自分を正確に第三者につたえる。これは,現代に生きる我々がつねに考慮しなければならない重要な問題である。 筆者は,50年以上,薬学,化学の世界にあって,失敗と反省を繰り返しながら,いかにして自分を的確につたえるかについて,切磋琢磨して来た。これまでに,筆者自身の経験をもとに,『自分をつたえる』(岩波ジュニア新書,2002)のほか,化学の学生のために,『化学者のための論文・講演指南』を雑誌「化学」(化学同人)に一年間にわたって連載した(2008年)。筆者が考えてきたことを多くの日本人と共有したいと考え,これまでに執筆した記事を大幅に加筆,訂正,再編集してここに掲載する。 A) 英語で文章を書く 日本人である私たちが直面する大きな壁のひとつは,求められている文章を英語で作成することである。英語の文章をいかに書くかについては,過去に多くの著書が刊行されている。しかし,日本語と英語の文化的な相違にまで遡って深く考えることがなければ,この点の答えを見出すことはできないと思う。英語で文章を書くとは,単なる英作文ではないからである。 イギリスの物理学者A.J.Leggett(1938-)は,京都大学理学部物理学教室・松原研究室の客員として在籍していた1965年,日本人物理学者の英語論文の校閲をした経験をもとに,『Notes on the writing scientific English for Japanese physicists 』 (日本物理学会誌 第21巻,第11号(1966))を執筆した。なお,レゲットは,その後アメリカに渡り,2003年,「超伝導と超流動の理論に関する先駆的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞している。 レゲットはここで,日本人の書く英語の論文について,次のようにように総括している。 1) 日本人の書く英語の論文は,多くの場合,肝心の部分がまるで “墨絵” のように曖昧模糊としている。 2) その理由は,はっきりと自己を主張すべき状態においてそれを怠るためである。 3) “含蓄に富んだ主語の無い文章” に慣れ親しんできた日本人は,その発想を根底から軌道修正しない限り,西欧民族が100%理解できる学術論文を書くことは難しいのではないか。 レゲットは,“墨絵のように曖昧模糊とした文章” では,論理の流れが左の図のように,行きつ戻りつしている。これに対して,西欧人には,論理が右の図のように “前へ前へと流れないと理解し難い” と主張する。 ![]() 左 論理が行きつ戻りつした文章 右 論理が前へ前と流れる文章 『Notes on the writing scientific English for Japanese physicists 』 (日本物理学会誌 第21巻,第11号(1966))より引用 レゲットによれば,英語で文章を書くとは,論理的に書くことであり,この壁を破れば,英語を書くことは単に機械的な翻訳の作業になる。すなわち,英語で文章を書く場合の大前提は,基本的には英語の問題ではなく,自らの考えをいかにして論理的にまとめあげるかにかかっている。 日本物理学会会員のために執筆したレゲットの記事には,物理学者のみならず,英語で文章を書き,英語で話そうとする全ての日本人が傾聴すべき極めて本質的な点が鋭く指摘され,いまもなお多くの読者に読み継がれている。レゲットの記事を読んだ上で,われわれはどうすべきかを次に考えていきたい。 B) 日本語の文章と英語の文章 日本人である我々が良い英語の文章を書くための条件は,良い日本語の文章を書くことである。レゲットのコメントを念頭に置き,文章の背景にある日本の文化と西欧の文化を比較しながら,我々はどうすべきかについて熟慮しなければならない。この点を考える上で,谷崎潤一郎と木下是雄の主張は非常に参考になる。 ![]() 右 木下是雄 イギリスの詩人Arthur David Waley (1889-1966) は,中国文学,日本文学に多大の関心を持ち,翻訳,評論など多くの著書を残している。そのなかで,日本で最もよく知られている著作が『源氏物語』の翻訳 “THE TALE OF GENJI”(Modern Lib, Random House,1977復刻) である。 谷崎潤一郎(1886-1965)は,その著書『文章読本』(中公文庫,改版,1996)のなかで,Waley による翻訳を引き合いに出しつつ,極めて興味のある議論を展開している。 “つまり,英文の方が原文よりも精密であって,意味の不明瞭なところがない。原文の方は,云わないで分かっていることは成るべく云わないで済ませるようにし,英文の方は,分かり切っていることでもなお一層分からせるようにしています。・・・・・英文のように云ってしまっては,はっきりはしますけれどもそれだけ意味が限られて,浅いものになります。” 源氏物語の英語訳に関して谷崎潤一郎が具体的にどのように考えていたかに関しては,第2話で詳しく述べる。 『文章読本』(1934)には, “含蓄といいますのは,・・・・・「イ あまりはっきりさせようとせぬこと」及び「ロ 意味のつながりに間隙を置くこと」が,即ち含蓄になるのであります。・・・・・この読本は始から終りまで,ほとんど含蓄の一事を説いているのだ と申してもよいのであります。” とあり,次のように結論している。 “言語学的に全く系統を異にする二つの国の文章の間には,永久に踰ゆべからざる垣がある” 木下是雄(1917-)によって執筆された『理科系の作文技術』(中公新書,1981)は,単に理科系のみならず,さまざまな分野で文章を書く場合の問題点を鋭く指摘した著作として,大きなインパクトを社会に与えた永遠の名著である。『理科系の作文技術』 には,『文章読本』 とは極めて対照的なことが書かれている。 “明快な文章の第一の要件は,論理の流れがはっきりしていること,一つの文と次の文との結びつき方が明瞭なこと” をあり,明快に書くための条件として,以下の3点が挙げられている。 (1) 一文を書くたびに,その表現が一義的に読めるかどうか ― ほかの意味にとられる心配はないか ― を吟味すること (2) はっきり言えることはスパリと言い切り,ぼかした表現(・・・といったふうな,月曜日ぐらいに,・・・ではないかと思われる,等々)を避けること (3) できるだけ普通の用語,日常用語を使い,またなるべく短い文章を構成すること さらに,すぐれた文章であるための条件がつぎのようにまとめられている。 “<いい文章>をいうときに多くの人がまっさきに期待するのではないかと思われるもの,すなわち「人の心を打つ」,「琴線にふれる」,「心を高揚させる」,「うっとりさせる」というような性格がいっさい無視されていることである。・・・・・ これらの文書のなかには,原則として<感想>を混入させてはいけないのである。” C) 明快さと含蓄 “感想を排した明快な文章を書くことをどこまでも心がけるべきである” と説く木下是雄と,“あまりはっきりさせぬよう,意味のつながりに間隔を置いて含蓄のある文章を書かねばならない” と主張する谷崎潤一郎の間の隔たりは,一見際立っている。 『文章読本』によれば,谷崎潤一郎は,同氏の戯曲『愛すればこそ』 のロシア語の翻訳に当たっているロシア人に “困っていることがある。貴殿の戯曲「愛すればこそ」は一体誰が愛するのであろうか,「私」なのか,「彼女」なのか,「世間一般の人」なのか,要するに主格を誰にしてよいか明瞭でない” という意味の質問をされたという。これに対して,谷崎潤一郎は,つぎのように答えたと書いている。 “・・・「私」と限定してしまっては少しく意味が狭められる,「私」ではあるけれども,同時に「彼女」であってもよいし,「世間一般の人」でも,その他の何人であってもよい,それだけの幅と抽象的な感じとを持たせるために,この句には主格を置かないのである,それが日本文の特長であって,曖昧と云えば曖昧だけれども,具体的である半面に一般性を含み,ある特定な物事に関して云われた言葉がそのまま格言や諺のような広さと重みをもつ,それゆえ出来るなら露西亜語に訳すのにも主格を入れない方がよい” 少なくとも,日本語であれ,英語であれ,科学論文を書くためには,木下是雄の主張は100% 正しいことは明らかである。しかし,じっと胸に手をあてて考えてみてほしい。三十一文字と共に育ってきた日本人の心には,谷崎潤一郎の言葉に共感する部分が少なからず宿っていると思ってしまう。 興味深いことに,谷崎潤一郎自身,『文章読本』のなかで次のように “告白” している。 “ただここに困難を感ずるのは,西洋から輸入された科学,哲学,法律等の,学問に関する記述であります。これはその事柄の性質上,緻密で,正確で,隅から隅まではっきりと書くようにしなければならない。然るに日本語の文章では,どうしても巧く行き届きかねる憾みがあります。従来私は,しばしば独逸の哲学書を日本語の訳で読んだことがありますが,多くの場合,問題が少し込み入って来ると,分からなくなるのが常でありました。そうしてその分からなさが,哲理そのものの深奥さよりも,日本語の構造の不備に原因していることが明らかでありますので,中途で本を投げ捨ててしまったことも,一再ではありません。けだし,東洋にも昔から学問や技術のことを書いた著述がないことはありませんけれども,われわれの方は「曰く云い難し」的の境地を尊んで,あまり露わに書くことを嫌った。” 以上述べてきた点は,英語で文章を書き,講演をする場合に直面する問題と深く関わっている。 第1話の結びとして,日本語であれ,英語であれ,良い文章を書くための条件についてまとめておきたい。 (1) 自分の考えを自分の頭のなかで徹底的に練り上げる。 (2) まとめた考えを,必要なら編集し直し,順序立てて論理的に一本の太い筋が通ったストーリーとなっていることを確認する。 (3)出来上がった(あるいは,出来上がったと思っている)文章を,納得がいくまで推敲する。 (4)推敲の過程には,“間” が必要である。文章の長さにもよるが,“間” は,1時間のこともあれば,1日のことも,また場合によっては1ヶ月あるいはそれ以上のこともあり得る。
by yojiarata
| 2012-01-25 18:02
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