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日本の科学技術政策とポスドク



荒田

このブログでは,さまざまな分野で研究活動をしておられる友人,同僚,先輩の方々との対談を掲載してきました。今回は,大阪大学蛋白質研究所・特任研究員・小林直宏博士にお願いしました。

はじめに,簡単な略歴をお願いします。

小林

筑波大学の生物資源学類,応用生物化学を卒業して博士号を1996年に取得しました。学振PD(※1),出身研究室で助手を務め,その後 ケンブリッジ大学に 3年半 滞在しました。帰国後は理研のタンパク 3000 で 7年間勤めた後,1年近く電気化学デバイス研究開発のベンチャーに加わりました。2009年に突然の不況で給与が支払われなくなりました。慌てて職探しとなり,阪大蛋白研に採用していただき現在に至っています。PI (※2) になったことはないので ポスドク 16年 を経験していることになります。

※1: 学術振興会特別研究員 PD
※2: Principal Investigator, 研究グループ主催者,責任者

荒田

欧米の先進諸国では,サイエンスの中核を担うのはポスドク (博士研究員)です。博士号を取得した若い研究者(20歳代)が,その実績をもとに,希望する研究室のボスと連絡し,セミナーあるいはインタビューを受け,合格となると,1年から 2年の契約で研究室の仕事をします。

私も,スタンフォード大学の研究室にいた1970年代のはじめ,インタビューに同席し,自由気ままに質問やディスカッションをしました。後でボスが私に,君なら採用するか?と意見を求めましたので,私だったらノーだと答えました。結局,彼の人は不採用になりました。

よい仕事をしたポスドクたちは,20歳代後半で,どこかの大学で,職(任期付)を得,その後,猛烈な勢いで自分の研究に打ち込みます。一人前の研究者として認められるため,サイエンティストたちが人生で最もエネルギーを注入する時期です。成果を広く認められた優秀な人は,30歳代で教授になります。大きな研究費を獲得し,大勢のポスドクをかかえて大々的に発展します。

小林

Cambridge 大学に在籍中も同じようなことを感じました。ポスドク採用のために自分が雇用しているポスドクから意見を聞くなど,雰囲気はオープンでした。日本ではありえない光景ではありましたが,それほど昔から変わっていないとは驚きです。

荒田

28-29歳で博士号を取得した大学院学生の進路は多様です。研究室でそのまま助手(現在は助教とよばれています)に採用される学生もいれば,民間企業に就職する学生もいます。現在では,多くの学生が国内外の研究室で博士研究員(ポスドク)になります。

日本でいうポスドクは,西欧先進国のそれとはまったく異なっています。

私の個人的な意見ですが,日本の研究制度の源流は,100年以上も前にドイツから導入された“講座制” にあります。講座制の下では,研究グループのボスが組織の頂点に君臨し,その下に,助教授,講師,助手などが教授の “お手伝いさん” として働いています。上官の命令に絶対服従する “兵隊さん” といってもよいと思います。

まず,私自身の経験からはじめます。

今から 50年以上も前のことになりますが,薬学科を卒業した私は,ある製薬会社の研究所に勤務することになりました。研究所と名乗るからには,何か新しいものを求める“哲学”がある,大げさにいえば,intelligence を深めるものがあるに違いないと考えていました。

私の考えは浅はかでした。最初に言い渡されたのは,n-ブタノール から 1キログラム の n-ブチルブロマイドを合成することでした。否応なしでした。これでは話に聞いた軍隊と同じではないか,私は自分の状況判断の甘かったことを反省しつつ,お土産に1キログラムの n-ブチルブロマイド を残して会社を辞めました。今から思うと,製薬会社のみならず,日本の研究活動は世界から大きく取り残されていました。

小林

研究所を名乗る民間拠点は日本にたくさんありますね。ベンチャーでの仕事はほんの1年で したが,化学系製造業で量産に必要な精製工程,副産物の含量,安全性,毒性についての管理,大型プラント設計,輸出に関する問題,知的財産権の問題などかなり色々なことを学びました。ベンチャーは大企業と違って哲学がなければ生き残れないと思います。大企業の研究所は50年も前にそのように思われていたというのは衝撃的ですが,企業でもアカデミックでも哲学がなければ駄目なように私は思います。

荒田

1971年,私はスタンフォード大学メディカルセンターの薬理学教室を主宰する Oleg Jardetzky 教授の研究室で仕事をすることになりました。私は日本では,理学部化学教室の助教授をしていました。すでに齢 36になっていました。

若い助手諸君が外国に渡りましたので,助教授の私が職員としては一人だけ残ったのです。助手であろうと,助教授であろうと,教授の雑用と一手に引き受けて “お守り” をする人間が必要だからです。例えば,装置の水冷に使うクーリングタワーの発注から,何から何までを一切含めて走り回っていました。36歳 の助教授が “音もなく走り回っている” といたく満足な心境を年長さんの大学院学生に洩らされたと聞いたときは何とも複雑な気分でした。

スタンフォードでの身分はポスドクでした。スタンフォード大学医学部・客員助教授という珍妙な称号を Oleg が教授会に提案して認められました。36歳のポスドク はちょっと変だと考えた Oleg の“変化球”でした。

それからしばらく後のことですが,Oleg が日本の学会にやってきたときのことです。Oleg は,目に留まったある若者(大学院学生)について,なかなか優秀な学生と見受けたが,これからどうするのかと私に聞きました。企業に就職すると聞いていると答えた 私に,それは残念だ,

Waste of intelligence

といいました。日本の企業の内実にも通じている Oleg の言葉にハッとしました。

小林

Jardetzky 教授のおっしゃる Waste of intelligence の気持ちは分かりますが,大学院は一握りの優秀な学生のためだけにあるとは考えたくはありません。どちらかというと私は優秀な方に含まれていたとは思っていません。最近は一握りの優秀な(あるいは幸運な?)卒業生以外生き残れないかもしれないという,とくに博士課程に危機的なものを感じております。

いくつか原因を考えて見ますと、まず第1に,大学院学生数の減少があげられます。少子化,景気悪化,就職率の低下が原因だと思います。第2に継続的な運営費削減です。第3の問題は任期なし雇用数の減少です。さらにゆとり教育による学生の教育レベルの低下も今後問題となるでしょう。これらの問題はたがいに関係していて,総じて学生の質的,数的低下を もたらしています。

学生を労働力として考えるという大学院研究室の従来的考え方にも問題がありましたが,それが近年では学生数とレベルの低下と運営費削減が強烈かつ確実に大学研究室にダメージを与えて続けています。

話は逸れてしまうかもしれませんが,博士課程,研究者に変わっている人が多いのは事実です,凡人では実現し得ない発想を持ちうる能力とそれらの性質に強い相関を感じます。現在の不況と合わせて考えると民間が彼らの採用に消極的なのは無理もない話しです。

政策として女性と高齢者の雇用を一定割合にする努力を企業に求めていますが,これらは弱者救済の意味ばかりでなく働けるなら働いてもらおう,という経済効果も期待していると思います。非現実的なアイディアかもしれませんが、同様にして博士号取得者を強制的に大企業に雇用させることを法制化するのはどうかと個人的に思っております。つぶれまいとして企業も博士職員を何とか使いこなそうと努力するでしょうし,教授が独占したい有能なポスドクを民間と取り合いになる健全な均衡が出来れば結構うまくいくかもしれません。

どこから解決していいか分からないくらい問題が山積していますが,要は任期なし職員数を増やすというのは今後期待できないので,給与も研究費も全て委任するという欧米的な小さい研究グループを増やしてはどうでしょうか。研究へのモティベーションと将来への不安は拮抗する問題なので,ここに研究者業界としての健全な均衡をつくる必要があると思うのです。

以下の4点は全て私の理想論です。

1) 年齢,性別,国籍,学歴問わず公正な公募
2) 転居支援,事務手続き効率化
3) 大学院生,教員との対等な立場での議論(敬語の廃止かあるいは英語のみ)
4) 単純な評価主義に徹して,無理な雇用継続をしない

いきなり実現されると自分もポジションが早速取れなくなるかもしれませんね。

大企業もベンチャーも昨今の日本経済の低迷で非常に苦しい状況だと思います。その一方,アカデミックでは,運営費削減と少子化の影響で安定な職を得ることは大変難しくなっております。中には35歳で教授にまでなる優秀な方もいますが任期制職員を続ける方が多いと思います。

先生が学生であった時代から比べると,講座制は廃止され,研究者,教職員の任期制が導入されたこと,博士号取得者が大きく増加したことにより,博士取得後のキャリアパスには大きな違いができたことは明らかでしょう。女性の大学院生,技術者や研究者も増えました。さらに最近の特徴としてポジションの平行移動が大変目立ちます。ポスドクからポスドクへ,助教から助教へ,準教授から準教授へ。テニュア制の導入も最近は見られますが,研究者の流動化を目的として導入されたはずの任期制と不合理な状態に仕上がっているように見えます。ごく最近可決された労働契約法の改正がポスドクにとって不利な方向に動けば,研究者の流動性の硬化をさらに進めてしまうでしょう。

欧米では非常に研究者の流動性が高く,異動に掛かるコストが低いように感じます。引越し代の安さ,事務手続きの簡便さなど転出に関するバリアが低いことが理由でしょうか?日本における研究者流動性の硬化は,競争率が高い教職員の公募に関しても内部候補者が有利になってしまうなどの傾向をより強めてしまうかもしれません。このような状態では博士課程や大学院の存在意義そのものが危うくなるのではないかとおそれているわけです。

加えて,ここ数年で特に気になるのは教職員の仕事量が尋常ではないことです。論文執筆,予算申請と報告書作成,論文審査などの担当,複数大学の客員兼任は当たり前で,どの教職員も兼務の嵐です。これも運営費削減の影響なのでしょうか?教員業務の質的低下が懸念されます。

荒田

講座制のシステムでは,これは必然の結果だと思います。ボスが,あれこれ考えた雑用を,部下の “兵隊さん” に押し付けるのが,長年の習慣でした。

アメリカ,ヨーロッパのポスドクの場合には,仕事は研究専心で,雑用係などということはあり得ません。ボスは,よい仕事をしてもらうためにポスドクを雇用するからです。

これまでの議論を具体的に理解していただくには,日本に100年以上に亘って亡霊のように根付いている講座制について語らねばなりません。

昭和 22(1947)年 3月31日に制定された学校教育法・法律第26号によりますと,助教授は教授を助けることを職務とすると明記されています。私自身についていえば,1969年,講師から助教授に昇任したとき,教授から,“あなたの役割は私を助けること” ですと,釘を刺された記憶があります。普通の社会生活では,法律の条文にあるとはいえ,こんなことは恥ずかしくていえないものですが,そこが講座制のボスのボスたる所以でしょう。

ちなみに,平成19(2007)年6月27日,学校教育法・7法律第98号が改正され,助教授が准教授へ,助手が助教と変更されましたが,実体はこれまでと何も変わっていません。この法改正によると,准教授は,教授と独立であると書かれていますが,現実問題としては。研究費の点などを含め,准教授は助教授と何の変わりもないのが現実です。

地下の奥底に亡者のように生息する講座制は,学校教育法が変わろうが,どうしようが,良くも悪くも日本のサイエンスに今も暗い影を落としています。

荒田

これまでに述べた私のコメントを念頭に置いて,日本のサイエンスにおけるポスドクの問題,intelligence の確保など,今後世界と闘うための要件についてまとめてみたいと思います。

ポイントは次の2点です。

1) 講座制を精神的基盤とする現在の日本の研究室では,教授以外は,すべてボスの支配下に丸め込まれ,雑用などすべての負担が降りかかってきます。アメリカ,ヨーロッパなら当然研究に集中し,ポストクの業績が研究室の業績に直結します。

2) ドイツ以来の講座制を精神的な支柱とする現在のシステムが変わらない限り,何も変わらないでしょう。それには,研究費の申請など,根本的な発想の転換が無い限り,つまり研究システムが柔軟にならない限り,ポスドクが動かす研究体制の実現は日本では絶望的です。

西欧先進諸国から見ると,サイエンスに関する限り,日本はお金があるが “変な国” とみられている節があります。何だか巨大なプロジェクトがいつの間にか立ち上がっていて,一体どのようにして決まったのか,不明であると思われています。これは,外国の多くの友人に聞いた結果です。

一言でいうと,わが日本には,サイエンスの最も基本であるピュア・レビューのシステムが根付いていないのです。これらの状況は,長年延々と続いてきた講座制の亡霊がもたらしたものです。この点は,拙書『日本の科学行政を問う 科学技術総合会議と官僚』(薬事日報社,2010年)で徹底的に議論しました。

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日本の科学行政を問う


小林

荒田先生には現在,博士号を所得した研究者を取り巻いている状況全般についてお考え頂くことを切に望む次第です。これらの研究者は “日本の宝” であり,彼らの将来を考えることはまさに今後全世界規模でサイエンスをどう戦っていくかを考える場合の基本的な問題といえるでしょう。これらの問題を乗り越えれば,将来,日本の科学技術は抜きん出て発展できるのではないかと期待しています。

荒田

先月の11月3日(土曜日,朝日新聞朝刊)に「iPS 細胞 行程表更新 文科省」なる記事が掲載されています。山中伸弥博士を総合科学技術会議に招き,意見を聴く会であったようです。


以下,新聞記事の引用:

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山中博士は,日本の研究機関に,欧米のように研究者を支援する技術員や知的財産の専門家らもそろった体制の整備などをもとめた。(意味がいささか不明瞭(筆者注)

これに対し,野田佳彦首相は,iPS 細胞の実用化を進めるため ① 薬事法改正を含む安全規制での基準整備,倫理面での検討の加速,② 大学など研究環境の大胆な改革 ③ 若手研究者の育成に向けた研究費の改革を関係各省に指示。「iPS 細胞に続く新たなイノベーションを幅広い分野で生み出してほしい」とのべた。

終了後,会見した前原誠司・科学技術政策担当相によると,② や ③ の狙いは,研究者の身分を安定させて研究に先進してもらうことや,出身大学などで評価が左右されない仕組みをつくって独創的な研究者を見つけることという。

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これには驚きました。どうせ,頭のよい官僚たちの書いた文章の丸読みでしょうが,一国の科学技術政策担当相の言葉とは思えません。

小林

山中先生の主張は政策サイドにポジティブに捉えてもらえているのでしょうが,適切にとは思えないので確かに心配です。この不況時に安定な雇用は無理な話で,任期なし雇用を少しくらい増やすくらいでは焼け石に水ではないでしょうか?

それよりも任期制で全国を5年おきに異動しても問題がないような研究者社会に変えていくほうが良いのではないでしょうか?任期が終わりに近づいてもそれなりの業績があっても公募がない,採用もされないリスクを考えると動きようがない。流動性硬化にますます拍車が掛かります。

雑用を下に回すというのはグループの階層性が作り出すものと思われますが,雇用者/被雇用者の関係でなく PI はグループをまとめる人,他のメンバーは研究を実施する人などが理想だと思います。雑用は分担する,協力し合うのが英国で感じたスタイルでした。

ピア・レビューの導入もなぜ実現できないのでしょうか?これはだいぶ前から感じている疑問なのですが,ちょっとやそっとでは崩せない牙城のようなものなのですかね。このシステムが日本人には向かないとなると・・・日本人は科学に向かないという不思議な状態になります。ノーベル賞受賞者を多数輩出しているのにです。

先生の若かりし頃におけるキャリアに関する話をお聞きして,私の場合は特別でしょうが,日本の博士課程卒業者のキャリアパスは高齢化が進んでいるとしか思えません。上記の通り,なかなかポジションが見つからないので職位が変わらないまま研究拠点に居残っていたり,3-5年単位で移り歩く任期制職員が増えました。私もその一人です。そんな状況でなぜいつまでも研究を続けるのか?という疑問をもたれるでしょう。ある意味私には研究外の仕事が向いていない,というのも大きな理由です。

荒田

おっしゃることはよく理解できますが,ポスドクの高齢化という表現はあたっていないと思います。なにしろ,ポスドクなんて,もともと日本には存在していないのですから 。

日本のサイエンスの世界における閉塞感は,講座制に端を発する現在の日本の研究制度硬直化がもともとの原因だと思います。

どうすれば,何かが起こるのか?過去の亡霊を消し去った新しい研究のシステムが生まれてくるのを待つしかありません。しかし,総合科学技術会議の議論を見る限り,望みは限りなくゼロに近いと思います。

小林

ポスドクは存在していなかった・・・確かにおっしゃるとおりです。学問文化そのものが欧米と違うというのがそもそも誤解を生む原因だと思います。

総合科学技術会議の議論については私も同様に危機感を覚えます。戦後未曾有の不況下で,国民全体が科学技術開発に対してどのように期待をするか,という問題に対する答えとして考えますと,継続的な予算削減の事実は悲劇としかいいようがありません。無い袖は振れないという現実はありますが,小学校から大学院までの教育と科学技術開発研究のありかたを国民全体が真剣に考えなければならない時が来たと思います。放っておけば適当に予算がばら撒かれて無駄に使われてしまい,将来取り返しの付かない状態になるでしょう。




未完
by yojiarata | 2012-12-14 19:00
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