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亭主をおしりに敷く所作  日本語と英語



10年以上も前のことになる。

大学を定年(当時は満60歳に達した直後の3月末日)で退職した後,縁があって農水省がつくばに設立した機能水研究所の所長を6年間務めた。

研究所が発足後しばらくして,オーストラリア人のビル君が主任研究員として加わってくれた。研究を活発に進め,ビル君のおかげで研究所の実績がどんどん上がっていった。

研究も然る事ながら,ビル君から多くのことを学ぶ得難い経験をした。そのうちの一つが英語である。

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ことの起こりは,筆者の書いた英語の小文がビル君の目に触れたことから始まる。ビル君は,筆者が,my hand on my waist と書いたのを目敏く見つけて,貴殿は,一体何を言いたいのかと訝しそうに問うた。私は即座に,腰に手を当てるのは,小学校の体操でも,駅のホームでぼんやり立っているときでも,「われわれ人間が行うはなはだ標準的かつ基本的な行為である」と答えた。

筆者の説明を熱心に聞いたビル君は,それなら my hand on my hip といわねばならないと主張した。少なくとも,英語には,my hand on my waist という表現はないと断言する。ビル君の奥方のハスナさんも全く同意見であった。英語では,決してそうはいわないとおっしゃる。

筆者は,ヒップというのは,卑猥である,いわんや,ヒップに手を当てるなどという表現は,このセクハラ時代に口が裂けても使いたくないと反論したが,ビル君もハスナさんも,ヒップに手を当てるという表現には,なんら卑猥な響きがない,どこが悪いのだと譲らない。

以下,その後の議論を要約する。なお,筆者の質問,コメントは,【・・・・・】のように示した。

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【hip の定義をうかがいたいと思います】

hip とは,お腹の下の,左右に飛び出している硬い部分のどちらかひとつを指します。


【そうすると,hip は普通名詞ですか。すなわち,数えられるのでしょうか】

その通りです。人間は hip を2つ持っています。左の hip と右の hip がそれです。ですから,貴殿の意図を正確に表現したいのなら,左の手を左の hip に当てる,あるいは右の手を右の hip に当てるといわねばならなりません。ただし,左の手をぐるりと回して右の hip に当てるのは,普通は不自然かつ困難です。これは,右の手についても同様です。従って,単に,手を右の hip に当てる,あるいは,手を左の hip に当てるといえば充分です。場合によっては,ただ,手を hip に当てるといっても,かまいません。


【それでは,waist とは何でしょうか】

waist とは,上の胸部,下の hip の間のくびれた部分です。


【waist はそのままウエストとなって,言葉としてはいつの間にか日本語として定着しています】。

日本語の辞書には,何と書いてあるのでしょうか?


【岩波広辞苑第六版には,

しり【尻・臀・後】

腰の後下部で、肉の豊かに出た所。肛門のあるあたり。臀部でんぶ。おいど。いしき。けつ。源氏物語帚木「簀子すのこだつものに―かけて」

と書かれています】

hip も いつのまにか日本語として使われているようですが,日本人は,一体どこを指してヒップといっているのですか。


【『医学用語辞典』の和英編には,ヒップの項目はありません。英和編では,hip = 股関節部と書いてあります。

洋裁では,ウエストから測って18センチ下です。平均の体型の人なら,ここがビルさんのおっしゃるヒップの位置です。

岩波国語辞典第三版によると,「腰の後ろの部分」です。“夫を尻に敷く”という例があがっています。岩波広辞苑第四版では,「腰の後下部で,肉の豊かに出た所。肛門のあるあたり。臀部。おいど。いしき。けつ。」となっています】

貴殿の説明をうかがった範囲でいえば,腰もお尻もヒップも,私たちが思っている hip と全く違いますね。

ハスナさんの発言 亭主をお尻に敷くには,私なら buttocks を使います。


【ハスナさん,buttocks を定義してください】

buttocks とは,椅子に座ったときに,椅子の平たい部分と直接接触する丸くて柔らかい突出した部分のことです。普通の人なら二つありますから,この部分全体を指すときには,複数形にして使います。


【日本語では,buttocks を含めて,うしろの膨らみ全体を漠然と指して,お尻といったり,ヒップといったりしているような気がします。ヒップは,ビルさんのおっしゃる hip を含むより広い部分,腰は buttocks より上,waist から下の,hip を含むさらに広範な部分だと思います。厳密なビルさんの定義では,buttocks と waist の間のうしろの部分を何とよぶのですか。日本語の腰は,そこを含むのですが】

子供の時以来,聞いたことがありません。


【お相撲さんのまわしは,どこに巻いてあると表現しますか】

お相撲さんは,まわしを hip の上に乗せるように巻いています。


【それは違うと思います。まわしは,腰に巻くのです。お相撲さんはお腹が飛び出していますから,注意して巻かなければいけません】

それはまずい。waist のまわりに巻いたら,苦しくて,相撲なんかとれないと思います。


【それでは,まわしはヒップの上に巻くのですか】

それはだめです。hip の上に乗せるようにして巻かねばなりません。


【何故ですか】

人体では hip がもっとも出っ張っていて,下に行くほど細くなりますから,ヒップの上に巻いたら,まわしがずり落ちて来るではありませんか。そんなことは,土俵の上でみんなに見られているお相撲さんには,絶対にすすめられません。これまで述べた全ての条件を満足するように,まわしは,waist の下に巻いて,hip で支えなければなりません。しかし,まわしを固定する上で,waist の役割は受動的です。能動的な役割を果たすのは,あくまで hip です。

***


NHKラジオの基礎英語1,2,3,続いてラジオ英会話(合計1時間,1日に何回か再放送される)を聴くとはなしに聴いている。ついこの間,どれかの番組で,先生が,

ヒップとおしりは違います


とおっしゃった。

ビル君はオーストラリアに帰国後,University of Western Sydney の教授に就任し,大活躍している。
by yojiarata | 2013-02-25 17:00
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