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水の変容 Ⅰ



古典のなかの水


金星よりも太陽に遠く,火星よりも太陽に近い条件が幸いして,「水の惑星」地球が誕生した。45億年ほど前のことである。水とともに誕生した生物は,水とともに進化してきた。オーストラリアで見つかったバクテリアの35億年前の化石は,最も古い生物の名残と考えられている。

『古事記』も, 『日本書紀』も,『旧約聖書』も,天地開闢も水とともにはじまる。

『古事記』には,
次に國稚く浮きし脂の如くして,海月なす漂える時,

葦牙の如く萌え騰る物によりて成れる神の名は,

・・・・・ 

(古事記,岩波文庫)


『日本書紀』には,
開闢くる初に,洲壌の浮れ漂へること,

譬へば游魚の水上に浮けるが猶し。

時に,天地の中に一物生れり。状葦牙の如し。

便ち神と化為る。

・・・・・
 

(日本書紀(一),岩波文庫)


と記されている。

『旧約聖書・創世記』は
暗黒が原始の海の表面にあり,

神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが,

神が,

「光あれよ」と言われると,

光が出来た。

・・・・・
 

(旧約聖書 創世記(関根正雄訳),岩波文庫)

で始まる。

医学の祖であるギリシャのヒポクラテスが執筆した『空気,水,場所について』には,

正しい仕方で医学にたずさわろうと欲する人は,

次のようにしなければならない。

まず,一年の諸々の季節がそれぞれどんな影響をおよぼす力があるかを

考慮しなければならない。

・・・・・

それからまた,いろいろな水の性質にも考慮しなければならない。

水は味と重さに相異があるように,

それぞれの性質にもひじょうに相異があるからである。

・・・・・

ヒポクラテス『古い医術について他八篇』(小川政恭訳),岩波文庫)


にはじまって,実にさまざまなことが書かれている。紀元前に生きた人々も,水と健康の関係に深い関心をもっていたことがわかる。

水は,日本の文学作品にもしばしば登場する。

『枕草子』には,
月のいとあかきに,川を渡れば,

牛のあゆむままに,

水晶などのわれたるやうに,水の散りたるこそをかしけれ。

・・・・・
 

清少納言『枕草子』(岩波文庫)

とある。月が冴え渡った千年前の夜の静寂,川を渡る牛車の歩みとともに砕けて散る水の美の一瞬を,清少納言は見事に捉えている。

水といえば,鎌倉前期に鴨長明が書いた『方丈記』の冒頭の文章を思い出す読者が多いはずである。

ゆく河の流れは絶えずして,しかも,もとの水にあらず。

淀みに浮ぶうたかたは,かつ消えかつ結びて,久しくとどまりたる例なし。

世中にある人と栖と,またかくのごとし。

・・・・・



奥州各地に行脚した松尾芭蕉の俳諧紀行『奥の細道』には,元禄二年三月二十七日,門人曾良と共に江戸深川を出発する心境が,つぎのように記されている。

千じゅといふところにて舟をあがれば,

前途三千里のおもひ,むねにふさがりて,

幻のちまたに離別のなみだをそゝく

行はるや鳥啼うをの目は泪


李白の五言絶句「静夜思」(静かなる夜の思い)では,

牀前看月光

疑是地上霜

挙頭望山月

低頭思故郷

牀前に月光を看る

疑うらくは是れ地上の霜かと

頭を挙げて山月を望み

頭を低れて故郷を思う


旅人の故郷への思いが,水の連想とともに美しく表現されている。

永井荷風は,大正七(1918)年の東京の冬の場景を
正月二日 暁方雨ふりしと覚しく,

起出でゝ戸を開くに,

庭の樹木には氷柱の下りしさま,水晶の珠をつらねたるが如し。

・・・・・

斷腸亭日乗(岩波書店)


のように日記に綴っている。

荷風はまた,
縁先の萩が長く延びて,

柔らかそうな葉の表に朝露が水晶の玉を綴っている。

石榴の花と百日紅とは燃えるような色彩を午後の炎天に輝し,

眠むそうな薄色の合歓の花はぼやけた紅の刷毛をば

植込みへの蔭なる夕方の微風にゆすぶっている。

単調な蝉の歌。とぎれとぎれの風鈴の音

― 自分はまだ何処へも行こうという心地にはならずにいる。

・・・・・

永井荷風『夏の町』
(野口富士夫・編 『荷風随筆集(上)日和下駄 他十六篇』,岩波文庫,1986)


他にも,多くの文人が水について作品を書き残している。
水の変容 Ⅰ_a0181566_2017458.jpg

井上靖編『水』(日本の名随筆33,作品社,1985)


つづく

by yojiarata | 2011-05-18 18:38
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