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創薬 日本の現状と将来 Ⅰ



今回の 『専門家に聞く』 は,平岡哲夫博士にお願いしました。

平岡哲夫博士の略歴 1958年東京大学医学部薬学科卒業,三共株式会社において一貫して創薬の開発研究に携わり,研究所長,研究本部長,副社長を経て,2002年同社退社,同年より,三共有機合成株式会社社長,2006年同社退社,2008年THS 研究所・所長),薬学博士


日本の創薬研究の現状


荒田

大手製薬企業で,長年にわたって創薬研究の陣頭指揮をとってこられた平岡さんに,差し支えない範囲で率直に,日本の創薬研究の現状と将来について,語っていただきたいと思います。

まず,順序が逆かもしれませんが,平岡さんに結論を先にうかがいます。2011年6月現在,日本の創薬研究の現状は満足いくものでしょうか。

平岡

現在世界で,真の新薬を発見・開発できる国はアメリカ,イギリス,ドイツ,フランス,スイス,日本の6ヶ国しかありません。振興国として BRICs (ブラジル,ロシア,インド,中国)といわれる国でさえも,新薬を開発する総合力は未だ無いのが実情です。

この点は,自動車,IT 関連,化学産業などが多くの国で大企業として存在するのとは事情を異にしています。新薬開発には多岐にわたる専門家,莫大な資金,すぐれた戦略家等必須の要素に加えてアントレプレヌール精神 (フランス語,独創性と冒険性を持った起業家精神),セーレンディピティ,的確な将来予測の能力,幸運を呼び込む要素等の総合的ファクターが必要で,日本的な「鉢巻して,全員で必死に頑張ろう!」を重ねれば成功するというものではないのです。

新薬開発能力を有するのは6ヶ国だけだといいましたが,そのうちの総合的順位をつければ日本は6位(要するにビリ)となるでしょう。世界の製薬会社の売上高ランキングでは,日本を除く 5ヶ国企業が上位を占めています。その中で,ファイザー (アメリカ) が1位です。以下,2位 メルク (アメリカ),3位 サノフィ・アベンティス(フランス) (フランスとドイツの大会社が合併した新会社),4位 グラクソ・スミスクライン (イギリス),5位 ロッシュ (スイス) となっています。

日本では武田が15位,アステラス18位,第一三共が20位,エーザイ21位です。

2011年9月までに武田がスイスのナイコメッド社を買収することが発表されていますので,武田はこれでやっと世界順位が10位になることが予想されています。

荒田

製品別の売上高順位はどのようになっているでしょうか。

平岡

最近のものでは 2008年のデータしかありませんが,世界の大型医薬品売上高ランキングの中で上位 50品目のうち,日本メーカーオリジナルの製品は10個です。これは上位 50 製品の2割を占めています。

荒田

必ずしも悲嘆にくれるという現状ではないのではありませんか。

平岡

しかし,51位-128位の78製品のなかには,日本発のものはわずか4製品しかありません。すなわち,年間10億ドルを超える大型品では日本発のものは11%です。ちなみに,年間売上高が1000億円以上のものをブロックバスター (block buster) 薬といいます。

売上高上位50製品中に入る日本製品の薬効別を列記すると,コレステロール低下剤,II型糖尿病薬,降圧剤,抗痴呆薬,統合失調症薬,抗潰瘍薬,合成抗菌剤,前立腺肥大用薬です。

荒田

この結果は,どのようにご覧になりますか。

平岡

世界的に売上高上位に入っている抗がん剤,抗喘息薬,関節リウマチ薬が見当たらないのが大変残念です。

荒田

西欧諸国では,ベンチャー企業も大活躍しているのではありませんか。

平岡

その通りです。世界的に売上高上位に入る製品には,ベンチャー企業,具体的には,バイオジェン,アムジェン,セントコア,ジェネンテック,ギリアドなどで開発された薬が多種類あります。

日本では製薬ベンチャー企業で大成功している会社はほとんどないのが実情です。私見ですが,これは祖先が農耕民族(日本)と狩猟民族(外国の多く)との違いや,国民性の相異とも関係しており一言に結論をだすことは困難です(後で結論的なことを述べたいと思います)。

この結果,日本の製薬メーカーは外国の多くのベンチャー企業との研究提携,さらにはその企業買収を遂行しています。これらの事情の代表例をあげると以下のようになります。すなわち武田は,ミレニアムファーマシューティカルズ (米),IDM ファーマ(米),ナイコメッド (スイス) を買収,アステラスはアジェンシス(米),OSIファーマシューティカルズ(米),パーシード(米)を買収,マキシジェン(米)と合弁会社設立,第一三共はユースリーファーマ(独),ランバクシー(印),プレキシコン(米)を買収,エーザイはモルフォテック(米),MGIファーマ(米),アカラックス(米)を買収などです。

荒田

2011年6月現在,世界中で創薬を推進し,新しい薬を生み出しているのは,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランス,スイス,日本の6ヶ国だけであること,日本は,残念ながら,その6ヶ国のなかでは,“ビリ”を走っているとのことですが,その原因について,少し具体的にうかがいたいと思います。

(1) 基礎体力

100メートルを走るのに,アメリカ,ジャマイカなど南米の選手は,9.9 秒を切る記録を出すことは稀ではありませんが,日本人選手が10 秒を切ったという話は聞いたことがありません。現在のところ,どう転んでもダメなのですが,これと似ていませんか。

記録には,先祖代々引き継いできた身体の骨格,つくりがあり,10 秒を日本人には切れないのだといって諦めることもできますが,創薬の場合,“ビリ”になるのは,体力とは関係がないのでしょうか。

平岡

体力とは関係無いと思います。

やはり一番関係あるのは頭脳力です。この頭脳力には多種類が有り,創薬に関係あるのは発想力,解析力,チャレンジ精神,ハングリー精神,忍耐力,将来を見通す能力などです。学校秀才は答えのある問題を解くのは得意とか,記憶力には優れていますが将来予測とか新しい発想力には弱い人もいて必ずしも創薬にむいていない場合もあります。例としてあまり適当ではないかもしれませんが,現在相撲の世界でモンゴルが優秀な成績を残しているのは体力,技術力ではなくハングリー精神が日本のそれを大幅に上回っているからだと私は推測しています。

荒田

(2) 研究スタッフの数

スイスの Novaltis では,事務職は別にして,研究員だけで6000人もいるということですが,日本の大手製薬企業と比較して如何でしょうか。

平岡

外国の大手製薬企業ではそれくらいは当然ですが,日本は大手でもその 1/2-1/3 ではないでしようか。しかし外国の小さなべンチャー企業からも良い新薬がでている事実から,研究員数は新薬の発見にはあまり関係ないと思います。勿論人数が多い方が新薬を見つけられるチャンスは大きくなるでしよう。

荒田

(3) 資金力

開発につぎ込む研究資金は,如何ですか。お金が足りなくて,頑張っても,どうにもならないということはないのでしょうか。

平岡

薬の場合はそういうケースは無いと推測されます。例えばベンチャー企業の場合は臨床試験開発に莫大な費用がかかり前へ進めなくなる場合は多々ありますが候補化合物がほんとうに良ければ共同研究という型で大企業から多額の資金提供があります。この実例は数えきれないくらい存在します。すなわち,資金不足に悩むのはベンチャー企業でみつけた候補化合物に魅力がなく誰も見向きもしてくれないケースです(自分たちだけが素晴らしいと思っていても外部でそれを評価してもらえなければ当然ダメになります)。

外国ではベンチャー企業の立ち上げにはベンチャーファンドが資金を提供し,そのお金を使って良い薬の種がみつかれば大手企業がそれに資金提供をしてお金のかかる開発という後半部分を分担するというスキームが出来上がっています。中堅企業でもお金が足りなくなればこのスキームにのるだけです。別の見方をすれば,例えば、マイクロソフト社とかアップル社など現在莫大な資金を所有しているCEO(社長)が製薬企業を子会社に持って薬の開発を手掛けても薬の開発に成功する確率は低いでしょう。すなわち資金力で薬の開発がダメになる場合は無いのです。ダメになるのは候補化合物が薬としての力が弱いからです。すなわち,研究者の首から上の部分の総合力の不足です。

荒田

(4) オリジナリティーの欠如

欧米発の新薬をひな型として,“改良品”をどんどん世に出すということはないのでしょうか。日本人のオリジナリティーの欠如とは思いたくないのですが,どうお考えですか。

平岡

オリジナリティの問題についていえば日本は現在それほど劣っているとは思えません。なぜならば現在,日本の学術論文は広く世界の有名科学誌に多く掲載されているからです。学術論文はオリジナリティの無いものは掲載してくれません。さらに最近の日本人の科学系ノーベル賞受賞者の増加は日本人の資質が劣っていないことを証明しています。アメリカは科学領域でノーベル賞受賞者が圧倒的に多いですが,これは歴史的にも現在でも,優秀な科学者の移民を積極的に受け入れて(あるいは勧誘して)きたからです。年収,設備などの研究環境がすぐれていれば自然と移民優秀研究者は増加して米国籍取得者とその子孫は増えてゆきます。

日本が創薬力で6カ国中“ビリ”なのは日本人のメンタリティと平和な島国で,あえて過酷な競争をしなくてもそれなりに生きていけるぬるま湯的環境になれっこになっていたからだと思います。要するに危機感に乏しいのです。しかし今後はそれでは食べてゆけません。現況は日本の大きな製薬企業社員は大きな危機感とあせりで苦しんでいますが政府レベルでは厚労省も含めそんな感覚はありません。それは創薬だけでなく,政治,経済でも同じように感じられます。

かっての日教組の影響もあり,日本は小学校で「オリジナリティ」の重要さを教える環境にないのです。米国では小学校でnumber oneあるいはonly oneを目指す重要性を教えます。日本では皆平等で平和に生きることを教えられます。

要するに日本では将来グローバルな競争で生き残ってゆく為の考え方とか実際の行動の仕方を小学校で教える環境に無いのです。大人になって社会にでてからそれらを実際に学ぶことになります。従って日本では全体的にひ弱な人が多く,それが米国と比較して自殺率の高さにも表れています。しかし日本人は必要にせまられればオリジナリティを発揮する潜在能力はもっているのです。

荒田

(5) 斃れて後已む

鉢巻をして頑張って,我が社のために死ぬ気で働く努力が足りないのでしょうか。

平岡

そのような努力によって1番手のすばらしい新薬ができるのであれば,日本の製薬企業はとっくに世界一になっているでしょう。

荒田

物流という点からみて,薬の場合には何か特徴がありますか。

平岡

医薬品業界では改良品がどんどん世にでてくる仕組みはありません。菓子類とかインスタント食品とは違うのです。同じメカニズムで効く薬の改良品は自然と3 - 4 種類しか世にでてこないのです。1つの薬を世に出すには 500億円-1000億円かかります。従って各国とも改良品が3つくらい出現すると後はその存在意義がなくなり無駄と判断されますのでどの製薬会社もそれに取り組みません。また経験的に5, 6番手の薬品はすこしくらいメリットがあってもそれほど売れませんから当然もとがとれません。また許可をだす政府機関もそんなことは勿論望んでいません。現在,後から継続して新薬がでている分野,例えば糖尿病薬とか抗精神病薬ですがいずれも従来品とはその作用メカニズムが異なります。

医療用医薬品はテレビ,新聞などでの宣伝も許されませんから,食品業界のようにじゃんじゃん改良品をだすことはしないのです。例外は抗生物質で完成度が低いとか,原因菌の方が耐性菌に変化するとか,新しい菌が出現するとかの事象が次々に起こるのでそれに対応する為に改良品が多く出回っています。これは社会が必要としているのです。薬局で買える風邪薬のようなものは数多くでていますが医者が処方箋で指定する医療用医薬品ではそんなことはないのです。



つづく

by yojiarata | 2011-06-30 13:30
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