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お国のために戦う  その2



安倍総理は,しばしば祖父・岸信介元首相を引き合いに出される。

岸信介(1896-1987)は,戦前,戦後を通じて,日本の歩む方向に甚大な影響を及ぼした人物である。総理大臣としての最後の仕事は,60年安保によって,日米同盟を決定的なものにしたことである。

岸のたどった道は,佐野眞一の著作に客観的データをもとに詳述されている。日本銀行総裁の人選を巡る安倍総理の強引ともいえる政策の進め方を理解するためにも,”満州の妖怪” と怖れられた岸の過去を知っておく必要がある。

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佐野眞一『阿片王 -満州の夜と霧-』(新潮文庫,2005,11-12ペ-ジ)から引用する。


【・・・・・ 建国後わずか十三年で地上から消滅した「満州帝国」という人口国家を視野に入れない限り,「戦後日本」,とりわけ高度成長期の日本の本当の姿は見えてこない。

・・・・・ 日本の高度経済成長のグランドデザインは,かっての満州国を下敷きにしてなされたような気がする。時の総理大臣として,高度経済成長に向け号砲を打ったのは,前総理大臣・安倍晋三の祖父の岸信介である。その岸が産業部次長として満州に赴任し,満州開発五ヶ年計画をたて満州国の経済政策の背骨をつくって,のちに「満州国は私の作品」と述べたのはあまりにも有名である。
筆者注 「第1次安倍内閣」(2006年9月26日-2007年8月27日)

満州で最も有名な日本人といわれたのは,”二キ三スケ”である。東条英(関東軍参謀長),星野直(満州国国務院総務庁長)の”二キ”と,岸信(満州国総務庁次長),松岡洋(満鉄総裁),鮎川義(満州重工業開発総裁)の”三スケ”である。

東条はその後首相となり,星野は東条内閣の書記官長となった。また松岡は外相となって国際連盟脱退の立役者となり,鮎川は日産コンツェルンを満州経済発展の起爆剤とした。

この経歴が示すように,彼らは有名だったばかりではなく,満州と日本のその後の運命を決めた男たちだった。】


満州から帰国後,岸は商工大臣として東条内閣に入閣した。

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岸は,極東国際軍事裁判でA級戦犯として逮捕され,巣鴨拘置所に収監される。東条英機を含む7名が処刑された翌日の昭和23(1948)年12月24日,岸は釈放された。岸とともに満州を牛耳った東条は,あの世でどんな思いでこのニュースを聞いただろうか。

出獄後,岸は公職追放の身分であったが,その後政界に復帰,結局,総理大臣に就任した。どこまでも幸運がついて回る男である。

60年安保で国中が揺れた年の6月18日深夜,新安保条約は自然成立した。日米が批准書を交換した6月23日,岸は閣議にて辞意を表明,7月15日,混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。

あいにく,栄枯盛衰は世の倣い,この総辞職の一日前の14日,岸は暴漢に刺され,瀕死の重傷を負っている。「満州国は自分の作品」と豪語したあの岸が,だらしない,哀れな姿で病院に運ばれるテレビの映像が今でも筆者の目に焼き付いている。

ともあれ,新安保条約の成立により,たとえどのような危険があろうとも,オスプレイの飛行訓練を遠くから虚しく仰ぎ見ることだけしかできない日本となった。



本稿の執筆に当たっては,前述の佐野眞一『阿片王 -満州の夜と霧-』(新潮文庫,2005)のほか,
佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮文庫,2008)も参考にさせていただいた。ここに記して謝意を表したい。
by yojiarata | 2013-03-10 22:46
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