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T細胞からiPS細胞へ 第3話



iPS細胞・分化研究の背景


荒田

「分化」そして「多能性」がキーワードであることがよくわかりました。

さきほど,「遺伝子は分化するための道具として利用される」と仰いました。とはいえ,分化をするのに必要な情報は全て遺伝子に書かれているわけですね。このあたりの関連については,どのようにお考えでしょうか?

佐藤

「—我々の仮定した特定の塩基対が,そのまま遺伝情報の複製を示唆することに,我々は気づいていないわけではない」,とは,1953年Nature誌上に発表された,ワトソン,クリックによるDNA二重らせん構造に関する論文,その末尾の有名な一文です。「示唆する」とだけ書いて,その中身を説明しない,科学論文としては異例の結語ですが,この一文が「示唆」した内容こそ,その後の世界を大きく変えてしまったことはご存じの通りです。しかし,そのインパクトがあまりに大きかったので,かえって見えにくくなってしまったことがたくさんあるような気もします。

写真は,3D-FISHと呼ばれる手法で,核内の特定の遺伝子領域を可視化したものです。ここではマウスの胸腺内T細胞において,CD4, CD8遺伝子領域がそれぞれ赤,青で示されています。マウスではCD4, CD8遺伝子はいずれも第6染色体にのっていまして,第6染色体の占める領域全体は緑色で見ることが出来ます。共焦点顕微鏡を用いますと,Z軸に沿った各平面ごとにシグナルをスキャンすることが出来まして,お示ししているのはある一断面の画像になります。ご覧の通り,CD4を示すシグナルが1点から成るのに対し,CD8を示す青いシグナルは重複した2点になっています。これは,CD8領域が複製によって倍化していることを示します。つまり,この細胞では,ゲノムの一部で複製が進行中であることが見て取れるわけです。まさしく,ワトソンたちの示唆した「特異的塩基対」による複製が起こっているわけですが,おそらくここでは、鋳型鎖のA に対して T が、G に対して C があい対して水素結合し、新たなDNA鎖が合成される以上の何かが起こっています。それは後生的な遺伝子の修飾(エピジェネシス)であります。塩基配列によらない情報が、複製の前後で保存されることもあれば、複製を機に変化する場合もあるでしょう。具体例として、まさに複製反応そのものを例に説明を試みてみましょう。
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図3 3D-FISHによる胸腺細胞の第6染色体(緑)CD4(赤), CD8(緑)遺伝子領域の可視化

DNA複製と言うと,複製開始点の特異配列を認識したタンパク質群によって開始されるというイメージを持つ方がまだ多いと思います。実際,遺伝子組み換えに使われるプラスミドベクターのマップなどを見ますと,Oriと示されている部位があって,これは一定の塩基配列を有する複製開始点であります。ところが,このような配列特異的な複製開始点というのは,原核細胞と出芽酵母などにのみ見つかるものでありまして,酵母の中でも分裂酵母や,我々ほ乳類の細胞では,複製開始は塩基配列特異的に起こる現象ではありません。分裂酵母では,ゲノムワイドな複製開始点の探索が行われていますが,同定された300-400の複製開始点には,ATリッチであるという以外に配列の特徴が無いといわれています。ちなみに,分裂酵母での複製開始点間の平均距離は30 - 40kbとのことです。

では,出芽酵母を除くほとんどの真核細胞で,複製開始はやみくもに起こるということでしょうか? ヒトなどでは複製開始点は数千カ所あると見積もられます。重要なことですが,複製開始は分化の進行と密接な関連があります。たとえば,アフリカツメガエル赤血球のゲノムDNAは30から230kb間隔で複製開始が起こりますが,初期胚の細胞ではほぼ30kb間隔で複製開始が起こり,複製に要する時間もより短くなります。しかも,これらの複製開始点は細胞周期の進行と共に,一斉に複製を開始するわけではありません。一般に,使われている遺伝子の近傍では早い時期に複製が開始され,使われていない遺伝子の近傍では複製開始が遅くなる傾向があります。従って,複製開始の位置や時期は分化段階に応じて変化するということです。この変化は分化のもたらした結果なのか,あるいは分化を行う要因たりうるのか,というのは大変興味深い視点です。いずれにせよ,これらの制御は塩基配列によって単純に規定されるものでないことだけは確実です。DNA自身の領域特異的なメチル化修飾,ヒストンタンパクを含む,各種のDNA結合タンパク,それらの化学修飾,その結果もたらされるクロマチンの立体構造や核内配置など,様々な要素が関連しています。こういった観点から生命現象を捉える学問領域をエピジェネティクスと呼んでいます。

数年前の高校生物の教科書を見ますと,Gurdon (1962) による両生類の核移植実験が紹介されています。オタマジャクシの腸管上皮細胞から核を抜き出し,除核した卵に移植してやると,正常なカエルにまで発生した。従って,発生・分化というものは,遺伝情報の変化を伴わずに行われるものである,と解説が続きます。しかし,ほ乳類の分化した細胞の核をもちいて正常な発生・分化を行わせるのは,両生類の場合よりもはるかに困難でした。受精卵の核を除き,ここに体細胞の核を移植しても4細胞期以降に進むことはありません。試行錯誤が繰り返され,前処置をした羊の乳腺細胞の細胞核と未受精卵を用いて初めて成体にまで発生を進めることに成功しました。これが,1997年,Nature 誌上に報告されて有名になったドリーです。

Nature 誌は2000年に,20世紀の10大科学ニュースを選びましたが,ドリーの誕生はその最新,10番目に滑り込みました。すわ,ヒトクローンも可能に? それは科学の勝利? 神への冒涜? 等といった扇情的な文句が各種メディアに氾濫したのを覚えておいでの方も多いのではないでしょうか? 一方,生物学でGurdonの実験を学んだ人は,“分化した細胞にも遺伝情報は保持されると言うことでしょ? 両生類で起こったことがほ乳類でも起こった,それ以上の何があるの?”,と思ったかもしれません。

ところが,2003年にGurdon自身がPNAS 誌に寄せた,自身の研究を振り返る短文によると,移植したカエルの卵が正常に発生する率はきわめて低く,移植核のソースである細胞の分化段階が進めば進むほどその確率が低くなることを,彼らは発表の当時からはっきりと指摘していました。全ての教科書を確認したわけではありませんが,今私の手元にある数冊の高校生物の教科書(2011年度使用)には,Gurdonの実験の記載がありません。塩基配列だけで発生や分化が説明できないこと,いわゆるエピジェネティクスの観点が,この数年間で急速に重要視されるようになった事を反映しているのではないかと思います。これはもう,パラダイムシフトと言ってよいと思いますが,まだ,シフトの行き先がはっきりとしたイメージをともなっているとは言えません。

荒田

なるほど。大腸菌のように,分化しない細胞で分子生物学の研究が進められた時代と,分化や発生を大きな研究課題としている現代では,おのずから「遺伝子」や「生命」の見方が変わってきていると言うことですね。

佐藤

そうですね。最先端の研究を行っておられる方にもいろいろな考え方の方がいらっしゃいますが,私自身は,「生命」は塩基配列や遺伝子だけでは捉えきれない,もっとフレキシブルで,—科学者が言うと語弊があるかもしれませんが,もっと神秘的なものだと考えます。だからこそ,生命の研究をすることにやりがいがあります。科学が進めば進むほど,また,生命現象について理解が進めば進むほど,生命が尊いということが世の中のコモンセンスになっていくのが理想ではないでしょうか。ドーキンスのような,「生命は遺伝子の乗り物にすぎない」,あるいは,そもそも「生命は○○ にすぎない」と言う言い回しは面白いとは思いますが,生命への畏敬の念が感じられず,好きではありませんね。

iPS細胞について,続けます。

21世紀に入り,2002年頃からマウスのクローンの報告が相次ぐようになりました。ドリーの場合を含め,重要なポイントのひとつは,核移植を受けるレシピエント細胞を未受精卵としたことです。当初用いられた受精卵が細胞周期で言うところの間期にあり,これに対して未受精卵は第二減数分裂の途上で留まっている,と言うところに大きな違いがあります。この時期の細胞質は,分化した細胞の核を“初期化”する能力が高いのです。

その“能力”の分子的実体を明らかにしようと試み,成功したのが山中博士です。初期化という現象が起こる以上,これを可能にしている遺伝子産物が存在するはずである。そう考えて,山中博士は最終分化した繊維芽細胞に,初期胚で発現している様々な遺伝子の導入実験を行い,「多能性」を与える遺伝子を探したのです。わずか四つ(ないし三つ)の遺伝子を導入するだけで多能性が誘導され,核の初期化を行えるらしいという結果に,世界中が驚愕しました。この画期的成果が人類にもたらした恩恵ははかりしれません。しかし,今なお,核の初期化がどのように行われるか,「山中四因子」は如何にこれを行うか,についてはよくわかっていません。

こうした経緯は私に,C.Milsteinを連想させます。C.Milsteinはご存じの通り,モノクローナル抗体の作製によってノーベル賞を受賞した人物です。最近の抗体医薬の成功は目を見張るものがありますが,実はC.Milsteinは,このような応用を目指してモノクローナル抗体の開発に取り組んだわけではありません。彼の当初の興味は,抗体分子はなぜあれほどの多様性を持っているのか,と言う問題,そして,それは遺伝子の変異がもたらしたものであろう,という,いわゆる「体細胞変異説」を証明することでした。そこで彼は,培養可能な抗体産生細胞,すなわちミエローマ細胞を培養して,抗体遺伝子の変異が起こっていることを見出そうとしたのでした。まずミエローマ細胞をしばらく培養します。仮説が正しければ,この間に抗体をコードする遺伝子にある頻度で変異が起こるはずです。そしてその後,ミエローマ細胞を一つ一つ単離して,再び培養し,分泌する抗体が培養液に蓄積するのを待ちます。こうして得られた単一細胞由来の抗体分子をタンパク化学的に解析して,異なる抗原に反応するようになったクローンを見出そうとしたのです。

7000ものクローンについて検討したとのことですが,これは大変な力作業だったろうと思われます。この企ては見事に失敗しますが,Milsteinによる歴史的といって良い跳躍がここから起こります。彼は実験系を再検討します。そして,オリジナルであるミエローマ細胞が,何に結合する抗体を産生しているかがわからないからうまくいかなかったのだ,結合する相手のわかっているミエローマを入手できれば,当初の抗原と結合しなくなったクローンを探せばよい,アッセイ系ははるかに効率化され,鋭敏となるだろうと考えたのです。こうして既知抗原で免役した動物のB細胞をミエローマ細胞と融合し不死化する,これをクローン化する,というアイディアが生まれたのでした。ハイブリドーマによるモノクローナル抗体の作製です。周知の通り,抗体多様性創出のメカニズムは,分子生物学の手法を用いた利根川博士らにより明らかとされました。しかし,人類がモノクローナル抗体を手にしていなければ,現在の医療や科学一般はずいぶん異なったものになっていたに違いありません。

核移植によって細胞核の初期化を行うことが出来るようになるまで,たくさんの試行錯誤が行われました。ここで起こるイベントがきわめて複雑,精妙であると考えられたにもかかわらず,核移植によらず,遺伝子導入だけでこれを再現しようとした山中博士の挑戦は大変に勇気のあるものであったろうと考えます。これは少なくともモノクローナル抗体の作製に匹敵,あるいは凌駕すると思いますし,初期化や分化のメカニズム解明の観点から言っても重大なマイルストーンとなったと思います。


つづく

by yojiarata | 2011-12-26 16:00
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