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南方熊楠  国の再興と日本のアイデンティティー



昭和25(1950)年,柳田國男は次のように書いている。

非凡超凡といふ言葉を,此頃の人はやたらと使いたがるが,何かちつとばかりはた者と変つて居るといふ程度の偉人ならば,むしろ今日は有りふれてゐる時代だといってもよい。現に私なんかの仲間では,骨を折って最も凡庸なるものを,見つけ出そうとしてゐる。ところが我が南方先生ばかりは,どこの隅を尋ねて見ても,是だけが世間並みをいふものが,ちょっと捜し出せそうにも無いのである。七十何年の一生の殆ど全部が,普通の人の為し得ないことのみを以て構成せられて居る。私などは是を日本人の可能性の極限かとも思ひ,又時としては更にそれよりもなほ一つ向ふかと思ふことさへある。.....

国の再興を大いなる夢として,かつかつ生き続けて居る人々にとっては,南方熊楠 は大切なる現象であり,又一つの事件でもあった。是だけは忘れてしまふことが出来ない。(原文のまま)

『定本 柳田國男集 第23巻 さゝやかなる春 南方熊楠 423-430』
(筑摩書房,1970)

日本のアイデンティティーを胸をはって主張し続けた南方熊楠 (1867-1941) の業績の拡がりと厚みは圧倒的な迫力をもつ。本流が支流に,支流が本流に突如として不思議に交錯する南方熊楠の文体は絶品である。この世に二つという珍品なる表現をよく使った自由奔放な五代目古今亭志ん生の語り口を彷彿とさせ,これぞ日本語だと思う。南方熊楠は,まさにこの世に二つという珍品である。
『南方熊楠全集 第一巻-第十巻,別巻第一,第二』
(平凡社,1971-1975)

南方熊楠が五十編を越える論文を発表した‘ネーチュール’(Nature)は,いまは,多くの研究者が競って論文を送り,インパクト・ファクターに一喜一憂する場である。しかし,息の長い,地を這うような研究を多年にわたって積み重ねる真のプロフェッショナルが育たない限り,そしてそれが大きな流れとなってアイデンティティが確立されない限り,ファッションとしての平成維新は起こっても,経済大国日本が世界から尊敬を集め,真に国際的に貢献することは難しいであろう。国をあげての理解と努力を待つのみである。
荒田洋治『日本の科学行政を問う』(薬事日報社,2010)

結びに,南方熊楠『教育ヲ主トスル文』(明治13年)より引用する。
是ヲ以テ人ノ父母タルモノ、子ニ旨味ヲ食セシメ繡錦ヲ着セシムル事ニ注意センヨリハ、当ニ幼時ヨリ学術ヲ勉励セシメ、人道ヲ了知セシムル事ヲ務ムベキナリ

『南方熊楠全集 第十巻』(平凡社,1973)7ページ(原文のまま)。

これは,南方熊楠が和歌山中学校在学中,十三歳一ヶ月で執筆した作文である。
by yojiarata | 2011-05-01 17:40
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