,2001-2002』 による。
by yojiarata | 2013-04-06 16:32
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