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望郷の詩



岡山から笈を負って上京したのが昭和27年。あれから60年になる。浜松までは蒸気機関車,トンネル内の煙には閉口した。浜松からは電化されていた。夕方に岡山を出発し,翌朝に東京に到着。その間,14時間。

コメは統制下にあり,「外食券」が必要な時代だった。学内の掲示板には,”外食券を売る”,”外食券を買う”の紙が貼ってあった。下宿もこの掲示板で見つけた。

下宿には,筆者とほぼ同年代の二人の息子がいた。東京生まれ,東京育ちの兄弟は,

君は,田舎があっていいね

とよくいっていた。田舎育ちの一人暮らしには,とくに夕暮れ時が何とはなしにわびしい。しかし,このわびしさを知らないのは,もしかしたら,不幸なことかも知れないと思った。

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1970年代の初め,仕事で滞在していたアメリカで,若くして逝った友・高野公男を訥々と語る船村徹をテレビで見た。胸が熱くなった。日本人向けに,日曜日の夕方に放送される番組だったと記憶している。高野公男作詞,船村徹作曲の『別れの一本杉』 (昭和30年)。

 遠い 遠い 

想い出しても 

遠い空  ・・・・・ 


春日八郎は故郷の一本杉を想いながら歌ったという。


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エリザベート・シューマンがジェラルド・ムーアの伴奏で1949年に録音したミニオンの望郷の詩は胸を打つ。ミニオンは,サーカスの一座とともに暗く寒いドイツを旅しながら,

Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiss, was ich leide.

あこがれを知るものだけが わが悩みを知る

と,シトロンの花が咲く明るいイタリアの故郷を歌った。

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エリザベート・シューマンは,この録音の3年後,66歳で他界している。ナチスドイツに追われて1938年アメリカに移り住んで以来,彼女は故郷の地ザクセンを二度と踏むことはなかった。

シューベルトは,ゲーテのこの詩に6回も曲をつけなおしている。もしかしたら,シューベルトにも,人知れぬ望郷の想いがあったのかもしれない。


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生まれ育った堺を23歳であとにした与謝野晶子が東京で詠んだ26歳の望郷の詩

 
海恋し

 潮の遠鳴りかぞへては

 をとめとなりし父母の家


の体言止めに,霞むような美しさが見えると 『 恋ごろも 』 (明治37(1904)年)の感想文を書いた高校生の長女は成人し,今,二人の子供を育てつつ,システム・エンジニアの仕事をしている。


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22歳のフィッシャー・ディスカウが1948年にベルリンで録音した『 まち 』(白鳥の歌)。若々しいバリトンによって夕映えに浮かび上がる 『 まち 』に,わが故郷が重なった。

ジェラルド・ムーアのピアノのそこはかとない響きとともに,フィッシャー-ディスカウのバリトン

Aber Vater und mutter sind lange tot

Es kennt mich dort keiner mehr

と流れる『異郷にて』(シューマン,リーダークライス作品39,アイヘンドルフ詩)を聴きながら,望郷の想いに,西洋も,東洋もないと思った。


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ここまで書いてきて,北アフリカのアルジェリアの砂漠で,非業の最期を遂げた10人の日本人を含む多数の技術者達の無念さを思う。望郷の念は如何許りだったろうか。

北アフリカの広大な砂漠から,祖国日本に思いを馳せる望郷の詩 『カスバの女』 (作詞・大高ひさを,作曲・久我山明,1955)が頭に浮かんだ人も少なくないはずだ。現在,You Tube で多くの歌手による録音を聴くことができるが,少なくとも筆者には,青江三奈さんによる望郷の響きが最も印象に残る。

亡くなられた方々,家族の方々に心よりお悔み申し上げます。

合掌
by yojiarata | 2013-02-18 20:00
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