2009年11月13日,民主党政権下に内閣府が設置した事業仕分け(行政刷新会議)にあたって,蓮舫参議院議員は「仕分け人」として次世代スーパーコンピュータ開発の予算削減を決定した。 この時に要求予算の妥当性についての説明を求めた発言「世界で一番になる理由は何でしょうか?二番じゃダメなんでしょうか?」が話題になった。何しろ1200億円に及ぶ巨大プロジェクトである。作ったのは富士通,研究開発費は理化学研究所を通じて国費が流れた。 仕訳けの結果,予算が大幅に(400億円)削減された。この仕分けの結果に牙をむいたのが,日本のノーベル賞受賞者である。 ● 全く不見識であり,将来,(蓮舫議員を含む仕分け人は)歴史という法廷に立つ覚悟はできているのか。 ● “世界一である必要はない”と語った人がいるが,1位を目指さなければ2位、3位にもなれない。 ● 研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。 少なくとも日本では,先生方はオムニコンピテントと奉られる。ちなみに,コンサイス・オックスフォード英語辞典 (Concise Oxford English Dictionary, 改定11版,CD-ROM version 2.0) によると, omnicompetent adjective able to deal with all matters or solve all problems. (of a legislative body) having powers to legislate on all matters. derivatives omnicompetence noun 日本では,ノーベル賞の先生方は,本業のご自分の仕事のほか,サイエンス全体は言うに及ばず,日本の文化などにも公式の場で発言される。例えば昨年の地震の後にテレビに出演され,キャスターが ”今度の事故は想定外だったといわれているが,先生はどのように思われますか?” の質問に答えて, 自分のように立派な仕事をして,ノーベル賞を受賞する科学者(筆者注)に問われれば,”想定外”という考えは間違っている。 と胸を張り,キャスターはキャスターで,感に堪えぬ表情でうなずいていた。滑稽といえば,滑稽で,見ていて恥ずかしくなった。 世界一でなければならないというが,問題は,何のための世界一かである。すなわち,研究の哲学を明確にしなければ,世界で一番か二番かの議論は不毛である。 オムニコンピテントのノーベル賞の先生方は,コンピュータのことは何もご存じない。ご存じないまま,”名刺の力”だけで滑稽にも発言しておられる。 一方,コンピュータの開発に長い経験をもつ専門家は,単なるコンピュータの巨大化に否定的な意見を述べておられる。これは,筆者が上で指摘したと同様,研究の哲学に関わる点に関する疑問である。 平成24年8月1日付の朝日新聞の社説欄に,『記者有論 スパコン京 世界一=開発成功ではない』が掲載されている。以下,その要点を引用する。 ● 最近公表された,文部科学省が専門家を集めて2009年に開いた委員会の内部記録には,開発の実情が詳細に記録されている。 ● 開発の遅れを知った委員からは「もうだめだ」 「(ライバルの)米国の計画が遅れることを神頼みする」との声が出た。計算速度の目標を下げて製造を早める検討もされ,「とにかく1回。1番をとっていただけないか。もうすべてをかなぐり捨てて」と懇願する発言もあった。 さらに,「京」が一番となった後も,IBMの最新機が,「京」に比べていかに優れているかが詳述されている。要するに,「京」は哲学のかけらもない ”やっつけ仕事” なのだ。 1000億円もの大金を投じ大失敗したタンパク質3000プロジェクトなどについての反省などのかけらもない。 ● 文部科学省は,京の次世代機の開発を検討している。 オムニコンピテントの先生方を後ろ盾にしているのであろうが,正気の沙汰とは思えない! 富士通に注文をだし,コンピュータの建設に当たった当事者の平尾公彦 ・理化学研究所 計算科学研究機構長による講演で詳細が語られている。 平尾公彦 『「京」コンピュータと計算機科学』(學士会会報 No. 895 2012-Ⅴ,44-57) 「京」コンピュータへの期待として,いくつかの項目が挙げられている。 (1)創薬 (2)心臓シミュレーション (3)日本初のモデルで気象予測 (4)大地震被害予測・被害軽減シミュレション (5)ものづくりの革新 これらの項目には,一見何の脈絡もない。 その中で,筆者に近い分野として,(1)創薬 について私見を述べたい。 ここに書かれた内容を読むと,コンピュータが世界一になれば,創薬が世界一になるということになる。残念ながら,これは事実と異なる。 例えば,53ページに,次のように書かれている。 ● 抗インフルエンザウイルス薬のラビアクタ,タミフル,リレンザの開発にシミュレーションが果たした役割はよく知られています。 この陳述は事実誤認である。実際には,生化学的なアプローチによってこれらの薬物を見つけ,いわゆる”構造生物学的”な解析によって,作用機序を解明しただけである。そのあと,構造の改変を行い,より良いものを見つける作業に入っただけである。すなわち,この研究路線からは,コンピュータが少しくらい早くなっても,事態が進展することはない。 ● 数マイクロ秒から数百マイクロ秒の分子動力学の計算を実行することで,複数のタンパク質の立体構造をNMR解析と同じ精度で予測することが可能になりました。将来的には,多くの実験をシミュレーションで置き換えることになるでしょう。創薬につながる成果も出つつあります。がんと生活習慣病の標的タンパク質に対し,超並列分子動力学計算での薬物設計に大きな期待が寄せられています。 予算獲得のための申請書に書くならばこれでよいかもしれないが,分子動力学計算で創薬ができるなら,世界の背中を追いかけている日本の製薬企業はとっくに全力で研究しているはずである。コンピュータの性能が少しくらい上がっても,問題の解決にはならない。繰り返すが,コンピュータの性能が今のレベルで世界で一番かどうかを競争しているレベルとは無縁である。 ちなみに,朝日新聞 (平成24年6月19日朝刊 )によれば,スパコン「京」は世界一から転落し,代わって,計算速度が1.5倍になったアメリカがかえりさいたとのことである。そして,今,何も変わっていない。 歴史という法廷に立つ覚悟はできているのかなどという ” こけおどし” は,歌舞伎役者が舞台で大見得を切るような虚しいものである。 終わりに断わっておくが,例えば戦争のためのコンピュータの利用からすれば,一秒でも,一マイクロ秒でも早いほうがよいに決まっている。この場合には,哲学も何もなしに,何としても世界で一番になることに意味があるからである。
by yojiarata
| 2012-08-02 14:10
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