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カナダ・トロントへの道 Ⅰ


今回の『専門家に聞く』は,伊倉光彦博士にお願いしました。

伊倉光彦博士の略歴 1986年,北海道大学理学博士。88-91年,米国国立衛生研究所(NIH)客員研究員,91年,トロント大学・助教授およびオンタリオ癌研究所主任研究員,96年正教授。この間,米国ハワードヒューズ医学研究所(HHMI)国際研究員,カナダ医学研究機構(CIHR)上級研究員,カナダ政府研究教授号(現在)などを受賞。
現在,トロント大学医学部生物物理研究科教授,オンタリオ癌研究所細胞情報伝達研究部門長。専門分野:細胞情報伝達と構造生物学。


第Ⅰ話 National Institutes of Health におけるポスドク生活

荒田

伊倉さんは,北海道大学理学部の引地邦男先生の助手をされてあと,アメリカNIHに武者修行にいかれたと理解していますが,その時点で,日本ではなく,北米大陸で研究室をもって仕事をしたいと考えておられたのでしょうか。

伊倉

北大を出ましたのが1988年ですので,北米に移住してから24年目をなります。早いものです。

家族とともに渡米したときに,こちらで「骨を埋めよう」と考えていたかと聞かれますと,返答にちょっと困ってしまうのですが,「絶対北米でやりぬくぞ!」とも思っていませんでしたし,「いずれ日本に帰えろう」とも思ってもいませんでした。どちらでもいいと思っていたのが正直なところです。

一番大切に思っていたのは,「自分のやりたいことができるところへ行く」ということでした。そして,「いずれは自分の研究室を持ちたい」と思っていました。その場所が日本だろうが,地球の裏側だろうが,どちらでもいいとも思っていました。

ポスドク先をNIHを選んだのも同じような考えからでした。荒田先生もご存知のように,当時のNIHのNIDDKのChemical Physics部門はきわめて魅力的な研究場所でした。Ad Baxがコロラド大から移って,Marius CloreとAngela GronenbornがMaxPlanckから移ってきたところでした。あそこへ行けば,当時私が学びたかった二次元NMRでの蛋白質の構造解析ができる,と確信しておりました。今ではルーチンで皆さんができるようになりましたが,当時は「本当にできるの?」という感じでした。

幸いBax先生へ手紙を出して2週間後にオファーを頂きました。当時はすべて航空便でのやり取りでしたので,それを考えると驚くべき即断即決だったと思います。のちに彼と働くようになり,その人柄を知ってなるほどと思いました。すなわち,サイエンスは競争,スピードがすべてという感覚をBax博士から教わりました。

話を戻しますが,当時はまだ(いまでもでしょうか?),留学というイメージが短期のもの(2-3年)が普通という感覚があったと思いますが,少なくとも私は期限は決めていませんでした。早く自分の研究室が持てるレベルまで成長したいと思っていました。特に英語力,いい論文を書く能力,国際的な場所で誰とでもコミュニケーションができる能力を身に着けることを心がけていました。
それには英語の会話力と執筆力が必須です。いまでもまだまだ満足できるものとはいえませんが,人の言うことがほぼ90パーセント以上わかって,自分の言いたいことを何とか言えるようになるまでに,4-5年は必要だったように思います。10年を超えると,幼稚さはまだ残りますが,それなりに自分の英語ができてきます。20年経った今はあきらめもありますが,英語で聞いたり話したりすることに不自由はありませんし,むしろ英語の方がすっきりと言えるといえるので楽な感じさえします。それでも語彙を増やす努力は今でも心がけています。いい単語や表現を聞いたり読んだりすると,メモを取っています。

荒田

NIHは,大学とは違った雰囲気の場所でしょうか。教育の義務のほかは,大学と変わりがないのですか。NIHの研究レベルはきわめて高いと理解していますが,研究費との関連はどうですか。

NIHの頃から,北米永住を考えておられたのでしょうか。NIHのあとは,どのような進路をとられたのですか。

伊倉

当時NIHは生命科学を志す研究者にとっては素晴らしい研究場所でした。今でもそうだと思います。

何がいいか?ということですが,研究者数千人を抱える大組織であるにもかかわらず,一本筋が通っているところがあります。一言でいうと「研究第一主義」とでもいうのでしょうか?究極的に考えると研究者が運営しているからではないでしょうか?もちろん,NIHにも官僚的なビュロクラシーはあります。それで頭を痛めている科学者の話も聞きます。ただ本質的なとこと,本当に大事な決定は科学者がそれを決めていると思います。ですから,あの自由で気高い雰囲気が存在するのだと思います。

サポート体制もよかったと思います。今で言うITサポートも進んでいました。当時からコンピュータセンターの専門家が我々の研究室に来てサーバーを保守してくれていました。ご存知のように,私の研究はNMRという大型の機械を使うのですが,それを直したり細工したりする技術者が研究室にはいました。日本では考えられなかったことです。

自由な環境と研究サポート,これらはいわゆるインフラストラクチャーですが,それが素晴らしかった。ただそれだけではだめです。人です。やはり優れた研究者がたくさんいました。そして,自由な議論や共同研究が日常茶飯事的にありました。研究室間の壁がない世界が少なくとも私のいたところにはありました。幸運だったのかもしれませんが。

次に研究費のことに話を移します。NIHの研究費は内部グラントでまかなわれるので,外部の研究者(大学など)とは直接グラント争いはしません。申請書も数ページのもので簡単だったように記憶しています。私のボスBax博士は倹約家でした。必要以上にグラント申請しませんでした。試薬を大量に買い置きすることもありませんでしたし,機械も古いものを直しながら長く使うタイプでした。ただ,最先端の装置が市場に出て,それによって研究が革新的に進むと考えたときは,大型の予算を申請しました。普段が倹約家の人ですから,彼がこれが必要というと大概了承されました。NIHの研究者がBax博士のような人ばかりだとは思いませんが。



つづく

by yojiarata | 2011-08-02 15:55
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