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NMR余話 Ⅱ



【B】 フーリエ変換 NMR分光計

1960年代は,有機構造解析の手段に用いられたNMRの方法論が,タンパク質や核酸などの生体高分子の構造研究に用いられ始めた時代である。当時,人々はNMRの果たす役割を認めつつも,同時にNMRに特別な印象を持っていた。それは,NMRの測定感度があまりに悪いという点に尽きる。

1) フーリエ変換 NMRの最初の試み

1960年代,科学計測機器の世界は,”電子計算機”の時代から,”コンピュータ” の時代に移りつつあった。

1965年,NMR国際会議が,藤原鎭男先生を委員長として東京赤坂プリンスホテルで開かれた。この会議は,その後,国際NMR学会(ISNMR)を母体として,2年おきに世界各地で開催されている。

東京の会議では,その後のNMRの発展と深く関わることになる点について,二つの重要な講演があった。

まず第一に,Wes Anderson (バリアン)が,Richard R. Ernst がバリアンで開発したフーリエ変換NMR分光計に関する講演を挙げなければならない。

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なお,最前列に座っておられる御仁は Oleg Jardetzky である。彼はこの時 36歳。日本では見当たらない風格と迫力である。

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時間ドメインで情報を取り込み,フーリエ変換によってスペクトルを得るこの実験の成功の意味するところは重大であった。NMRの検出感度向上に革命をもたらすばかりでなく,緩和時間の測定など,Hahn にはじまる数々のアイディアが,応用研究の対象になることを意味したからである。

当然のことながら,フーリエ変換NMRの現実と将来に質問が集中した。事実,Anderson の説明によれば,FID をいったん紙テープに落とし,大型計算機(IBM 7090)に移したあと,1K のデータのフーリエ変換の計算に40分を要したという。

先に進む前に,フーリエ変換にその名を遺すフランス人のフーリエ男爵について簡単に述べておく。

2) Jean Baptiste Joseph Fourier

フランス革命と,それに続くナポレオン一世の栄光と失脚の時代を生き,政治の世界においてもナポレオンに見込まれたその才能を生かして活躍,晩年には粘液水腫による容貌の異変を珍奇なファッションで包み隠しつつ,62歳の生涯を閉じた。

フーリエの人と業績については,D. Shawの著書に興味深く語られている。フーリエは,洋服仕立て人の家に生まれた。下層階級の出身であったため,当初希望していた軍隊入りの希望が叶えられなかったが,フランス革命を機に,その政治的手腕を発揮してその後の道を切り開いたという。

D. Shaw: Fourier Transform N.M.R. Spectroscopy, Second Edition, Elsevier (1984) [→ Appendix 1. Jean Baptiste Joseph Fourier]

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3) NMR 専用 の小型コンピュータの導入

バリアンのグループの仕事とほぼ時を同じくして出現したフーリエ変換 NMR分光計は,ブルカーが最初に市販し,つづいてバリアンが XL-100 の完成を待って市販の分光計を完成した。Anderson の講演の6年後の1972年のことである。

従来のフーリエ変換の計算は,サイン,コサインの足し算,引き算が何回も重複するによって,N点のフーリエ変換には,N に比例する時間を要する。これに対して,FFTでは,計算時間は,N log2 N に短縮される。フーリエ変換の計算は,高速フーリエ変換(FFT)のアルゴリズムの登場によって画期的に高速化した。

しかし,FFTだけでは,NMRがあれほど急速に発展することはなかったであろう。時を同じくして,NMR分光計に専用のミニコンピュータが接続された。コンピュータは,メモリーが8K,16Kの時代からたちまちのうちに,大容量のディスクをもつことになる。

4) FFT アルゴリズムの確立

教科書には,FFT は J. W. Cooley と J. W. Tukey によって,1965年,突然この世に生まれたかのように記述してある。しかし,対称性と周期性を考慮してフーリエ変換の数値計算を効率よく行うというアイディアそのものは,古く1903年に Z. Math. Physik 発表された C. Runge の論文に遡る。

FFT は その後,紆余曲折を経て現在に至っている。その歴史自身も大変興味があるため,多くの人によって総説が書かれている。しかし,少なくとも海外では語られることのないことが一つだけある。それは,1960年代,東京大学理学物理学科(当時)の高橋秀俊先生(1915-1985) が,Cooley と Tukey とは全く独立にフーリエ変換を高速で行うためのアルゴリズムを考案されている事実である。

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高橋先生は知る人ぞ知る物理の鬼才であった。しかし,思いついたアイディア,あるいはそれをもとにした研究結果をたちまち論文に書く ”目から鼻にぬける” 現代の多くの研究者とは全くタイプの異なった静かな学者であった。日本人によって書かれたFFTの解説は山のようにあるが,その中にも高橋先生の業績の記載がない。

NMR誕生50周年を記念して出版された 『Encyclopedia of Nuclear Magnetic Resonance 』 Historical Chapter (John Wiley, 1995) の一部を執筆する機会を得たので,高橋先生について調べられるだけのことを調べて記載した。

筆者のこの記事に興味をもった Richard Ernst と筆者は,2011年10月のNMR討論会の折に再会し,その後,Takahasi の FFT について,メールで何度も情報をやり取りした。

現時点における Ernst と筆者の共通の理解は次の通りである。

1)Takahasi の FFT は,Cooley と Tukey の FFT とは独立に発案された。

2)Takahasi には,自身のアルゴリズムの発表が Cooley と Tukey よりも先であるとか,後であるのかを主張する気は全くない。

5) Takahasi Hidetosi の偉大な足跡

小澤宏君(東京大学大型計算機センター,当時)の協力を得て調査したところ,Takahasi のアルゴリズムは,東京大学大型計算機センターのプログラム・ライブラリーに公式文書として残っている。【東京大学大型計算機センターニュース,Vol. 2 Supplement 2 (1970)】 そこには,Takahasi のアルゴリズムは,1966年8月22日に作成,改定のうえ,正式に登録されたことが明記されている。 
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高橋秀俊 (Takahasi Hidetosi)  『FFT アルゴリズム について 』

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高橋 先生の FFT のアルゴリズムにかかわる業績については,高橋研出身の小澤宏君(故人)に全面的に協力をいただいた。高橋研の後,化学の大学院で博士号を取得した小澤君とは,その後,長年にわたって一緒に仕事をした。若くして他界した小澤君の冥福を心より祈りたい。

つづく

by yojiarata | 2012-03-24 23:10
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