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シューマン と ショパン



ショパン

昨年の2010年,ショパン生誕200年を祝う催しが日本を含め世界の各地で開かれた。ショパンを愛する人が多く,これは当然の出来事であると思う。

ショパンのファンであり,その作品を研究しているというある芥川賞受賞作家がテレビに出演し,ショパンの作品について滔滔と語り,自らのお勧めの作品(バラード一番だったと記憶している)のCD が再生されていた。好みは人それぞれ違うものだと,改めて認識した。

ショパンがピアノの詩人とよばれ,叙情性豊かな音色が多くの人を魅了している。しかし,ショパンの故郷であるポーランドは,列強による支配,そして,ドイツによる侵攻の長い歴史の流れに翻弄された。そう考えながら聴くと,ショパンのピアノの響きは,美しく,苦く,複雑で謎に包まれている。少なくとも,私にはそう聴こえる。

手元にあるホロビッツ『ショパン名曲集』(1945-1957年,BMG) を取り出して聴いてみる。一,二曲聞くのはよいけれど,CD 一面全部を聴き始めると,「ああよいなー」,「美しいなー」,「素晴らしいなー」と思いつつ疲れてしまって途中で止めてしまう。勿論,録音が古いせいではない。この現象は私だけに起こるものかも知れない。また,77歳という超年齢からくるものかも知れない。ともかく,そうなのです。理由はわかりません。

シューマン

実は,この項は,シューマンについて書くために始めた。

ロベルト・シューマン ( ⇒ 家族,望郷の詩)は,奇しくもショパンと同じ,1810年に生まれている。ショパンと異なり,シューマンの生誕200年を祝う催しが盛大に行われたとは聞いていない。

平成22(2010)年12月5日の朝日新聞夕刊で『シューマンの謎 追いかけ』(ピアニスト田部京子 ショパンと弾き比べ)を目にした。

田部さんは

ショパンはピアノを美しく歌わせ,他人の心に響かせる方法を熟知していた。対してシューマンは,自らの中へ中へと分け入っていく。

と語っている。それに続いて,ショパンとシューマンを,弾く側から比較している。結びに,

シューマンの曲は耳に心地よいだけの,分かりやすい音楽ではないかも知れない。でも他の作曲家にはない,心の底から突き上げられるような力と高揚感を秘めている。響きに身を預ければ,きっと『受信』できると思う。

私は,仰るとおりだと思う反面,彼女が全く触れておられない「ドイツ歌曲」の伴奏の作曲者としてのシューマンの偉大な才能を思わざるを得ない。

ドイツ歌曲の伴奏に,シューマンのような境地を開いた作曲家は,後にも,先にもいないと思う。歌曲の伴奏は,刺身のつまのように考えられていたふしがある。

ハイネの詩『詩人の恋』に伴奏を書いたシューマン,アイヘンドルフの詩をもとに作曲した『リーダークライス 作品39』。こんな素晴らしいピアノ曲はない。刺身のつまなど,とんでもない。もっとも,作品の響きを生かすも,殺すも,演奏者である。私の経験した限り,これらの歌曲における最高の組み合わせは,ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ(バリトン),ジェラルド・ムーア(ピアノ)である。

さすらいの若者が遥かに故郷を思う「異郷にて」に始まる『リーダークライス作品39』,『詩人の恋』の冒頭に歌われる静かで美しい「美しき五月に」,何曲かあとの「百合のうてなに」のそこはかとない響き。一度聴いたら忘れ難い。

ショパンは1849年,シューマンは1856年にこの世を去った。
by yojiarata | 2011-05-23 17:20
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