今では使われることが稀になった言葉がある。「大食漢」がそのひとつではあるまいか。広辞苑には,「おおぐらいの男」,大辞泉には,「大食する人。健啖(けんたん)家。ふつう男性についていう」と記されている。 食を論じた古今の絶品である。ユーモアとウイットに富み,抱腹絶倒の記述が随所にある。例えば,かきが大好物の客人を招いたときのエピソードでは, ブリア・サヴァランが3ダースまでおつきあいしたあとも,料理人がかきの身をむくのを辛抱強く待ちながら,32ダース(32×12=384個)のかきを満足そうに平らげた客人について,つぎのように記されている。 われわれは食事を始めたが,かれの食べっぷりはみごとなものであった。それはまるで断食をしていた人のような健啖(けんたん)ぶりであった。 ブリア・サヴァラン:美味礼賛(関根秀雄訳,白水社,1963) 私自身,ヨーロッパで友人に招待され食事をともにしたことのことを思い出す。最初の一皿,二皿を,自分にはかなりの量だと思いつつ何とか平らげて「ご馳走様です」と思った直後,巨大なメインディッシュが目の前に現れたときの当惑を忘れることがでない。これは,我々がしばしば経験する西欧民族のバイタリティーと無縁ではないような気がする。 ここで,谷崎潤一郎が1933年に書いたつぎの文章を読んでいただきたい。 私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつつこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入るというのも、恐らくそれに似た心持なのであろう。 谷崎潤一郎:陰翳礼賛(中公文庫) 食は文化そのものだと思わずにはいられない。 朝日新聞1977年(昭和52年)月曜日 13版 17ページ 「家庭欄・ふとる やせる」の別格派のHSさん(体重102キロ,身長178センチ,48歳)の場合 HSさん 曰く ”私の場合は”合理的な大食”(メニュー別項)でしてね。”暴食”じゃありません。暴食っていうのは,とつぜんの洪水のようなもので堤防決壊をおこす,つまり臓器に障害をきたしますでしょう。 ・・・・・ ある日のメニュー 朝食 ごはん三,四杯。汁より実(ジャガイモなど)の多いみそ汁二,三杯。卵二個,分厚いハム二枚,それに肉料理を。たとえばスキ焼きひとなべ分。ミカン五個。リンゴ二個。 昼食 会社の食堂でたくさん食べると笑われるから外へ出て,一軒でヒレカツ定食,続いてそば屋でうどん二杯。 三時 この会社には毎日三時から二十分間,休憩がある。この時大福もち五つ,あるいはシャーベット五カップ。 会食 始まる前に肉うどん二杯。会食中に,いきつけの料亭では,氏のテーブルの下に,田舎まんじゅう,タイ焼きなどをザルに盛っておいてくれる。これを十個くらい。帰宅後「ふつうの人ぐらい」の夕食。 夕食 (まっすぐ帰宅する日)まず魚は,小ぶりのサバなら一匹。刺身なら三人前。続いて肉は,ビフテキ四,五百グラム。「大きいほどいんですが,フライパンの大きさに限度がありますから」煮豆を中ぐらいのはちに一杯。野菜はイモ類が好物。ごはんはいくらでも入るから,夫人に何杯目ときき,五杯よといわれたらやめておく。食後はミカン五個,リンゴ二個,あんまん三つかおはぎ五,六個。 夜食 夜中の十二時。長年ビフテキとごはんだったが,いまは軽く,たとえばトースト五枚に果物。 HSさん 続いて曰く 運動はとくにしませんが,睡眠時間は夜二時から六時までの,四時間で十分です。社の業務と夜までかかる会議や会合,自宅での調べもの。忙しさでエネルギーをどんどん使うから,収支は合うわけなんです。・・・・・ 検査を受けますと,胃袋がひと様よりちょっと大きくて長いそうですが,糖尿とか心臓病の気はないんだそうです。大食は臓器の負担が大きくて,摩滅が早いかも知れんですが,三人のドクターと親しくしていて,補修の必要が現われしだい,手を打つ態勢をととっています。一食入れると前のが押し出されますので,日に数回トイレに行きましょう,ですから最近は外科的なところの修復で,医者の世話になりましたが。医者のアドバイスは,私はきちんと守るんですよ。 国際会議なんかで欧米人のあのエネルギッシュな仕事ぶり,あれはよく食うからですよ。武士は食ねどっていうのは,精神修養にいいが,スタイルだけが目的なら,国際競争力の点で,日本は負けますね。・・・・・ ともかくムダ食いはしてないって答えますよ。ひと一倍食べて,ひと一倍働く―。そのために人生,太く短いのか,太くても長生きできるのか,こればかりは棺におさまってから,まわりの人が知ることでしょう。
by yojiarata
| 2011-12-17 21:26
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