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T細胞からiPS細胞へ 第4話



iPS細胞と再生医療


荒田

iPS細胞は科学的真理を探究するという観点に加えて,人類の福祉向上にとっても重大な貢献になるであろう,ということですね。この点について,具体的に説明してください。

佐藤

端的な例として,2010年に東大医科学研究所の中内研究室からCell 誌に報告された論文をご紹介しましょう。

Pdx1と呼ばれる転写因子は膵臓の発生・分化に必須とされています。この遺伝子を破壊したマウスでは,膵臓を作ることが出来ないので生後すぐに死んでしまいます。このマウスを受精させ,胚盤胞と呼ばれる時期まで発生を進めます。ここに正常なラットの繊維芽細胞から樹立したiPS細胞を注入すると,iPS細胞はマウスの初期胚と混じり合って様々な細胞となり,この胚を偽妊娠させたマウスの子宮に戻してやると,やがて正常な個体として生まれてくることが出来ます。生まれた個体は,マウスとラットの細胞からできる,モザイク状の,いわゆる“キメラ”個体になります。しかし,マウスの細胞には膵臓になるための遺伝子がありませんから,このキメラ個体で出来上がる膵臓は,すべてラットのiPS細胞に由来したものとなります。通常,異種や,異個体の細胞は免疫系によって攻撃 — いわゆる拒絶反応を受けますが,このキメラでは,免疫系が成立するよりもはるかに早い段階から異種細胞が混在していますから,拒絶反応は起こらないのです。かくして,マウスの体内でラットの臓器が出来上がります。

直ちに気づかれたかもしれませんが,この実験は,マウスを豚に,ラットをヒトで置き換える応用を企図しています。糖尿病で膵臓の移植を必要としている患者からiPS細胞を樹立。この細胞を,豚の胚盤胞に注入してやるのです。豚はあらかじめ,遺伝子操作をほどこし,自身では膵臓を作ることが出来ないようにしておきます。そうすると,豚の体内では,ヒト患者と同じ遺伝子を持った膵臓が出来てくる。この臓器は患者に移植しても,拒絶反応を受けず生着するだろう,というわけです。インスリンを産生できなくなった糖尿病の患者さんにとっては,大きな福音となるかもしれません。

しかし,このキメラ動物で,膵臓以外の臓器や組織では豚とヒトの細胞が混在した状態になります。その比率を制御することは現在のところ不可能です。膵臓の実質部分はともかく,膵臓内を走る血管は豚由来の細胞も混じることになるので,これは拒絶反応の原因・移植の障害になるのではないか,といった危惧があります。しかし,それ以上に問題なのは,そもそもこのような行為が倫理的に許されるのか,ということでしょう。たとえば,生まれてきたヒト-豚のキメラは,どことなく患者さんに似た顔をしているかもしれません(笑)。中枢神経もキメラになりますから,もしかすると普通の豚よりも知能が高いかもしれない。技術的なハードルは,いずれ乗り越えられるでしょう。そのとき私達の社会はこれを許すか,許さないか。苦しんでいる患者の身になれば,何とかして治してあげたい。ではそのために,キメラの生命は犠牲になってもかまわないのか。 ― これは,科学者だけで決められる問題ではありませんね。
 

荒田 

他に方法はないのですか。動物を用いないでiPS細胞を利用するやり方も考えられるのではないでしょうか。

佐藤

仰るとおりです。むしろその方が,現在の研究の主流になっています。たとえば事故などによって脊髄損傷を起こした患者さんからiPS細胞を作り,これを移植して神経系の再生を促すことを目指した研究が行われています。

この場合の問題点の一つは,iPS細胞の樹立に時間がかかることです。現在iPS細胞が出来てくるまでに二-三ヶ月,治療に向けて細胞数を増やしながら安全性の確認等にさらに数ヶ月。脊髄の損傷後,なるべく早い治療が望まれることを考えると,このタイムラグは重大です。そこで,さまざまなHLAタイプのiPS細胞をあらかじめ作製しておき,バンク化するという構想もなされているようです。患者さんのHLAと合致したiPS細胞を,バンクから取り寄せて治療に用いよう,というわけです。

荒田

安全性の確認というお話しが出ましたが,この点についてはどうでしょうか。

佐藤

まさに重要な問題です。

一つには,移植したiPS細胞や,これに由来する細胞が,体内でがん化するかもしれない。また,免疫系のターゲットとなって,拒絶反応を引き起こす可能性も否定できません。

荒田

免疫系のターゲットになるとは,どういうことでしょうか? 本人に由来する細胞なら,免疫系は異物だと認識しないのではないですか?

佐藤

遺伝子の中には,きわめて限局した場所や時間にしか発現しないものがあります。このような遺伝子がiPS細胞や,これに由来する細胞で発現するようなことが起こった場合,免疫系はこれを異物と認識してしまう可能性はあります。

荒田

なるほど。iPS細胞を移植しても,本来の生体における細胞と同じような遺伝子発現を行う保証がないということですね。

がん化する危険性も,そういう問題から起こることなのでしょうか。

佐藤

がんとは,分化プログラムの誤った進行といえますからね。今後は,iPS細胞からの分化を如何に正しく進行させるか,それをどうやって評価するか,という部分の進展が不可欠と言うことです。

そうした本質的な観点とは別に,iPS細胞の作り方自体にまずは改善の余地があります。先にご紹介した「山中四因子」ですが,Klf4, Oct3/4, Sox2,そしてc-Mycの四つです。これらのうちc-Mycは,ご存じのように細胞増殖と密接に関わる遺伝子であり,この過剰発現はしばしば発がんの要因になります。したがって,c-Mycを使わずにiPSが出来ればその方が望ましい。実際,c-MycはiPS化の効率を高めますが,必須ではないことがわかり,あえて残る三因子でiPS細胞を作る場合も出てきました。この他,これらの因子に変わってiPS化に寄与できる遺伝子も知られてきまして,より制御しやすく,がん化のリスクが少ない組み合わせを探索するのも,今後の医療への応用には大事な展開と考えられます。

もう一つは,遺伝子導入の方法です。山中博士はレトロウイルスベクターを用いました。レトロウイルスは扱いやすいベクターなのですが,その性質上,宿主ゲノムに入り込んで働く特性があります。従って,遺伝子導入によって宿主ゲノムに不都合をもたらす可能性があります。このことはもう既に,遺伝性の血液疾患でレトロウイルスベクターによる遺伝子治療を行い,がんを発症してしまった例を人類は経験しています。レトロウイルスベクターを用いない安全な遺伝子導入システムの開発,というのも今後の重要な焦点ですが,もう既に幾つもの方法が実用化されています。将来,iPS細胞が実際の再生医療に用いられる頃にはさらに改良が進んでいることでしょう。


つづく

by yojiarata | 2011-12-26 15:50
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