晩年になって,同居することになった祖父を観察していて,父とのあまりの類似に驚いた。祖父・徳太郎は,山口県の小村で,尋常小学校の教師,続いて校長を勤めた。その頃,父は,祖父からオルガンで音楽を教わったという。 祖父は,自分の小学校の校舎を設計し,隣村との間に渡し船しかなかった川に,自分で測量をして橋を架けた。祖父は,校長の職を続けながら,50歳に近くなって医師国家試験を受けて合格,校長の職を辞して村の開業医となる。つづいて,開業医のまま,村会議員,村長を務める。医師としての経歴は晩年まで続く。 不思議としか言いようのない祖父の経歴には,数々のおまけが付く。幼少の頃,何かの理由で他所に出されていた祖父は,いつの間にか帰って来ては,庭の高い木に登って,家の様子を窺っていたという。 【あれは徳ではないか】 と言って見付けては引き下ろすのが,曾祖母の役目であった。 祖父は,新しいものがあればすぐにそれを手に入れなければ気がすまない,困った性格の持ち主であった。連れ添った祖母は,この癖に一生悩まされたと聞く。その後,私の母は,同じ経験をすることになる。 祖父が手に入れたものは,私が聞いているものだけでも,ピストル,猟銃(村田銃,二連銃の二丁),ラジオ,自転車,懐中時計,ウエブスタ-の大辞典などである。明治の終わりから大正にかけての頃の話である。ピストルを庭の桜の木に向かって発射したあと,父に命じて弾を掘り出させた。ラジオは,分解してみなければ気がすまない。このために,道具をやたらと買い込む。ウエブスタ-の注文は,山口県では最初であったという。破産したらしいというのは,父から聞いた。これだけ好きなことをすればやむをえないだろう。その父も,親の血を引いて,長じて破産同様の状態になる。 わが家で見た祖父の晩年の愛読書は,NHK のラジオ英語のテキストと雑誌『大法輪』であった。4月になると,ABC から始め,丁寧にペン習字でテキストを書き写し,先生の発音に合わせて,それを読む。次の4月が来ると,再び ABC から始める。それは,92歳で他界するまで続いた。祖父の不思議な集中力には,子供心に惹かれるものがあったと思う。私は大学を定年退職するまで,講義の雑談には,必ず,諸君,英語が大切だ,それには,朝早く起きて,NHK のラジオ英語講座を聞きたまえと話すことにしていた。そのたびに,祖父のことを思い出して,おかしくなった。最近,NHK のラジオ英語講座が変化し,ファッションのようになったのは非常に残念である。祖父についてもう一つ覚えているのは,京都駅前に化け物のような建物ができたといって嘆いていたことである。 好奇心の固まりで,何でも買いたくなる困った性格は,父に引き継がれた。語学に関しては,それがさらに極端になった。医者としての必要からドイツ語に入れ込んだのは,当然かもしれない。しかし,その入れ込み方は,必ずしも尋常ではなかったと思う。ドイツ語の個人教授を受け,その関係でわが家にもしばしばドイツ人が出入りしていた。さぞかし,物入りだったことであろう。英語は,一人で勉強していた。 父の語学への入れ込みはさらに留まるところを知らず,ついにエスペラントに至る。これには,恐ろしいほど力を入れていた。エスペラント岡山支部を作り,その支部長に納まって悦に入っていた。わが家に1週間に1度は同好の士を集め,初めから終わりまで,エスペラントだけで延々と大議論する。“いい年のおじさんが集まって,何が面白くて”と思う半面,これにも少なからず影響を受けた。何事も,入れ込まなければ,大願成就などということはありえないことを学んだように思う。 祖父の場合と同じように,父の行動には,大変な出費が伴い,そのたびに母はおろおろしていた。父と乗馬との関係は,延々60年に及んだ。これも,一介の町医者であるわが家の経済を著しく逼迫させたはずである。手元に,父が,日本馬術連盟発行の馬術情報に昭和57(1982)年に執筆した『ミュゼラ-の行方』と題する一文のコピ-がある。“常に破損し,時には紛失する。これが貸した本の辿る必然的な運命である”と言う先人の一文を引用したあと,父が当時最も大切にしていたミュゼラ-の初版にまつわる思い出を書いている。これを執筆した時点では,すでに,この本を新しく(何故か)二冊購入しているのであるが,それでもなお,40年以上前に,再三にわたる懇請に,ついに“ホトケ”になりきれず貸してしまって(原文のまま),帰って来ないあの本への断ちがたい郷愁を,少年のように連綿と書き綴っているのである。このとき,父は,82歳である。その執念には,ただ呆れるばかりである。
by yojiarata
| 2011-02-12 20:00
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