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青春



はじめに,二人の日本人が中学生時代に書いた次の文章を読んでいただきたい。

ケムブリッヂのバックスの樹立に立ち,鏡のようなカム川に倒影を投げて春浅い灰色の空に聳えているキングス・カレ-ジの禮拝堂を仰いだ時の,あの深い感動は人間の一生にもそうたびたびあるものではないと思う。二十幾つのカレ-ジの禮拝堂から一齊に響き渡る,無数の天使が大空に翔る様を思わせるあの急調子の鐘の音をききながら,緑の芝生を廻って堂内に入り,端の席に坐ってパイプ・オルガンを演奏をきく。この同じ地球の上にこのようなものがあることを知らずに今まで過ごしてきたのか。長い年月の間に高い文化に育まれた人間の精神は,遂にこの世にこのようなものを造り上げていたのか。啓示という言葉がある。獨断かも知れないが,それはこのような場合に使われるのであろう。より雄大な,より豐富なアメリカの事物に接しても感じ得なかったこの強い感銘は何によるものであるか。それは古来この學園に傳った學問の力が背景となっているからであろう,と中學生は自問自答する。そしてその學問に對し,限りない畏怖の気持を感じたことを記憶している。

池田潔『自由と規律』岩波新書


池田潔は,第一次世界大戦の直後,中学在学中にイギリスに渡り,リ-ス・スク-ルに3年,ケンブリッジ大学に5年,ドイツに移ってハイデルベルグ大学で3年を過ごした。科学の歴史に偉大な足跡を遺したキャベンディシュの業績を讃えてケンブリッジ大学に設置されたキャベンディシュ研究所からは自然科学の歴史を変える業績が続々と生み出されてきた。この文章からは,イギリスが長年にわたって培った伝統の重みに瑞々しい感性をもって反応した中学生の池田少年の感動が率直に伝わってくる。

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日本の博物学の歴史に偉大な足跡を残した南方熊楠について,柳田國男は 『さゝやかなる春 南方熊楠』 のなかでつぎのように書いている。

非凡超凡といふ言葉を,此頃の人はやたらと使いたがるが,何かちつとばかりはた者と変つて居るといふ程度の偉人ならば,むしろ今日は有りふれてゐる時代だといってもよい。現に私なんかの仲間では,骨を折って最も凡庸なるものを,見つけ出そうとしてゐる。ところが我が南方先生ばかりは,どこの隅を尋ねて見ても,是だけが世間並みをいふものが,ちょっと捜し出せそうにも無いのである。七十何年の一生の殆ど全部が,普通の人の為し得ないことのみを以て構成せられて居る。私などは是を日本人の可能性の極限かとも思ひ,又時としては更にそれよりもなほ一つ向ふかと思ふことさへある。・・・・・

国の再興を大いなる夢として,かつかつ生き続けて居る人々にとっては,南方熊楠は大切なる現象であり,又一つの事件でもあった。是だけは忘れてしまふことが出来ない。

『定本柳田國男集 第二十三巻』筑摩書房


南方熊楠は,ロンドンにあって,胸をはって日本を主張し続けた。イギリスの雑誌 Nature には,南方熊楠の研究成果が多数の論文として掲載されている。

是ヲ以テ人ノ父母タルモノ、子ニ旨味ヲ食ハシメ繍錦ヲ 着セシムル事ニ注意センヨリハ、
当ニ幼時ヨリ学術ヲ勉励セシメ、人道ヲ了知セシムル事ヲ務ムベキナリ。

『南方熊楠全集 第十巻』平凡社


この文章は,明治13年,十三歳一ヶ月の南方熊楠が和歌山中学校在学中に執筆した作文「教育ヲ主トスル文」の結びの部分である。

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宮城道雄が筝曲の歴史上初めての表題音楽『水の変態』を発表したのは14歳の時であった。筆者は,このような素晴らしい先輩をもったことを日本人として大きな誇りに思う。



青春の詩

青春とは人生のある期間をいうのではなく,心の様相をいうのだ。
優れた創造力,たくましき意志,炎ゆる情熱,・・・・・
こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。・・・・・
歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ。
人は信念とともに若く,疑惑とともに老いる。
人は自信とともに若く,恐怖とともに老いる。
希望ある限り若く,失望とともに老い朽ちる。

サムエル・ウルマン『青春』(岡田義夫訳)


いまから百年近くも前に書かれたこの詩は,世界中の多くの人々の共感をよび,いまも愛誦され続けている。信念を失って干からびた二十歳の老人がいてもおかしくないし,希望に燃える八十歳の青年がいてもおかしくないのだ。

宮澤次郎『感動の詩賦 青春』(糸井出版,第十一刷,1989)
by yojiarata | 2013-01-08 21:40
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