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T細胞からiPS細胞へ 第1話



今回の『専門家に聞く』は,佐藤健人博士にお願いしました。佐藤健人博士は1986年 東京大学理学部生物化学科卒業,1991年 同大学院博士課程,1991年 東海大学医学部免疫学教室助手,講師,助教授を経て,現在准教授(基礎医学系生体防御学)


免疫学との出会い・希少難病研究への思い


荒田

佐藤さんは,20年以上にわたって,免疫学をテーマに研究を続けておられると理解しています。これまで,佐藤さんの研究分野はどのように拡大,発展しておられるのでしょうか。

佐藤

私の場合,一番はじめの興味の対象は「がん」だったのです。理学部の学生だった頃でしたが,当時はオンコジーン(発がん遺伝子)の研究が大きく発展を始めていた頃でした。オンコジーンと言っても,その機能はよくわからない。ただ,培養している繊維芽細胞に,ある配列のDNAを入れてやると細胞は増殖を止めなくなるというシンプルな話でした。ところが私はどうしてもこれが,がんの本質に迫るとは思えなかったのです。

なぜならば,ここには「分化」という視点が完全に欠落しているからです。おおざっぱに言って,がんとは,未分化で活発に増殖する細胞が,分化し増殖を停止するのを止めてしまった存在だと私は捉えていました。がん細胞は,どうして分化プログラムから逸れてしまったのか,どうして未分化な段階にとどまって増殖を止めないのか ― こういう,分化というものを基盤に置いた考え方の方が本当のがんにより近い,と考えたのです。・・・その後のオンコジーンの研究領域の大きな発展を考えると,若気の至りだったと言われるかもしれませんが,今でも自分らしい判断だったと思っています。

そんな学部学生だった頃,免疫学の領域から以上のような問題意識にチャレンジするようになったわけです。

荒田

はじめは順天堂大学の免疫学・奥村康教授のところでしたね。

佐藤

はい。荒田先生の教室に籍を置かせて頂きながら,奥村先生のところで免疫学のイロハを教わりました。それから東海大学・医学部・免疫学の垣生園子教授のところに出入りするようになりました。当時奥村先生と垣生先生は,リンパ球の一群であるT細胞とNK細胞の分化について共同研究をされていたのです。

ご存じのように,T細胞は胸腺で分化します。この,胸腺でのT細胞の分化は実に面白いのです。

免疫系は「自己」と「非自己」を識別しますが,その基盤の一つは胸腺にあります。T細胞は様々な抗原に反応できるように,ランダムな遺伝子組み換えを積極的に行って,多様性に富む抗原レセプターを作るようになります。一つ一つのT細胞が未だ出会ったことのない未知の抗原に結合すべく準備をしているわけです。当然,中には自己成分に結合してしまうものも生じますから,「自己免疫」を防ぐために,このような細胞を分化の途中段階で選択的に除くわけです。これを「負の選択」と言います。「負の選択」を免れたT細胞だけが分化を進行させることになります。逆に,いくら未知抗原と言っても,あまりにも的外れな反応特異性をもったT細胞も無意味です。というのは,T細胞はB細胞と異なり,抗原の認識を細胞を介して行います。すなわち,T細胞の抗原レセプターは,樹状細胞等の表面に発現している” MHC ”という分子に挟み込まれた抗原と結合するのです。ですから,このMHC分子と全く親和性がないような抗原レセプターは基本的に使い物になりません。というわけで,MHC分子と一定の親和性を持った細胞が選択的に生かされて,次の分化段階に進みます。これを「正の選択」と呼んでいます。

このように,T細胞の運命,あるいは分化の進み方は,発現する抗原レセプターの反応特異性によって決められるわけです。「選択的分化」ですね。免疫システムが自己・非自己の識別を行うことを可能にする,じつに合目的的でエレガントな機構なんです。そして実験科学者として大事な点ですが,こうした特徴は,抗原レセプターや抗原の有無を操作することによって,細胞の運命や分化を人為的にコントロールするシステムを可能にします。分化の研究材料として,T細胞,あるいは胸腺というのは大変有用なものなのです。

私が胸腺にこだわってきた理由はもう一つあります。それは細胞増殖の問題です。P53というがん抑制遺伝子がありますが,この遺伝子を破壊したマウスは様々な臓器にがんが出来やすいとされ,実際に短命です。だいぶ以前ですが,このマウスを調べていて気づいたことは,他の臓器には明らかな腫瘍を見つけない段階でも,胸腺には全てのマウスで腫瘍が生じるのです。胸腺が胸腔の中であまりに大きくなって,肺がつぶされ,呼吸が困難になって死んでいきます。一方,このp53欠損マウスを,T細胞分化に必須な遺伝子を破壊したマウスと交配してやると,胸腺の腫瘍は生じなくなり,寿命が顕著に伸びるのです。このことは,発がんのリスクは,T細胞の特定の分化段階できわだって高いことを示します。この事実を見て,私は,マウスの胸腺こそ増殖制御と分化の関連を研究するのにとても適した材料だと思ったのです。

荒田 

なるほど,そういうわけでしたか。学部学生の頃の問題意識から一貫しているのですね。

その佐藤さんが,最近はiPS細胞の研究も始められたということですが。

佐藤

そうなんです。これには経緯がありまして,希少難病患者支援事務局(SORD)というNPO法人があります。この発足に私の古くからの友人が関わっており,彼の紹介で2009年の春,代表の小泉二郎氏,副代表の中岡亜希氏のお二人にお会いする機会がありました。

厚労省は現在,130の疾患をいわゆる「難病」に指定し,このうち56の疾患は治療研究事業として,患者に対し公的援助があります。この他に最近になって214の疾患が指定され,研究の奨励が行われています。しかしなお,指定から漏れた「希少難病」が7000ほどあるといわれています。と,いうよりも,全国的な実態は厚労省としても掴み切れていないのが現状です。難病指定から外れた希少難病患者や,そのご家族は,自分がどのような病気なのか,これからどう病状が進んでいくのかよくわからない,苦労を分かち合う同病者も見あたらない,自分の病気は世間から無いものとされ,治療法が無いばかりか,これを研究しようという動きもない — 病気そのものの苦しみ に加えて,社会からの疎外感にさいなまれているという,厳しい状況におかれています。SORD副代表の中岡氏は,ご自身が遠位型ミオパチーという希少難病の患者さんです。国際線の客室添乗員として活躍していたときに発病しました。進行性の筋疾患で,現在は肩,腕,首などを少し動かすことが出来るだけで,ベッドと車いすから離れられない,大変不自由な生活を余儀なくされています。

ご本人も様々な絶望や悲嘆にさいなまれてきたと思うのですが,大変に前向きで明るい女性なのです。病気だからといって,人生を楽しく生きることをあきらめることはない。「死なないでいる」ことと「生きる」ことは違うと思う,などとさらりと仰るのです。ヨーロッパで開催された福祉機器展に自ら出かけ,砂浜やちょっとした山道でも進むことの出来る車いすを日本に導入する事業を興されました。ちょっと,こういう発想の製品は日本では見あたりません。プロスキーヤーの三浦雄一郎さん等の協力を得て,その車いすで富士山に登頂するプロジェクトを実現したこともあります。そんな明るいバイタリティの持ち主である彼女は,珍しい病気にかかってしまったばかりに,社会から孤立し,不安と絶望の中を「死なないでいる」人々と,ネットなどを通じてつながろう,共に「生きよう」としました。この活動は,関西圏を中心に何度もメディアに取り上げられたこともあって,少しずつ全国からアクセス・登録があり,時にはイベントを催したりして励まし合っています。驚いたことに,最近では彼らだけで独自にSNS(ソーシャル ネットワーキング システム)を立ち上げ,患者間でリアルタイムにおしゃべりや情報交換を行うまでになりました。

結果として,全国の希少難病患者の情報を厚労省よりも詳しく知っているという,すごい民間団体に育ったわけです。この間,たった3年ほどというのは,驚異的ではないかと思います。

ここで過去になされた幾つかの報道をご紹介しておきます。


(1)(朝日新聞2009年8月24日)
T細胞からiPS細胞へ 第1話_a0181566_1538239.jpg





(2)(読売新聞2011年7月1日)
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(3)(京都新聞2011年7月4日)
T細胞からiPS細胞へ 第1話_a0181566_15552266.jpg




私は話を伺い,希少難病患者やご家族のご苦衷と,これを乗り越えようと立ち上がった中岡さん,小泉さんお二人の誠実と勇気に大変打たれるところがありました。

こうした患者さんたちの現状に,私達の社会はどう向き合うべきなのか,と考えずにはいられませんでした。

小泉,中岡氏は医学や研究の世界には全くの素人でしたが,両氏なりに患者のゲノム検査が突破口になるのではないかと考えたようです。たまたまSORD設立に私の友人が関わっていたことから,医学の世界に関わりがある人脈として私が紹介されたというわけです。

もとより私はゲノムの専門家ではありませんが,東海大にはゲノムの大家が何人かおられました。そのうちのお一人は当時の医学部長でしたが,「こういう問題に取り組むことこそ,大学,なかんずく私学の社会的使命ではないか」とおっしゃり,まずは希少疾患患者のパーソナルゲノム解析を行う方針でプロジェクトが始まりました。

ご存じのように,今やゲノムの世界の技術革新は驚異的で,個人のゲノム全塩基配列が短時間で解読できるようになってきています。いわゆる「次世代シークエンサー」とよばれるものですが,第3世代の登場も遠くないということで,これから一層安価,簡便にパーソナルゲノムの解読が行われるようになる見通しです。

そうした流れの一方で,私も自身の専門性を生かしてプロジェクトに貢献したいと考えました。

私の専門は免疫学であるとともに,細胞の分化であります。私なりの観点からES細胞やiPS細胞についてはかねてから興味を持っていました。そこで,患者由来のiPS細胞を樹立することで,希少難病研究 の基盤整備をおこなうというプロジェクトを考えた次第です。

今年の1月29日付けの毎日新聞(関西版)に,東海大学医学部を含めた全国的なプロジェクトについて,その概略が掲載されています。



(4)(毎日新聞2011年1月29日)
T細胞からiPS細胞へ 第1話_a0181566_16305131.jpg



つづく

by yojiarata | 2011-12-26 16:16
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