五代目古今亭志ん生  三遊亭圓朝と対峙する 谷中・全生庵・圓朝忌 



● ご隠居さん
しばらくぶりですが,元気ですか。


 マ,何とか生存してます。


 ところで,三遊亭圓朝というのはどうゆうお方ですか。


 初代三遊亭
圓朝(1839年5月13日 -1900年8月11日)は,幕末から明治時代に活躍した落語の祖です。

圓朝さんの噺は,今でいう“人情噺”です。CD に録音が残されているのは,『真景累ケ淵』など一部の作品のほかは,筆者の知る限り,五代目古今亭志ん生さんによる録音だけです。この点については,引用した筆者のブログにその詳細を記してあります。

現在,台東区三崎坂(現 谷中)に面した全生庵(ぜんしょうあん)で,8月11日の圓朝忌にちなんだ圓朝まつりの幽霊画展が月末日まで開催されています。誰でも入場可,ただし有料。
圓朝まつりのことは,毎年8月になると,大抵の新聞に記事が載りますよ。

例えば,2018年8月23日(木)朝日新聞(夕刊3版 4面)をご覧ください。


全生庵は,山岡鉄舟が維新で国事に殉じた人々を弔うために創建したんだ。鉄舟と,鉄舟を禅の師と仰いだ圓朝も全生庵に葬られているよ。



今回の記事にあるカラコン,カラコンには驚いたね。カラコン,カラコンと発音されるのを,寡聞にして聞いたことがないよ。誰が書いても発音しても,中学生でも,私のような超高齢者でも,カラ-ン~コロ-ンですよ。

だけど,そんな些末なことではなく,このブログに明記しておくべき大事なことがあるのです。それは,圓朝さんと志ん生さんの関りです



なぜ,五代目古今亭志ん生さんなのか?




私にとって,五代目古今亭志ん生さんは,話術に始まり,あらゆる面における神様だからです。神様として崇め始めたのは学生時代,数えると60年を超えます。



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   わたしのコレクションから
古今亭志ん生名演集(一)~(四十一)
   制作:ニッポン放送



志ん生さんに関するブログを何度も執筆してきました。
そのブログをまとめて読めば,圓朝さんと志ん生さんの関りが,はっきり見えてきます。
何年もかかって資料を集めて書いたブログの URL を次にまとめておきます。重複する部分が多いけれど,全体をとうして繰り返し読んでいただければ,不肖・荒田洋治が,志ん生さんをなぜ神様と崇めるのか,理解いただけるのではないかと考えた次第です。



目古今亭志ん生さん 語りの藝術

[ 2011-06 -16 15:00 ]

古今亭志ん生さん 語りの藝術 

[ 2011-06 -16 10:00 ]

背中の志ん生

[ 2012-10 -23 16:25 ]

第11代目金原亭馬生

[ 2012-10 -05 19:00 ]

三遊亭圓朝と牡丹燈籠

[ 2013-04 -11 13:49 ]

三遊亭朝 と 五代目古今亭志ん生

[ 2014-04 -07 12:59 ]



未完


















# by yojiarata | 2018-09-14 21:46 | Comments(0)

中村泰男君 今昔物語を語る


蒟蒻問答:古典を輪切りにする 巻の四 




● 
荒田

今回の蒟蒻問答は,中村君の希望によって,今昔物語集を取り上げることになりました。まず,中村君がどのようないきさつから,今昔物語を選んだか,ご本人から直接伺いたいと思います。



● 中村 
<私とのかかわり>

介護の関係で,15年ほど前からつくばと南房総を週末に往復するようになった。車中で時間をつぶすため日本の古典を読み始めたが,そのうちの何冊目かが岩波文庫版の「今昔」(池上洵一編,全4冊)だった。これは脚注がしっかりしており,現代語訳が無くても読み進むことが出来た。それまで今昔というと「仏法説話集で,いろいろな小説の題材になっている」程度の認識しかなかったが,読み進むと,仏教界の大立者(お釈迦様・鑑真和上・弘法大師・・・)の事績が手際よく(しかも面白く)並べられているのにまず感心した。そして,葬式・法事以外に縁のなかった仏教が少し身近に感じられるようになった。さらに「正統的」な仏教説話の他に,珍話・奇話がこれでもか!という具合に連射され興味は尽きなかった。月曜に仕事場に戻った際には,車中で読んだ珍話を「今週の今昔」として同僚に披歴するのが常だった(彼には迷惑だったかもしれない)。ここでは,その中で私のお気に入り5話を紹介しようと思う。もし面白いと感じられたら文庫本を読むことを強くお勧めする。



なお説話を紹介する前に,文庫内の解説をもとに今昔物語集の概略を説明しておく。

<今昔物語集概要>


(成立年代・作者など)「今昔」はインド・中国・日本に伝わる千余りの仏教説話を,様々な文献から編集した説話集である。成立年代はほぼ113040年頃と推定され,編者は男性,おそらくは僧侶と考えられるが特定されていない。さらに,今昔が他の文献に登場するのは成立から300年余り経過した室町時代であり,その間どのようにして原著が保管されていたのかもわかっていない。

(構成)全31巻。巻15がインド(天竺),610が中国(震旦),1131が日本関係の説話(本朝)である。天竺・震旦部はお釈迦様の誕生・悟り・仏教の成立・中国への伝播などが描かれる。本朝部の巻20までは,①仏教の大立者の事績 ②寺の縁起 ③様々な経のご利益 ④観音・地蔵・虚空蔵による導きなどを縦糸とし,仙人・天狗・異世界探訪・色欲・様々な術(仏法の術・仙術・妖術)などが横糸として絡んで,説話が構成されている。それ以降(特に巻26以降)は「もはやあらゆる統制になじまない世界の話である」(池上)。悪霊・エロ・グロ・蛇の魔力・盗人・生贄…の世界がこれでもかという具合につづく。なお,すべての説話は「今は昔」の一言で始まり,最後は編者のコメントで締めくくられている。ピンぼけのコメントも多いが,逆にこのことが今昔物語集に「とぼけた味」を付け加えている。


<私の好きな今昔>

(1)道成寺:巻14 第3

今は昔。紀伊半島の西岸をたどり熊野権現に参詣する若くてイケメンの法師がいた。潮岬近くまで来たとき日が暮れ,ある家に宿を乞うたが,そこの主は若い未亡人だった。女は法師に「深く愛欲の心を発こし」(原文)手厚くもてなした。夜が更けると女は法師の寝床に忍び込み,着物を脱いで法師に添い寝をした。法師は目を覚ますと,あまりのことに女に問いただした。すると女は「あなたを見た時から,わたくしの夫となっていただきたいと思ったの。だから・・・」法師「私はこれから霊地・熊野に参る身,ここでコトに及んで身を汚すわけにはまいりません」。女はそれでも引き下がらず「夜もすがら僧を抱きて擾乱(にょうらん)し戯れ」(原文),誘惑したが法師の志操は堅固であった。そして「それでは熊野に詣でた後で,こちらにもう一度参ることにいたしましょう」となだめ,朝方,熊野にむけて旅立った。

女は法師が戻るのを一日千秋の思いで待ったが現れない。そこで,熊野から都へ戻る旅人に,何か事情を知らないか尋ねたところ「ああ,彼ならこの道でなく,中辺路(山中の街道)経由で戻ったよ」。女は瞋り悲しんで部屋に引きこもり,しばらくはコトリとも音を立てなかったが,やがて五尋(~8メートル)の蛇が部屋から這い出で,中辺路を走り始めた。道行く人は恐れ騒ぎ,大蛇北上!の噂は法師にまで達した(噂の伝播は光よりも早い)。「その蛇は私を追いかけているのに違いない」と直感した法師は,道成寺という寺に至って事情を話し,身辺保護をお願いした。そこで寺当局は法師を釣鐘のもとにいざない,鐘を下ろして中に閉じこめ大蛇に備えた。

道成寺に至った大蛇は門を乗り越え,下ろされた鐘を見つけるや自分の体でぐるぐる巻きにした。そして血の涙を流しながら(何かを訴えるように)尾で鐘を数時間たたき続け,もと来たほうへ去っていった。その後,当局は法師を救出しようとしたが,蛇の「毒熱」で鐘は赤熱して近寄れない。そこで,水をかけて冷ました後に鐘を除けたが,中には法師の骨すらなく,わずかな灰が残るのみであった。

こののち,道成寺の高僧の夢に法師が現れ「私,あの世で蛇になり,あの女蛇の力で無理やり夫婦にさせられました。でも,あの世の苦痛は耐えがたいです。先生,ありがたいお経(法花経)を書き写して私たちを供養して下さい」。高僧は言われたとおりにすると,再び法師が夢に現れ「お蔭で私たち,天上の良い場所(都率天)に上ることが出来ました」と報告したという。

編者コメント:女性の「悪心」はかくも強い。だから仏様も女性に近づくことを戒めておられる。

(つけたし)この話のタイトルは「道成寺の高僧が,法花経を写して蛇の苦痛を救った話」となっている。法花経のありがたさを強調する正統的な説話ですよ・・・と見せかけておいて,そこに至るまでの経過が集中的に描かれている。編者のコメントを見ても,経過のほうに彼の興味の中心があったのではなかろうか。どのような顔をしながら,編者はこの説話を紙に記したのだろう?


(2)久米仙人:巻11 第24


今は昔。大和・吉野のある寺で,二人の男が仙術修行を行っていた。一人は手際よく全過程を修了し,仙人となって空に飛び去っていった。もう一人の久米も,かなり手間取ったものの,何とか免許を取得できた。ある初夏の一日,久米は吉野川上空を(まだ不安定な飛び様で)飛行していたが・・・下を見ると川べりで若い女が着物の裾を上げて洗濯している。その白く形の良い「ふくらはぎ」にクラっとした久米はたちまち仙力を失い,女の前に墜落してしまった。その後,久米はこの女と夫婦となり,一般人として生活していたが,証文などの署名には臆面もなく「先の仙人 久米」と記すのが常であり,周囲も彼を仙人と呼んでいた。

 ある時,都を造営するための木こり人夫が徴発され,久米もその一人に選ばれた。久米が「仙人」と呼ばれる理由を知った現場監督は,彼に向かい「もとは大変なお方だったんですね,一般人に戻ったあとでも部分的には仙術OKなんじゃないですか?(造営用の木を切り出す)この山から造営予定地まで,仙術で木を一気に運べたら助かるんだけどなあ」と冗談半分けしかけた。久米は「女に心を汚して凡夫となったけれど,昔はできた仙術だ。仏様が助けてくださるかもしれない」と心に思い,「それではやってみましょう」と応じた。そして,かつて修行した寺に籠り,潔斎して食を断ち七日七夜のあいだ心を尽くして祈った。一方,監督は久米が現場に姿を現さなくなったことに気づいたが,「出来もしない約束をしたんで,逃げたのかな?肉体的には貧弱だから一人くらい人夫が欠けてもいいか・・・」と,あまり気に留めなかった。ところが・・・八日目の朝,空がにわかに真っ暗になり,雨・風・雷が荒れ狂った。しばしののちに空は晴れたが,切り出し用の山の木は引き抜かれたように無くなっている。そして,しばらくすると造営予定地から「造営にぴったりの木が空から降ってきました!」との報告が入った。

 この一件は天皇の耳にも入り,天晴れ!とばかりに久米はご褒美を賜り,これを元手に寺を建立した。これが久米寺(=橿原市に現存)である。その後,弘法大師はこの寺からありがたいお経を発見した。そして,その内容を深く学ぶため唐の国に旅立ち,真言宗を打ち立てるきっかけとなった。

編者コメント:(へっぽこ仙人が建立した)久米寺は(弘法大師の真言宗設立に重要な役割を果たしていることからも判るように)実はありがたいお寺なのだ。


(3)「レジェンド」vs.「人間電子レンジ」:巻14 第40

今は昔。嵯峨天皇(在位809~823)には護持僧(天皇の安全・健康を祈る僧)が二人いた。一人は「レジェンド」弘法大師であり,もう一人は興福寺の修円法師であった。二人とも徳が高く,天皇は二人を同様に重んじておられた。ある時,修円が伺候すると天皇の前には大きな生栗が置かれていた。天皇が「この栗,茹でてまいれ」と周囲に命ずるのを聞いた修円は,「火を使わず,法力で茹でてご覧に入れましょう」。そして,漆器に栗を入れ,蓋をして祈祷すると栗はほっこり茹で上がり,天皇がこれを口にされると,おいしさは例えようもなかった。その後もこの法力はたびたび発揮され,感服した天皇は修円の「電子レンジ機能」を弘法大師にもお話になられた。大師は「それは素晴らしい能力ですね。でも今度,私がそばにいる時にチンしてみてください」。そこで天皇は修円を招き,大師をひそかに隣室に控えさせながら,栗茹でを命じた。修円はこれまで同様祈祷したが・・・茹で上がらない!再チャレンジも失敗してしまう。なぜだ!!・・・そこへ大師が隣室から顔を出した。修円は,大師が自分の法力を無効化する祈祷をしていたことを悟り,以後二人は反目し合うようになる(本文にはないが,修円はレジェンドに向かい何か言ってはならぬことを口にしたのかもしれない)。そして互いに寺に籠って「死ね死ね」(原文)の呪詛合戦が始まり,いつ果てるともなく続いた。そんな中,大師は膠着状態を打開しようと,弟子に葬式道具を町に買いに走らせ,「レジェンド死す!」の噂を流布させた。これを聞いた修円の弟子は早速師匠に報告し,修円は「勝った!」と思い,呪詛を中止した。一方,大師は人を修円の寺にやり,呪詛中止を確認させた後,自分の呪詛パワーを限界まで増幅した。そして修円は急死した。

  その後,大師は「あれを呪い殺したからにはもう安心だ。しかし,ここまで私を苦戦させたということは,あいつは只者ではあるまい。やつの正体をたしかめよう」と心に思い「後朝の法」(未詳)をおこなった。すると,壇上に「軍茶利明王」(未詳)が立つのが確認され,修円法師が只者でないことが確認された。

編者コメント:「大師がこのようなこと(呪詛による殺害)をされたのは,後世の人の悪行をとどめるため(の正当行為)だったと語り伝えられているようだ。

(つけたし)弘法大師のイメージを悪化させるような説話を,なぜわざわざ編者が載せたのだろう?


(4)忘れ物は ma-tsu-ta-ke:巻20 第10話>

今は昔。陽成天皇(在位 876 – 84)の時代,ある男が京から陸奥に出張に出かけた。道中,信濃のある町で郡司(郡長官)の館に宿を取った。郡司は一行に手厚い食事を提供したのち館外の別宅に戻っていった。一方,男は寝付けなかったので外に出た。すると館の別棟から香が薫ってくる。近づくと,若くて美しい郡司の妻が臥しており,あたりに人もいない。男は部屋に忍び入った。女は拒むそぶりを見せたものの,ひどくあらがう風でもない。こうして男は「衣をば脱ぎ棄て,女の懐に入る」(原文)。そして・・・というときに・・・男の下半身に一瞬,痒みが走った。男は自分の「そこ」に手をやると…無い!!! もう一度探ったが,無い! 男の動転するさまを見て,女は少し微笑んだようだった。男は這う這うの体で自分の部屋に戻り,もう一度確認したが,やはり無い・・・どうにも合点がいかない男は,細かい事情は告げず,従者の一人に「別棟にきれいな女がいるぞ。私はうまくいったから,お前も行って来いよ」とそそのかした。従者は勇んで部屋を出て行ったが,しばらくすると呆然として戻ってきて押し黙っている。男は,あいつも同じ目にあったのだなと感じ,更に別の従者を別棟に次々に派遣したが,8人全員同じ反応を示すばかりであった。

 ただただ呆然の一夜を過ごした一行は,夜が明けるや館を立ち去った。1キロも行かぬうちに,後ろから「落とし物だぞォ~」の声が聞こえ,館の使用人が紙包みを携え一向に追いついた。「郡司さまが『持って行って差し上げよ』とおっしゃるので持ってきたけど,どうしてこんな大切なものを落とすんだい?お宅らがあわただしく去った後,落ちていたのを拾い集めたんだよ」。一行が包みを開くと「松茸をつつみ集めたるごとくにして」(原文)ブツが9本入っている。そしてパッと消えうせ,元の場所に収まった。

  その後,男は奥州での仕事を終え,帰路ふたたび郡司の館に立ち寄った。男は郡司にたくさんの物を取らせた後,往路でのあの不思議な出来事について尋ねた。そして,郡司の妖術が自分をたぶらかしたことを知り,(都にいったん戻ったのち)郡司に弟子入りして妖術習得に励んだ。(中略)結局,男は「松茸消失」の術を習得するには至らなかったものの,草履を犬に変える程度のレベルには達し,周囲を驚かせていた。この噂を聞いた陽成天皇(狂気の伝承が多い)は,男から術を習い様々な怪しいことを行った。ただ,世間は天皇のこうした行為を受け入れなかった。それは,仏法以外の妖術に,天皇自らが手を染めたからである。

編者コメント:せっかく人間に生まれたのに,人を魔界に赴かせるような妖術は,決して習ってはならないと言われている。

(つけたし)この話,落語にならないかなあ・・・落語には詳しくないけれど,「笑点」の小遊三さんあたりに演らせてみたいものだ。


(5)個人授業:巻17 第33

今は昔。比叡山で仏道修業を始めた僧がいたが,修行に身が入らずダラダラと時を過ごすばかりであった。しかし,なお仏道を学ぶ意思は残っていたので,法輪寺(京の西端)に時折詣でては虚空蔵菩薩に修行進展を祈願していた(調子のよい仏頼みである)。ある秋の日,法輪詣の後に山に戻ろうとしたが,出会った友人と長話をしたせいで,西の京あたりで日が暮れてしまった。そこで宿を求めていると,ある家の前に小ざっぱりした身なりの下女がたたずんでいる。事情を話して宿りを頼むと,下女は主人に尋ねたのち「宿泊OKとのことです。お入りください」と僧を中に引き入れた。そして,酒付きの食事を持ち運んでもてなした。いい気分になったところ,奥の部屋に通じる戸(遣戸)が少し開き,女主人の声がして「これからも法輪詣の後はこちらにお立ち寄りください」と言って遣戸を閉ざした。夜も更け,寝付けぬ僧が庭に出ると,主人の部屋の雨戸に穴が開いている。覗いてみると,二十歳過ぎの美しい女が草紙を見ながら臥している。香もたかれている。興奮した僧は,「この思いを遂げずは,世に生きてあるべくも思えず」(原文)遣戸をあけて部屋に侵入する。そして,女の「衣を引き開けて懐(ふところ)に入るに」,女は驚き,身を委ねる様子もない(普通はそうだよね)。強行突破も考えたが,隣には下女も寝ているようだ。騒がれてはまずい・・・とためらっていると,女「いやって訳じゃあないの。去年,夫に先立たれたけれど,次は仏の道に明るい人がいいなあと思ってるの。あなた法花(法華)経は暗誦していらっしゃる?」僧「勉強はしているのですが,暗誦までは…」女「それなら山に戻って暗誦し,私の前で誦えて頂戴。そうすれば…ご褒美あ・げ・る」。僧は「『達成』するのは暗誦してからだ」と思い直し,山に戻ってからは,それまでにない真剣さで暗誦を始めた。ただ,その間にも女の面影が忘れられず,毎日手紙を送った。女からも返事と共に食料などが差し入れられたので,「あの女は私のことを真剣に思ってくれているのだ」と暗誦のモチベーションは増すばかりであった。そして,20日ばかりで長大な法花経を暗誦し終えた。

  翌月,法輪詣を済ませ,予定通り女の家に寄った。食事ののち,僧は覚えたての法華経を朗々と(女の耳に届くように)誦えたが,頭の中はその後の事で一杯であった。夜も更け,下女たちも寝静まったので,いざ!とばかりに遣戸をあけて女の部屋に立ち入り「懐に入らんとするに,女,衣を身にまといて入れずして」(原文)こんなことを言い出した「よく覚えたわね。でも,覚えただけで親しい関係になってもいまイチよね。どうせなら,あと3年,お山で仏道に励んで,立派な学僧になってくださらない?そうすれば,公卿・皇族関係にも就職出来て私も鼻高々よ。その時こそは,きっと…」。この言葉に,僧も「そうかもしれんな…」と思い直し,山へ帰っていった。

  その後,僧はひたすら仏道を学び始めた。女からの連絡も途絶えることがなかったので,「3年後には達成するぞ!」の大目標がブレることもなく,すさまじいペースで修業は進んだ。こうして通常3年の学僧コースを2年で終了し,残りの1年でさらに磨きをかけ,「山では断トツの若手学僧」と呼ばれるまでになった。そして3年ののち,僧は女の家に立ち寄った。これまでとは違い,女は僧を自分の部屋に通し,薄いカーテン(几帳)越し越しに対面したので僧の心は高鳴るばかりであった。女「この三年間,修業はどうでしたか?」僧「自分ではよく分かりませんが,山で開かれる仏法の討論会などではえらい方々からお褒めの言葉をいただくこともしばしば…」女「素晴らしいわね。私,仏の道で疑問に思うことがいろいろ出てきたの。ぜひ私に教えてくださいな」。そして,女は仏道に関し基礎から難問まで質問を浴びせたが,僧はポイントを外すことなく,よどみなく答えた。女が「3年でここまで到達されるとは…立派な学僧になるだけの器量をお持ちだったのね」と感嘆する一方で,僧は心のうちに,「なんと仏の道に詳しいんだ。達成した後も,語り合う相手としてはサイコーだな」なんてことを考えていた。その後,女と雑談をしているうちに夜も更け,女が横になる気配がしたので僧はカーテンを掲げて中に入ってゆき,女のそばで横になり,手を握った。女が「しばらくこのままにしていましょう」と言うので,僧は言われるままにしていたが・・・(達成していないけれど)ある種の達成感から眠りこんでしまった。

  目を覚ますと,そこは人気のない草むらだった。有明の月の下,女の部屋で脱いだはずの衣がそばにある。何が起こったんだ⁉ どうやら法輪寺近くらしい・・・寒くてたまらないので法輪寺に駆け込んだ。そして,仏像(虚空蔵菩薩)の前で「恐ろしい目にあいました。お助けください」と深く額づいたが,再び寝入ってしまった。その夢に虚空蔵菩薩が現れた。「これまでのことは私が仕組んだのです。あなたは才能がありながら努力もせず,それでいて,ここに参っては都合の良いことをねだるばかり。どうしたものかと思っていたのですが,あなたは女性にとても強い関心を持っているので,これを利用して仏道修行を前進させる絵図を書いたのです。これを機会に山でさらに仏道の勉強を重ね,立派な学問僧になってください」。僧は目覚めると,「虚空蔵菩薩があの女に変身して私を導いてくださったのだ」と悟り,山に戻って修行を重ね,とても立派な学問僧になった(「女性への関心はなくなったんだろうか?」というのが私のゲスな疑問である)。

  

(つけたし)「虚空蔵菩薩により人が正しい方向に導かれる」という正統的な説話でありながら,色欲系が絡んでいる。私の最も好きな説話である。とくに「達成するまで頑張るぞ!」の僧には親近感を覚える。とはいえ,もしも僧が達成していたら,私は激怒してこの本を壁に投げつけていただろう。


今日はこれでお終い

それにしても、今昔は天下の奇書だと思います。 中村泰男




# by yojiarata | 2018-09-08 14:36 | Comments(0)

新聞は「見出し」で勝負する

 ご隠居さん これからどうするつもり?

 何を?

 長年書き継いでこられたブログですよ。

● 辞める気はありません。超高齢要介護者となった今,問題は,いつ,何をきっかけとして,何を書くかです。午後の遅い時間に,飴とかちょっと食べたくなることがあるでしょう。あれと同じですよ。なんとなくその気になると,手を出すのです。

話が急に変わるようだけど,新聞の見出しは,どんな哲学をもって作られているんだと気になりだしたのです。突然,何かが気になりだすと,止まらないのです。変な性格だけど,生まれつきなので。

新聞は原理的には毎日来ます。一応,眺めることにしています。

それで思ったんだけど,新聞は見出しで勝負するんだね。

たとえば,最近の気象庁の見出し
「命の危険がある温度」


● 見出しはそのためにあるんだから,
あたりまえでしょう。

● そうなんだけど。”読み物”の最重要部分としては,面白くなくちゃだめだと思うんだ。最近の作品は,面白みといいうか,ユーモアに欠けるものばかりだね。やたらに踏ん張ってみても,ダメだね


 だからどうだというの。

 これから話すことを,聞いてみてよ。

 そうします。

 私が新聞の見出しに興味を持ち始めたのは,30年以上も前のことです。仕事の関係で大阪大学のタンパク研に草鞋を脱いでいたんだ。

●1 あの頃,JRの大阪駅の地下の広場の柱という柱は,タブロイド紙の最新版で埋め尽くされていました。山口組3代目田岡組長の跡目争いを巡る取材合戦です。帰宅するサラリーマンが群がっていたよ。私もその一人だったんだ。

●2 わたしが見出しに感心した例を書いておきます。30年も40年も前に見た見出しだけど,”エッセンシャルな”ことは,忘れないものだね。今,世の中には,脳科学者を名乗る先生方が”押すな押すな”と活躍しておられるんだけれど,どうしてそうなのか理解しておられるんだろうか?記憶の濃淡がどこでどうして生まれるかなど,興味深いよね。

ともかく,細かなことは全部忘れたから,記憶の ”きれっぱし” を書き留めておくよ。

●3 ある日本シリーズで

巨人 万歳三勝

三敗まで追い詰められた巨人が,川埜の一撃で土俵際で踏みとどまった次の日のスポーツ新聞の見出し

万歳三唱した巨人は,最終戦で負けました。



●4 高見山大五郎

高見山 3か月の快挙 

長男 弓太郎 挙式3か月後に誕生 



*****




人前で話をするとき,内容を的確に相手に伝えることが求められるけど,本質を突いた「見出し」を付けることが常に求められるということですよ。



未完








# by yojiarata | 2018-07-28 22:19 | Comments(0)

北の詩人



 ご隠居さん このところ,ブログの記事を見掛けないけど,どうかしたの。ブログを書くのをやめたの?

● やめたわけじゃないんだけど,このところ,いささか懶になってね。寄る年波のせいだとは思いたくないんだけれど。

それに,最近,多種多様なニュースが降り注いでくるからね。一つずつ聞いていると,頭がおかしくなるよ。

会うと言ったかと思うと,急にやめると言い出したり,朝令暮改というのは,こんな時に使う詞だろうか。


 ???

ところで,このブロ グのタイトルの "北の詩人" は,確か松本清張さんの小説ですよね。

● その通りです。私の書棚には,光文社(1967)があるよ。


 どうして,清張さん?

● ヘンテコな理解不能のニュースのことを急に思い出したんだよ。

それで,ちょっと書いてみようと思ったんだ。ピョンヤン五輪のひと騒ぎが終わって久しいよね。


 それで ・・・・・

● 君は,ピョンヤン五輪で無数の美女軍団(チアリーダー,舞踊団 )が ”北” から参加したのを見たでしょう。


 ハイ 見ました。

● 北朝鮮の参加費は,総額は3億円近くだったそうです。お金がないと悲鳴を上げ続けているのに,よくそんなお金があるなぁと思わない。


 思います。

 (2018年6月3日, 追記)アメリカと会談するために,シンガポールに代表団を送るための費用(外貨)がなくて困っているそうじゃないの。


 そのようですね。何だか変な国ですね。原子爆弾を作っているのに?

● たまたま,NHKの Eテレ「ニュースで英会話」(2018年3月1日,23:25-23:49)を観ていたんだけど,驚いたよ。

北朝鮮派遣団の旅費,宿泊費の全額3億円は,すべて,韓国が支払ったんだそうだ。舞踊団などは,かってマイケル・ジャクソンも泊まった最高級ホテルに宿泊したんだそうだ。

要するに, ”北” の出費の3億円は, ”南” の丸抱え だったんだ。

番組によれば,2002年に釜山で開かれたアジア大会以来の ”慣例” だとのことだよ。南北関係と簡単に言っても,実際は複雑なんだね

貴君は,こんなこと知っていたかい???

知らなかったのは,私だけだろうか。


 ?*‘+ ・・・

● ここに書いたことは,ガセネタ じゃないよ。NHKのれっきとした番組で放送されたし,NHK以外の放送局の音声も,英語で流されていたしね。

余計なことかもしれないけれど,この番組が最近,衣更えしました。ずっしりした重みがなくなったんだよ。この番組に限ったことではないけどね。

             

では,また


























# by yojiarata | 2018-05-26 23:16 | Comments(0)

蒟蒻問答 古典を輪切りにする 巻の三 荘子


中村泰男君 『荘子』を“テツガク”する


巻の一(万葉集),巻の二(古事記)に続いて,中国の古典『荘子』を中村泰男君が輪切りにします。なお今回は,万葉集,古事記の場合と異なり,中村君の“独演”です。

岩波文庫には,『荘子』三十三篇の全訳(金谷治訳注)が四冊にわけて収載されています。

第一冊 「内篇」七篇

第二冊 「外篇」十篇

第三冊 「外篇」及び「雑篇」八篇

第四冊 「雑篇」八篇


私は,荘子の“超大作”をこれだけ深く読み込み,その本質を浮かび上がらせたものを目にしたことがありません。五十年以上にわたって荘子を友としてきた中村君だからこそ可能となったのです。素晴らしい記事を書いていただいた中村君に心より感謝したいと思います。

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 はじめに

私の色眼鏡を通じ『荘子』を紹介しようと思います。

最初に,書物としての荘子のあらましを手短に記し,ついで,その“主要な筆者”とされる荘周の人物像を述べることにします。そのあと,荘周の思想が色濃く反映されている(といわれる)部分について,私の感想も含めて紹介することにします。

 荘子 と 荘周

書物としての荘子は「そうじ」,荘周の尊称としての荘子は「そうし」と読まれるのが慣例のようです。ここでは混乱を避けるため,「荘子」は書物名とし,人物名は「荘周」と記すことにします。

 荘子 という 書物

現在われわれが手にすることができる荘子という書物は,おおよそ以下のような経緯により出来上がったもののようです。

すなわち,荘周(B.C.370年ごろ誕生)と彼の後継者(特定されていない)による著作物群(漢書によると52篇とされる)が,前漢成立前後(B.C.206年)までに存在していました。これを郭象という名の学者(4世紀)が整理し,現在伝わる「荘子」33篇に編集したようです。

このうち荘周自身の思想を色濃く反映しているのは「内篇」だといわれています。また,「外篇」・「雑編」は荘周以外の手によると考えられており,「内篇」と矛盾する内容も多いのですが,荘周をめぐるエピソード集という側面もあります。したがって,以下に記す荘周の人物像は「外篇」・「雑篇」の説話によっています。

 私(中村)の荘子体験

最初の出会いは高校の漢文授業。「鵬の飛翔」,「混沌」などが扱われていました。また,Z会の添削(提出したことは殆どない)では「莫逆(ばくぎゃく)の友」が出題された記憶があります。そして,大学受験(1971年)の英語では「轍鮒」の和文英訳が出題されました。

いま思い返すと,高校生の頃からそれなりに,荘子に触れていたと思います。ただ,ここまでの荘子に対する認識は,「面白い話を集めた中国古典」といった程度でした。大学二年になり,人文科学(漢文)に荘子が開講されたので受講しました。この授業は土曜の1時間目という,長距離通学生にとっては出席しにくいコマだったので,ほとんど出席していません。しかし,それでは試験に通らないので,友人から福永光次訳の荘子を借り受け勉強しました。この訳本がとても「個性的」だったせいもあり,その内容は充分に理解できなかったものの,「荘子は面白話の単なる寄せ集めではなく,万物斉同 をはじめとする奥深い哲学書らしい」ということは納得できました。

その後,荘子との付き合いは一旦希薄になりましたが,1985年に,本業の研究実験がうまくゆかず落ち込んだ際,金谷治訳の荘子をなぜか手にしたのです。読んでいるうちに,心が「すとん」と落ち着くのを感じたのです(失敗したっていいんだ・・・どうせ全ては宇宙のチリさ)。

以来,仕事(出勤)前のひと時,緑茶をすすりながら荘子の一節を眺めることをルーチンにしています。



荘周の人と生活
貧乏,自由人,妻子・弟子あり

 

1 轍鮒(雑編 外物 第2節)

(要約)

荘周は貧乏だった。そこである時,土地の殿さまに米を借りに出かけた。

殿様:「わかった。あと一週間もすれば税金が入るから,三百金貸してあげよう。」

荘周はムッとして答えた:「こちらに来る途中,誰か呼びかけるものがありました。声の方向を見ると,鮒が轍の水たまりで苦しそうにしているのです。そして『すみません,少しの水を持ってきて,私を元気づけてくれませんか?』と言うのです。私は答えました『了解!私はもうじき南に旅行する予定だから,その時,長江の水をたくさん汲んできてあげよう』。鮒は怒って顔つきを変え,『今,ほんの少しの水さえあれば私は元気になれるのに,あなたはなんとも悠長なことをおっしゃる。そのうち乾物屋に行って,干物になった私を探してください。」

(つけたし)この説話,大学入試の英作文に出題されたと最近まで信じていたが,同期生3人に聞いても誰も覚えていなかった。もしかすると私の妄想かもしれない。

2 尾を泥中に曳く(外篇 秋水 第5節)

(要約)

ある時,荘周が川で釣り糸を垂れていると,楚の国の家老が現れ,「我が国の政治顧問になっていただけませんか?」と彼をヘッドハンティングした。

荘周は浮子を見つめたまま答える:「楚の霊廟には神霊の宿った亀が大事に祀られているそうですね。でも,亀の立場からすると,殺されて有難く祀られるのと,泥の中で尾を引きずっているのとどっちが幸せですかねえ?」

家老:「そりゃあ,泥の中で『のそのそ』しているほうがいいでしょう。」

荘周:「私も尾を泥の中で引きずっていましょう。お引き取りください。」

3 無用の用 (雑編 外物 第7節)

(要約)

恵施が荘周に言った:「君の話は(面白いけど)まったく役に立たない(無用)よね。」

荘周は答える:「『無用』がどういうことかわかって初めて『役に立つ』とはどういうことかが判るんだぜ。大体,地面は広いけれど,人が歩くところは足で踏むところだけだよね。それなら効率第一で,人が歩かない(役に立たない)場所は黄泉に至るまで掘り取ってしまったら君は歩けるかい?」

恵施:「いやいや,そんな怖いことはできないよ。」

荘周:「ほら,『無用』が役に立っていることが判るだろ。」

(つけたし)恵施は当時の超秀才。詭弁の達人。荘子の中で,荘周との掛け合いがしばしば展開される。恵施が突っ込み,荘周がボケる。また,無用の用は荘子の中でしばしば登場するテーマでもある。そこでは「利用不能な巨大樹木」「超巨大カボチャ」「痔主」「せむし」などが無用を代表する。

4 鼓盆 (外篇 至楽 第2節)

(要約)

荘周の妻が亡くなった。恵施がお弔いに行くと,荘周は胡坐をかき,土の瓶(かめ:盆)をたたき(鼓)ながら歌をうたっていた(「チャンチキおけさ」がイメージ的には望ましい)。

恵施:「長いこと一緒に暮らし,子を育てて歳をとり,あの世に逝った奥さんだ。それなのに,泣き叫ぶこと(「哭」:当時のお約束らしい)もせず,ましてや瓶をたたいてチャンチキおけさとは,ひどいんじゃないかい?」

荘周:「俺もアレが逝ったときには『がっくし』きたさ。でも元をただせば,宇宙のチリが集まってアレになり,今また宇宙のチリに帰ってゆくだけのことではないか。アレが静かに宇宙空間に戻ってゆこうとしているのに,いつまでも泣き叫ぶというのは運命の道理に通じないことだと思って泣くのをやめたのさ。」

5 荘周の死(雑編 列御寇 第17節)

(要約)

荘周の臨終のとき,弟子たちは(あんな師匠だけれど)手厚く葬ってあげようと思っていた。

荘周(苦しい息の下):「私の死体処理の件だけど,天地を棺桶,日月を大きな宝石,星々を様々な珠,万物を副葬品とすれば,葬具一式完備するよね(そのへんに打ち棄てといてくれ)。」

弟子たち:「それでは先生のお身体が烏や鳶の餌食になってしまうではありませんか(やはり土中のほうが・・・)」

荘周:「烏の餌を横取りして蟻や螻(おけら)の餌にするというのは,地中の生物への『えこひいき』が過ぎるんじゃないかい(野ざらしでいいよ)。」



荘周の思想

1 鵬の飛翔(内編 逍遥遊 第1節)荘子のイントロ

(要約)

北の暗い海に「鯤」(こん:魚卵,たらこ)と呼ばれる巨大魚が棲んでいた。ある時,鯤は変身を遂げて「鵬」という名の巨大な鳥となった。海が大きく荒れる時,鵬は海面を疾走し,飛び立つや上昇気流に乗って九万里の高みにまで駆け上り,風にうちまたがって(培風)南の深い海(南冥)を目指したという。

蜩(ひぐらし)と小鳩は鵬の飛翔を見て笑う:「俺たちは向こうの木の枝を目指して飛び立っても,時には届かず不時着することもある。これでも,俺たちにとっては最大限の飛翔なんだが,鵬の奴はなんだって九万里まで駆け上って,わざわざ南を目指すんだろう。(奴さんは壮大な無駄をやってるのじゃないかね・・・もしかしてバカ?)」。

所詮小さな知恵は大きな智慧には及ばない(どうして蜩たちに鵬の意図がわかろうか)。

(感想)要約では表現できない圧倒的な迫力である。そして,巨大魚を『たらこ』と名付けるこのセンス!世間の秀才を蜩に,鵬を(荘子流の)理想人(至人:自らに執着しない人)になぞらえていることは,この後の文脈から判る。なお,「蜩と鵬の間に『差』(優劣)を認めることは,荘周哲学の基本である『万物斉同』の理念に反するのではないか」という議論もなされたようだが,目くじらを立てることはないと私は思う。荘周が一杯機嫌で,ホラを吹きまくっているというイメージである。

(つけたし)この一節は古来有名で,様々な局面で引用されている。二所ノ関部屋の納谷幸喜少年(のちの大横綱)が十両に昇進した際,漢籍好きの親方が「これは大物だ。鵬のように大きく育て」と四股名「大鵬」を与えた話は特に有名。また,科学書の出版社「培風館」の名前もここに由来する(と思われる)。さらに,野球で有名な仙台育英高校の校歌の出だしは「南冥遥か天翔ける・・・」であり,鵬の飛翔を歌っている。

2 万物斉同(内編 斉物論 第4節)

(要約)私たちは物事に対して「然」(そうだ)とか「不然」(そうじゃない),あるいは「可」(よし)とか「不可」(だめ)といった判断を下す。しかし,その判断は所詮,主観に縛られたものに過ぎないのではなかろうか。一方,(「道」‐自然の理法のようなもの?‐の立場からは)すべての物事は「然」であり「可」でもあり,否定されるものは何もない。

さらに,こうした道の立場からは,ライ病(金谷治訳注の原文のまま)患者と絶世の美女といった奇怪な取り合わせも(対立が消えて)ひとしく一つのものである。そして,人生の達人だけがこれをわきまえ,ことさらなことをせず,ただただ(自然の流れの中の)ありきたりの日常に身を任せてゆくのだ。

(感想)「ヘッポコ海洋研究者(中村君自身,荒田注)もアインシュタインも,みんな素粒子の集合体だぁ!」というところだろうか。劣等感にさいなまれるときはこの節を思い出すようにしている。そして朝,仏壇に茶を供えるときには,日常生活での「可」「不可」由来の「心のゆらぎ」をできるかぎり小さくしよう思うのだけれど,なかなかね・・・ というのが実情である。

荘子の本文全体を見渡すと,鵬の飛翔で蜩を「小知」としたり,荘周自身が気色ばむ場面(例:轍鮒の話)が見受けられる。もしかすると荘周自身もこの「なかなかね・・・感」を抱いていたのではなかろうか。そして「達人だけがこれをわきまえ」との表現は,このことの反映なのかもしれない。

(つけたし)「達人だけが道の立場をわきまえ,自然の日常に身を任せる」という上述の内容は,荘子の他の部分(特に内編)にもみうけられる。たとえば「宅(心の持ちよう)を一にして 已むを得ざるに寓すれば すなわち(ちか)し」(内編 人間世 第1節),「その奈何(いかん)ともすべからざるを知り,これに安んじ(めい)に従うは 有徳者のみ これを能くする」(内編 徳充符 第2節)など。個人の力ではどうしようもないこと(=已むを得ざる,如何ともすべからざること)には,身を任せることが重要なことが強調されている。

また「道」を表現する言葉としては「万物の係るところにして 一化の待つところ」(大宗師 第2節:万物がかかわり,どんな変化も依拠しているところ)が私には最もしっくりくる。

3 足切りの前科者が開く塾(内編 徳充符 第1節)

(要約)

孔子のホームグラウンドの魯の国に王駘という兀者(ごつしゃ)(足切りの刑にあった前科者)が塾を開いていた。この塾は大人気で,門下生の数は孔子の塾と肩を並べるほど。取り立てて何かを教えるわけでもなく,活発な議論をするわけでもない。それでも塾生は空っぽで出かけ,満たされて戻るという評判であった。ある時,常季という男が孔子に尋ねた「王駘は兀者のくせに,彼の塾はなんであんなに人気なんでしょう?」。孔子は答える「あの方は実は聖人だよ。人間にとって生死は最重要事項だけれども,あの人はそれに左右されることがない。空が落ち地面がひっくり返ってもびくともしない。借り物でない真実(無仮:道?)をみつめ,物事に流されず,事物の変化をさだめ(命)として,現象の根本に我が身を置いているのだよ」。「どういうことでしょうか」と常季は問い返す。孔子「万物斉同を実感しているあの人は,万物を貫く一つのものを見るばかり。物が無くなるなんて事は全然気にかからないから,自分の足が無くなることなど,土塊がそのあたりに落ちたぐらいにしか感じていないのさ」。常季「彼の心の持ちようが素晴らしいのは判るような気がするのですけれど,でもどうして,そうした人の周りに人が集まるのでしょう?」孔子「人は流れている水に自分の姿を映すことはしないで,静止した水面を鏡とするだろ。水が止まっているからこそ物の姿がちゃんと映る。あの人の静かな心と向き合っていると,周囲の者も自分の心が映し出される(自分も静かで満ち足りた気分になる)のだよ」。

(感想)ここにも荘周流の理想人のあり方が示されている。しかしその境地は,私にはとてつもなく遠い存在である。そのくせ,この一節に強く惹かれるのはなぜだろうか?おそらくは,この節自体が「鏡」として働き,心の揺らぎを少しだけ小さくする方向に働かせてくれているせいなのだろう。

(つけたし)荘子の中には兀者,せむし,醜男などがしばしば登場する。そして,社会的に低く見られがちの人々を通じて,「道」や生き方が説かれる(しかも,それらの話が面白い)。また,雑編の外物篇にはこんな説話もある。ある男に「道」のありかを問われた荘周は「虫けらにもあるよ」と答える。男が「ずいぶん変なものにあるんですな」と返すと,荘周は「そこいらの瓦礫や,うんこ・しっこにもあるよ」と続ける。これを聞いた男は黙りこくってしまった。「汚いもの,変なもの」を強調するのは荘子の大きな特徴でもある。

この節では孔子が「解説者」として登場している。荘子の本文中,孔子の出演頻度は著しく高い。その役割は「解説者」以外に,荘子流の道を説く達人,道を教えられる生徒,頑迷な道学者としてやり込められる道化などさまざまである。しかし,(荘周の哲学が強く反映しているとされる)内編では道化として貶められることは殆どなく,むしろ著者(おそらくは荘周自身)が孔子に敬意を払っているとさえ感じられる。こうしたことから,荘周は(孔子由来の)儒家の流れをくむのではないかという人もいる(出典は忘れた)。私もこの考えに従いたい。

4 莫逆の友(内篇 大宗師 第5節)

(要約)ある時4人の男 (A - D) が座を囲み,誰ともなく話し始めた:「『無』を頭,『生』を背,『死』を尻とするような感じで,死生存亡が一体であることを弁えるものがいるだろうか?そういう人と友になりたいものだ」。4人は顔を見合わせ,にっこり笑い,心から打ち解けて(莫逆於心:心に逆らうなく)お互い友となった。(中略:ABの間でのやり取り)。そうした中,Dが死の病にかかり危篤状態となった。Cはこれを聞くとDの元に駆け付けて言った。「偉大なものだね,造化(道)の働きは。この後,君をネズミの肝としようとしているのかね。それとも虫の腕としようとしているのかね」。Dは苦しい息の下で答えた。「偉大な鋳物師が金物を鋳るときに,溶けた金が飛び出してきて『絶対,俺は莫邪(ばくや)の名剣になるぞ』と叫んだら,鋳物師は『縁起でもない金だ』と思うだろ。同じように俺が『いつまでも人間でいたい』と言ったら,あの造化者(自然の理法を擬人化したもの)はきっと不吉な人間だと思うだろうよ。いま,天地の広がりを大きな鑢(るつぼ)とみたて,造化者を鋳物師と考えるなら,どんな形にされたって不都合なことは何もない。(死ねというなら)静かに寝るだけだし,(生きろというなら)ぱっと目を覚ますだけだ」。

(感想)7年前に胃がんにかかり,胃袋の 2/3 を切除する手術を受けた。この一節を胸に手術に臨んだが,やはり不安で一杯だった。一方わたしの父の場合,癌で余命半年と宣告された際に最初に発した言葉が「(半年後の)アテネオリンピックがみられるかな」だった。周りの者はこの言葉に脱力したが,こうした感じで死んでゆけたらと思う。

5 混沌 (内編 応帝王 第7節)

(要約)

南の帝王を儵(しゅく)といい,北の帝王の忽(こつ)といい,中央の帝王の混沌(こんとん)といった。あるとき儵と忽は混沌の国で会談したが,混沌は二人を手厚くもてなした。そこで二人は混沌にお礼をしようと相談し,こんな結論にいたった。「人の顔には目・耳・口・鼻の七つの穴があって,物を見,音を聞き,食事をし,息をしている。ところが混沌の顔には穴がひとつもない。(これでは人並みといえないから)穴をあけてあげよう」一日にひとつずつ穴をあけていったところ,7日目に混沌は死んでしまった。

(感想)この節は,人間の賢しらが,自然の純朴を破壊することを象徴的に説いたものとして,荘子寓話の中でも傑作である(金谷)。また,中間子理論でノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士が好まれていた寓話でもある。素粒子理論という「論理的思考(数学)に基づいて物質の本質を極めようとする学問」(のように私には思われる)に身を置きながら,博士はなぜ,「知」が自然を破壊するというこの話を好まれたのだろうか?論理では極めがたい自然の深淵を眺めておられたのだろうか?

(つけたし)大学2,3年の「分析化学」は藤原鎭男先生の担当だった。先生の講義は混沌としていて,きちんとしたノートを採ることは不可能だった。3年時の講義では,まじめなノートは最初から放棄し,ノート表紙に「混沌録」と書きつけて,先生が時折される化学関係の雑談をメモに取った。そんな私が卒業研究と大学院の選択では先生の門をたたいてしまった(後悔しておらず,むしろ幸いだった)。先生の「割り切れない世界」(不条理の世界?)に惹かれたのかもしれない。

 安部内閣総理大臣と荘子:モリカケ以上に深い関係

昨年,加計学園による獣医学部新設問題が世間をにぎわせた。その際,学園理事長と安倍総理の親密な関係を表す言葉として「腹心の友」という言葉がしばしば用いられた。これは加計学園の式典で,安倍氏が加計理事長との関係をそう表現したことに由来している。最初この言葉に接したとき,「腹心の友」って聞きなれないよね,と感じた私は,ネットで調べてみた。すると,この表現は村岡花子訳の「赤毛のアン」(読んだことはない)に用いられていることが判明した。「さすが安倍総理‼重厚表現の王者‼」と一瞬は思ったのだけれども,学園の式典での映像がネットにアップされていたのでこれを確認した。すると,生来の活舌の悪さを差し引いても,この方は「バクシンの友」と発音しているではありませんか!おそらく,重厚に「莫逆の友」というべきところ,なぜかバクシンとなってしまったのであろう。そして周りの頭の良い人が,「あれはフクシンと発音しているのです」と庇ったと考えられる。「私は立法府の長」・「ご批判云々(でんでん)は当たらない」など,「??」な発言で知られるお方にはふさわしい表現かもしれない。また,国会で自ら弥次をとばして(2015年2月26日)野党から反発を受けた際,この方は「いまだ木鶏たりえず」と応じた。

この「木鶏」も荘子に由来している(=闘鶏の究極の姿は木鶏(木製の鶏)のようなもので,こうなると,全く心を乱さず静かな姿のため,相手が戦意を喪失してしまう;外篇 達生 第8節)。そして「いまだ木鶏たりえず」の出典は,角聖 双葉山の連勝が69でストップした際,双葉自らが後援者へあ)の文言であり,一瞬心を乱して敗れてしまったことを表現している。「待った」をせず,堂々と落ち着いた取り口の双葉山(私自身は見たわけではないが、大学相撲部出身の父がよく言っていた)にはふさわしい表現である。一方,安倍氏の場合,普段から「こんな人たち」とか,特定の新聞社に対する罵りを感情的に繰り返しているので,「木鶏たりえず」とのアンバランス感は余人をもって代えがたいと思う。わたしはこの 知的生命体 の重厚表現を楽しんでいる。




おわり





# by yojiarata | 2018-03-26 21:23 | Comments(0)

がんの薬 巻の一 がんを哲学する



ご隠居さん 長い間,ゴソゴソ熱心に記事を書いておられましたね。
いったい,何の話?

がんの薬 について,専門家のご意見を伺うことにしました。

これまで,2回にわたって,日本で最大手の製薬会社の一つである第一三共(株)で,新薬開発の陣頭指揮をとってこられた平岡哲夫博士に,日本の創薬について,お話を伺いました。

創薬 日本の現状と将来 Ⅰ-Ⅵ (2011年6月執筆)



創薬・新版(2016) 日本の現状と将来 巻の1,巻の2 (2016年12月執筆)



いずれの記事も好評を博しました。

そこで,多くの人が関心を持っておられる がんの薬 の現況について,【創薬】,【創薬・新版】の場合と同じように,質疑応答のかたちで問題を取り上げることにしました。

今回は春山英幸博士(第一三共 Global Head of Research,日本製薬工業協会・研究開発委員会委員長を歴任後,現在は,第一三共 常勤監査役)に,私(荒田)の質問に答えていただくようお願いしました。その結果を,春山さんのコメントを伺いながら,私が編集し 【 がんの薬 巻の二 これまで・現在・これから Ⅰ,Ⅱ 】 として掲載します。

【 がんの薬 巻の一  がんを哲学する 】 は,がんの薬について,詳しい質疑応答を掲載するに当たっての,” 前座 ” に相当する部分です。私自身が執筆しました。

それでは, 【 がんの薬 巻の一 がんを哲学する に進みます。


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1)敵を知り,己を知る


敵を知るには,まず,守るべき味方を知らねばなりません。がんの薬について知るためには,がん そのものについての最小限の知識が必要です。

医師による診察と向き合う一般の人々には,がんとは何か,現代の科学ががんとどう向き合っているのか,今後の展望はどうかなど,がんに関する教養を身に付けたいと希望している方が少なくありません。

事実,一般読者を対象として,がん の著書が数知れず出版されています。これらの著書は全て医師によって執筆されたものです。私は可能な限りこれらの著書に目を通しましたが,残念ながら,一般読者の疑問に応えうるものに出会うことはありませんでした。私自身の結論は,医学と薬学の関係の原点に立ち返り,がんの生物学について,徹底的に熟慮することなくければ,先が見えてこないということです。

私は,がんについて長年勉強し,一冊の本を書きました。書くからには基礎的な知識を徹底的に身に着け,自分の身にしみこませることが必須です。

私は,大学の基礎課程に在籍中,同じクラスにいた青木幹雄君と友達になりました。この偶然が,私が がんの生物学に熱中するきっかけになりました。その後,青木君は吉田富三門下で病理学を専攻し,私は薬学部に進学しました。

私が何故,がんの生物学に熱中することになったのか。それは,がんをストーリーとして語る 青木君の類ない才能でした。日本中を探してもこんな医学者はいませんよ。

中村君による 「蒟蒻問答 古典を輪切りにする,万葉集,古事記」 の記事でも書きましたが,物事の本質に迫るには,直感とズバリと指摘する ”直感派の発言” が本質的です。青木君は,古典に示した中村君の同じ意味で,直感派の巨匠であると,私は深く尊敬しているのです。

最初に言葉を交わして以来,今日まで60年余り,時々会ってお茶を飲みながら雑談をしたのですが,気が付いてみると,いつの間にか がんの話になっていました。青木君のちょっとした話に,好奇心の強い私が突っ込む,漫才でいう,ボケ(青木)と突っ込み(荒田)を延々と続けてきました。

その結果,出来上がったのが

荒田洋治『がんとがん医療に関する23話  がん細胞の振る舞いから がん を考える』(薬事日報社,2009)

です。自分でいうのはおかしいかもしれませんが,この小冊子を手元に置いておかれれば,がん の薬の話を聞く場合の理解に役立つと思います。

この小冊が,理系であれ,文系であれ,がん に関する広い意味での教養を身につけたいと考えておられる読者のお役に立つことを願っています。

ここで,最近の統計データを引用しておきます。

国立がん研究センターがん情報サービス

をご覧ください。

例えば,男性,女性,男性・女性の合計

2013年のデータ
胃がん,乳がん,胃がん

2015年のデータ
肺がん,大腸がん,肺がん

となっています。がんも時代とともに変わるようですね。

詳しいことは,がんセンターの資料を熟読してください。

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2018年2月22日 追記

医学専門雑誌・ランセットの最近号に,国際規模で集められた極めて重要な統計データが収録されています。ぜひ,目を通してください。

Global surveillance of trends in cancer survival 2000–14
(CONCORD-3): analysis of individual records for
37 513 025 patients diagnosed with one of 18 cancers from
322 population-based registries in 71 countries

国立がん研究センター がん生存率の推移に関する大規模国際共同研究2000-2014年に診断された3,750万症例の5年生存率を公表 もご覧ください。

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2)人類と病気との闘い


地球に誕生して以来,人類はありとあらゆる病気に悩まされ続けてきました。人類と病気の闘いは,さながらモグラたたきのようです。コレラ,チフス,ペストなどの急性伝染病,梅毒,結核などの慢性伝染病をその時その時で何とか押さえ込んだ今,気が付いてみると,あたかも引き潮になって姿をみせる昆布や岩のように,海底で長い間出番を待っていた脳梗塞,心筋梗塞,そしてがんが我々の前につぎつぎに姿を現す事態となりました。

がんは先史時代から人々を悩ませていたようです。ジャワ原人の骨やスイスのミュンジンゲンで発見された新石器時代の戦士の上腕骨に「骨肉腫」(骨の悪性腫瘍)の痕跡が認められるということです [→ ピエール・ダルモン(河原誠三郎,鈴木秀治,田川光照訳)『癌の歴史』(新評論,1997,29-30ページ)] 。

2千年以上も前に生きたギリシャの哲学者ヒポクラテスによる著作には,すでに乳がんについての記載がみられます [→ ヒポクラテス(小川政恭訳)『古い医術について 他八篇』(岩波文庫,1963)]。体の表面に出来た乳がんのかたちが,甲羅から足を伸ばしたカニのかたちに似ているところから,カニを語源とするcancer(英語), Krebs(ドイツ語),Carcinoma(ラテン語)が用いられることになったといわれています。


3)がんとは何か

腫瘍は,地理的にはある国の一部でありながら,独立を主張し,その国の憲法を全く無視して勝手気ままに行動して勢力を拡大していく “革命自治政府” のようなものです。

腫瘍は,“ 新生物 ” と “ 悪性新生物 ” に分類されます。新生物は,腫瘍が発生した部位の正常の細胞と姿,かたちがほとんど変わらない細胞から成り立っています。

新生物は良性腫瘍と同義語です。良性腫瘍の細胞は増殖が遅く,腫瘍が一定の大きさに達すると増殖が止まります。その結果として腫瘍は局所にとどまり,浸潤も転移も起きません。良性腫瘍は,必要なら手術によって摘出することも可能です。特別の場合を除いては,良性腫瘍が致命的になることはありません。よく知られた例外は脳腫瘍です。硬くて狭い閉鎖空間に発生した腫瘍は,たとえ良性であっても一命に関わることがあります。

一方,悪性新生物すなわち悪性腫瘍は,自らの周りの組織を破壊しながら増殖を続け,さらに血液,リンパ,体腔などを介して身体の様々な場所に飛び火します。悪性新生物,悪性腫瘍,がんは全て同義語です。


がんの多発地帯:体の表面

人の身体の至るところから がんが発生します。しかし,はっきりといえることがあります。それは,結合組織や支持組織などからも,がんは発生するけれど,ほとんどのがんは身体の表面を覆っている上皮組織から発生するという経験的事実です。すなわち,身体の “表面” は,がんの多発地帯なのです。

つぎのような仮想の実験を想像してください。

体内の組織に触っても傷つけないように注意して作った細くて軟らかいプラスティックの長い棒を口からそっと差し込んでみます。この棒は食道から,胃,小腸,大腸,肛門を通って身体の外に出ます。すなわち,食道から肛門にいたる消化管の上皮組織はすべて身体の表面です。

肝臓細胞も上皮細胞すなわち表面です。お酒が過ぎると,胃液や胃の内容物と一緒に,胆汁を吐きます。肝臓細胞が口につながっているからです。人の身体からは尿も出れば,汗も鼻水も出ます。体液が出てくるところは,すべて表面です。

似たような状況を想定すれば,子宮頸部,子宮体部の上皮組織はいずれも表面であることが理解していただけるでしょう。子宮体部の上皮組織を形成する子宮内膜は,生理のたびに剥がれ落ちて,血液とともに体外に流れ出ます。

別の例を挙げれば乳管です。母乳を作る乳管細胞が乳頭を通って外に繋がっていなければ,おなかを空かせた赤ちゃんの口に母乳は入りません。肺の上皮組織も表面でその機能を発揮します。酸素を取り込み,二酸化炭素を吐き出すためには,肺胞の表面が口,鼻につながってなければなりませんから。


実質とストローマ

上皮組織は,たとえば胃では粘膜上皮組織として,消化酵素の分泌などに関わっています。このように,ひとつの塊となって,生きていくための機能を発揮する細胞の集団を “実質” とよびます。

一方,結合組織は身体が出来上がっていく過程で生じた細胞間の空隙を埋め,身体を支える役割を果たします。ここで注意していただきたいのは,上皮細胞には,自分自身の活動を支えていくために必要な酸素と栄養の補給路が備わっていないということです。このため,上皮細胞の生存に必要な酸素と栄養は,結合組織に大量に存在する血管によって供給されています。

結合組織は “間質あるいは “ストローマ” と総称されます。以後,ストローマを用いることにします。ストローマは,実質が心おきなくその使命を実行するために用意された,普遍的かつ必要不可欠な組織です。

強調しておきたいことは,“上皮のあるところにストローマあり” ということです。すなわち,上皮とストローマはつねに一組のセットとして考えるべき存在です。“基底膜” によって隔てられた “上皮” と “ストローマ” の関係は,正常組織の場合であっても,悪性腫瘍の組織であっても概念的には変わりはありません。

組織の空隙を埋め,実質を支え,実質を構成する細胞に血管を通じて酸素,栄養を供給する働きをするのがストローマです。たとえてみれば,
登山する部隊(実質)の食料などを備蓄してそれを支える役割を受け持つのがストローマです。


“癌”と“がん”と“ガン”

現在,書籍,新聞などでは,“癌”と “がん”と “ガン” という風に,漢字と平仮名と片仮名を見かけます。言語学的に根拠はないと思うのですが,平仮名で “がん”と 書くと,癌と肉腫の両方を含むということになっているようです。

“国立がんセンター” は,癌という字を使わず,あえて平仮名で“がん”と書いています。以前,大塚にあった“癌研”(財団法人癌研究会癌研究所)では,漢字の “癌” を使っていました。癌研は,吉田富三先生が所長をしておられた頃から,癌には肉腫が入らないから困るといって,気にされていたということです。片仮名の “ガン” は病理の専門家は使わないようです。


良性と悪性

良性と悪性は,言葉の上では明確に区別がついているといえばついているのですが,現実的には必ずしもそうとも限りません。良性にもいろいろな種類があり,良性腫瘍が悪性化することもあります。さらに困ったことに,組織全体をみると,一部が良性,一部が悪性という場合さえ知られています。当然といえば当然ですが,生物の理解の難しい点です。

診察を受ける側にとっては,良性と悪性の区別は極めて重い意味をもちます。がん検診で,“ 腫瘍がありますが,幸い良性です ”と告げられれば安心します。しかし,実際には,良性と悪性の区別は微妙なことが少なくありません。診断した医師から,「現在のところ心配はありませんが,半年か一年したら,念のためもう一度検査しましょう」と告げられることもあります。その時,その時で,担当の医師から納得がいくまで説明を聞いていただきたいと思います。


がんは “どうにもとまらない”

がんの特徴を直感的に理解するには,がんと炎症を比較してみるのがよいと思います。炎症は,日常生活でも何となく使われているのですが,医学の定義は必ずしも明確ではないようです。赤くなって,熱をもち,燃えるような感じがすることから,ドイツ語でも英語でも,燃えているという意味の言葉を使います。このため,日本語でも,漢字の “炎” をあてることになったのでしょう。

炎症は肺炎,腹膜炎,虫垂炎,腱鞘炎などのように炎という語尾で終わっているもののほかに,炎とは関わりない名前でよばれている結核,梅毒などの伝染性の疾患にも認められます。我々が遭遇する病気の多くが炎症を伴います。結核や梅毒の病巣が,初期の段階から全身に拡がっていく有様は,がんの場合と驚くほど似ています。がんも炎症も,病気の舞台が同じ人体であることを考えれば,当然といえば当然です。

しかし,炎症はその原因を取り除けば消えてなくなります。これに対して,がんは,原因が何であれ,いったん進行が始まると,“どうにもとまらない”のです。ここが,がんと炎症が決定的に違う点です。


4)がんの治療

がんの治療には,外科手術,放射線療法,化学療法が用いられます。しかし,がんが進行してしまった場合,少なくとも現在では,化学療法が最後の “命綱” です。身体の方々に散らばってしまったがん細胞を殲滅するには,相手の居場所を特定して行う外科手術,放射線療法は無力だからです。


巻の二 がんの薬 これまで・現在・これから(Ⅰ) 


に続きます。
























# by yojiarata | 2018-02-09 22:00 | Comments(0)

がんの薬 巻の二  これまで・現在・これから(Ⅰ)



以下,抗がん剤の名称,キーワードといえる重要な概念などは,文中,赤字で表示します。




抗がん剤の変遷


荒田

そもそも,薬という概念が歴史に登場するのは,いつ頃でしょうか。


春山

中国最古の薬物書として「神農本草経」が知られています。本草とは今で言えば生薬のことで,この本には365種の薬物が記載されています。後漢から三国時代に当たる,1世紀から3世紀頃までに編纂されたと考えられています。神農(しんのう)というのは中国の古代伝説上の存在で,百草を嘗めて効能を確かめ緒人に医薬と農耕の術を教えた神とされています。

「神農本草経」を編纂した実在の人物というわけではありませんが,中国文明発祥の時から,薬というものの存在は意識されていたということなのではないかと思います。

また,メソポタミアでは,B..3000年頃には,芥子(けし)が栽培されていたことを示す記録が出土しています。ギリシャ時代になると,その樹液から得られたアヘンが鎮痛剤として用いられていました。西洋医学の祖とされるヒポクラテスは,セイヨウシロヤナギの樹皮を熱や痛みを和らげるために,また葉は分娩時の痛みの軽減に用いていたと言われています。そうすると,なぜ効くかということはともかく,古代文明発祥の時から薬というものの存在は認識されていたのだろうと考えます。

余談ですが,セイヨウシロヤナギの示す鎮痛作用の本体は,19世紀に入ってからサリチル酸であることが明らかにされました。サリチル酸で問題となっていた胃腸障害を軽減した鎮痛剤としてアセチルサリチル酸がみいだされ,アスピリンの商品名でバイエル社から発売されたのは,1899年です。

荒田
初めに,現在使われているがんの薬について,最新の治療薬までに,どのような変遷を遂げていたかを簡単にたどっていただけませんか。


私(荒田)の知る限り,シスプラチン がありますね。ウェブには次のような記述があります。

シスプラチンは,1845年にイタリアの化学者ミケーレ・ペイローネ(MichelePeyrone,1813-1883年)により錯体の研究材料として合成され,「ペイロン塩(Peyrone's salt)」とよばれた。


1965年,アメリカ合衆国のバーネット・ローゼンバーグ(Barnett Rosenberg)らは,細菌に対して電場が及ぼす影響を調べている時に,偶然プラチナ電極の分解産物が大腸菌の増殖を抑制し,フィラメントを形成させることを発見した。その後1969年には,ローゼンバーグらにより白金化合物の大腸菌に対する細胞分裂阻止作用を応用して癌細胞の分裂抑制に対する研究が行われ,その結果ペイロン塩,つまりシスプラチンが動物腫瘍において比較的広い抗腫瘍スペクトルを有する化合物であることが判明した。


1972年にはアメリカ国立癌研究所(NCI)の指導で臨床試験が開始されたが,強い腎毒性のため,いったんは開発が中断された。しかし,その後シスプラチン投与時に大量の水分負荷と,さらに利尿薬を使用することによって腎障害を軽減することが可能となった。その後の臨床開発により,1978年にカナダ,アメリカ等で承認され,1983年に日本で承認された。

荒田

抗がん剤全般については,如何でしょうか?

春山

抗がん剤の開発の歴史を網羅的に語ることは,私の能力を超えますので,私自身,抗がん剤の進化のマイルストーンとなったと考えている代表的な薬剤について時系列的に述べることによって,いささかなりともご質問の回答になるよう努めたいと思います。

シスプラチン の発見の経緯は先ほど引用されたネット上に書かれている通りです。その抗がん効果は,DNA上で近接するグアニン残基同士を化学的に架橋することによって,細胞分裂を停止させることに由来します。

同じように,DNA鎖を架橋することによって細胞分裂を停止させる薬物にシクロフォスファミドがありますが,この薬物の起源をたどれば,第一次世界大戦中に毒ガスとして開発されたマスタードガスに行き着きます。

開発時期が白金製剤と同じ頃の他の薬剤の例をもう少し示しましょう。例えば,急性骨髄性白血病の標準治療に用いられているシタラビン商標名 キロサイド,以下,カッコ内に商標名を記します)はヌクレオシドのアナログで,DNA鎖中に取り込まれたところで,複製中のDNA鎖の伸張が停止します。また,パクリタキセル(タキソール)は,微小管を安定化させることで微小管のダイナミクスを抑制し,正常な細胞分裂の進行を妨げます。


抗がん薬の種類と作用機序
化学療法剤,分子標的薬,免疫チェックポイント阻害剤


 化学療法剤

20世紀中に開発・上市された抗がん剤は,作用点は異なっても,細胞分裂を停止させるという点では,共通の機構によって抗がん効果を示す薬剤でした。これらの薬剤は,現在でも臨床で用いられていますが,次に述べる分子標的薬との対比において,化学療法剤とよばれています。

【荒田注,上市(じょうし),新製品を初めて市場に出すこと。[広辞苑第六版]

● 分子標的薬

遺伝子操作技術が医薬品の探索研究に本格的に導入されたのは,1980年代になってからだと思います。その成果の一つとして,細胞増殖シグナルの分子機構の詳細が解明されました。正常な細胞増殖は,生物の発生・分化に重要な役割を果たしていますが,がん化した細胞では,遺伝子変異により,増殖シグナルが常にオンになっています。この無秩序な増殖シグナルを遮断することにより,抗がん作用を示す薬物を分子標的薬といいます。二つの例を示します。

最初に紹介したいのは,ハーセプチン(一般名;トラスツズマブ)です。ハーセプチンは,受容体型チロシンキナーゼに属するHer2 タンパク質を認識する抗体医薬で,1992年から臨床開発が開始され,FDA 承認は1998年,日本では2001年に,「HER2過剰発現が確認された転移性乳がん」に対する治療薬として承認されました。Her2 は1986年に,ヒト上皮細胞成長因子受容体に類似の受容体型チロシンキナーゼとしてクローニングされました。

一般に,受容体型チロシンキナーゼに属するタンパク質は,共通の機能部分から構成されています。細胞膜を貫通する形で存在していて,細胞の外表面から突出した部分は外部刺激を受ける部分で細胞内の部分は,タンパク質にリン酸基を付加する酵素活性(キナーゼといいます)をもっています。休止状態では単量体として存在していますが,外部刺激に反応して二量体を形成します。二量体化が引き金となって,キナーゼ活性が惹起され,細胞質内の特定部位に存在するアミノ酸のチロシンがリン酸化されます。チロシンがリン酸化されると,まるでドミノ倒しのように一連のキナーゼの連鎖反応が開始され,細胞増殖が引き起こされることになります。

乳がん患者,あるいは胃がん患者の約2割で,がん組織におけるHer2の過剰発現,恒常的な活性化が観察され,ハーセプチン はこのような患者に対して有効です。

ハーセプチン は,抗体分子ですので,標的細胞の細胞表面部分に結合することによって,細胞内への増殖シグナルの伝達を遮断します。一方,低分子医薬の場合には,細胞の中に入って,細胞増殖に関与しているキナーゼの連鎖反応を阻害することが可能です。

そのような例として慢性骨髄性白血病の治療に用いられているグリベック(一般名;イマチニブ)を紹介します。1998年から臨床開発が開始され,欧米で2001年に承認を取得しました。日本では,慢性骨髄性白血病等を効能として2005年に承認・上市されました。

白血病には幾つかの種類がありますが,慢性骨髄性白血病は成人白血病患者の15~20%を占めています。比較的ゆっくり進行しますが,平均4年程度で急性転化期に移行し,予後不良となります。慢性骨髄性白血病患者の骨髄細胞にはフィラデルフィア染色体とよばれる異常な染色体が観察されることが,既に1960年に報告されていました。

1973年には,フィラデルフィア染色体が,後天的な9番染色体と22番染色体の転座によって生じ,結果としてBCR/ABL融合タンパク質が生成されること,そして,この異常染色体は慢性骨髄性白血病患者の95%に観察されることが明らかになりました。

そして,BCR/ABL融合タンパク質がチロシンキーゼ活性を有し,慢性骨髄性白血病患者では,このチロシンキナーゼ活性が恒常的にオンになっていることが病因であることが証明されたのは,1990年のことです。グリベックは,この知見に基づき,BCR/ABLチロシンキナーゼの阻害剤として開発された薬剤です。

化学療法剤については,対象となるがん種を示していませんでしたが,分子標的薬についての説明では,対象となるがん種を明示しました。その理由は,がん化を引き起こすキナーゼの異常は,がん種ごとに異なっているからです。一対一対応というわけではありませんが,細胞増殖に係わる,どのキナーゼの変異が,どのようながんを生じさせるかということは,昨今の遺伝子解析技術の進歩とともに詳細があきらかになってきています。

最近では,特定の細胞のがん化を引き起こす遺伝子変異は,ドライバー変異とよばれていますが,分子標的薬の探索研究においてドライバー遺伝子の特定は重要な出発点です。それと同時に,個々の患者さんがどのような遺伝子変異を有しているのかということは,抗がん剤選択の重要な手がかりとなっています。

ヒトを含む動物の体内に侵入した細菌やウイルスなどの病原体は,異物(=自己の体を構成する細胞や組織ではないもの,非自己)として認識され,免疫機構により排除されます。

大学院を終えて製薬会社に就職した1980年当時,私にとって免疫学は,何の脈絡もない現象論の集積でしかなく,途方にくれるばかりでしたが,この状況は,免疫学への遺伝子操作技術の適用によって大きく変化しました。

1990年代に入ると,免疫現象に関与する多彩な細胞を秩序立てて分類し,免疫現象を免疫細胞表面の受容体とリガンドの相互作用で説明することが可能になったからです。

この学問分野を分子免疫学といいます。自己,非自己の識別機構の理解も,分子免疫学の進展により深まりました。そのような成果の一つが,今日,T細胞活性化の共刺激モデルとよばれるものです。

共刺激モデルとは,異物排除の主役であるT細胞(リンパ球の一種です)が細胞障害活性を獲得するには,異物の存在を示すシグナルに加え,共刺激とよばれる追加のシグナルが必要とされるというモデルです。

共刺激には,活性化を促すシグナル(正のシグナル)と抑制するシグナル(負のシグナル)の両方があり,T細胞が活性化されるためには,二段階目で正のシグナルを受け取る必要があります。逆に,負のシグナルを受け取るとT細胞の活性化は起こりません。T細胞が成熟していく過程では,自己を誤って認識して障害する不良品のT細胞が生成する可能性があり,これらを徹底的に取り除く仕組みが別に存在しています。それでも,最終段階において,「攻撃してよいか」の見極めをする仕組みといえることから,免疫チェックポイントとよばれています。

共刺激モデルは,がん細胞が免疫機構によって異物として排除されない理由も明らかにしました。がん細胞に共刺激モデルを当てはめた場合,負の共刺激シグナルの伝達に関与していたのは,がん細胞表面に発現しているPD-L1PD-L2というタンパク質とT細胞上のPD-1とよばれるタンパク質との相互作用でした。この相互作用により,せっかくT細胞が,がん細胞を発見しても,最終段階で攻撃中止のシグナルが送られてしまうことになります。この機構の解明には日本の研究グループが大きな貢献をしています。PD-1 は,1992年に京都大学・本庶佑教授 の研究室で発見され,その機能の解明も同研究室で行われました。

この成果を受け,小野薬品は,本庶教授と共同で抗PD-1抗体の研究開発に着手しました。免疫チェックポイントにおける負のシグナルを阻害し,T細胞の細胞障害活性を高めようという戦略です。その結果,誕生したのが,2014年に根治切除不能な悪性黒色腫の治療薬として承認を取得した オプジーボ(一般名;ニボルマブ)です。オプジーボは,世界初の免疫チェックポイント阻害剤として上市されました。現在,抗PD-1 抗体医薬としては他に一剤が日米欧で上市されています。

PD-L1 抗体としては3剤が上市済みですが,日本で上市されている抗 PD-L1 抗体は バベンチオ(一般名;アベルマブ)の一剤のみです。また作用機序は多少異なりますが,抗CTLA-4 抗体であるヤーボイ(一般名;イピリムマブ)も日本で上市されており,この薬剤も免疫チェックポイント阻害剤に分類されています。

以上,化学療法剤,分子標的薬,免疫チェックポイント阻害剤 について説明しました。これらの薬剤の着想から開発の過程は,同時に,がんというものの分子生物学的実態がより詳細に理解されてきた過程であったということがご理解いただけたでしょうか。では,これからの抗がん剤の開発はどのように進展するかということをお話したいと思います。どうも,二つの大きな流れがあるようです。

一つは,治療ツールとしての高機能化の方向です。免疫チェックポイント阻害剤は,免疫機能のブレーキをはずして,生体に備わった免疫機能を高める治療法ですが,この考えをさらに進めれば,T細胞を人工的に改変して,スマート爆弾のようにがん細胞上の目印を手がかりに,がん細胞のみを攻撃することが考えられます。これがCAR-T療法で,既に実用化されています。また,人工的に改変したウイルスを腫瘍特異的に感染させ,がん細胞を破壊する腫瘍溶解性ウイルス療法も,このカテゴリーに入るでしょう。

もう一つの方向は,がん細胞の生態に注目して,新たな治療戦略を立案するという方法です。例えば,最近,がん細胞は,周囲の非がん細胞との相互作用によって,がん細胞が住みやすい環境(がん微小環境,あるいはニッチといいます)を整えていることがわかってきています。このことに注目して,その環境を破壊するという方法もあり得る戦略の一つではないでしょうか。

現在,がんという病態は,大変にヘテロで,かつ常に動的に変化し続けるものであると認識されるようになってきています。ですので,がんの征圧のためには,万能の特効薬を期待するというよりは,多様な治療選択肢を用意しておくほうが現実的であると私は考えています。


抗がん剤の副作用


荒田

薬には何らかの 副作用 がつきものですが,何だか恐ろしいですね。日本でも使われているのでしょうか。

春山

今,ご紹介した薬物は,全て日本国内で使用されています。まず一般論ですが,副作用には,作用機序の延長線上にあるものと,薬剤の化学的性質に由来するものの2種類があります。

例えば,血液をさらさらに保つ抗凝固剤は,血栓症の予防に必要な薬剤ですが,投与量が多すぎれば,同じ作用の延長線上に,出血という副作用が生じます。化学的性質に由来する副作用の例としては,低分子医薬の化学構造に由来する心臓や肝臓に対する毒性があります。これらの副作用の可能性については,安全性試験の過程で排除しなければなりません。また,どの程度の副作用が許容されるかは,対象疾患の重篤さによって考える必要があります。特に,抗がん剤の場合には,がんという疾患の重篤さを考慮の上,患者にとってのベネフィットと,許容し得るリスクの程度を判断する必要があります。糖尿病薬のような薬剤で肝障害などの副作用が発生した場合には,即刻,投薬中止となります。

一方,抗がん剤の場合には,必ずしもそうはなりません。専門医の判断により,治療効果が期待できると考えられる限り,副作用をコントロールしつつ,投与が継続されることになります。

分子標的薬 は,化学療法剤 に比べ,副作用が少ないような印象をもたれるかもしれませんが,そうでもありません。血液毒性に加えて,下痢などの消化管症状,発熱,嘔吐,吐き気などは,抗がん剤一般に観察される副作用です。ただ,分子標的薬,免疫チェックポイント阻害薬は,作用点が特定されているという点で,有効性が高く的確な副作用対策が立てやすいと言えるかもしれません。

免疫チェックポイント阻害剤 の副作用として,頻度は低いものの,重症筋無力症や,1型糖尿病が報告されています。これらの疾患は,自己障害活性T細胞が活性化された結果ですから,作用機作の延長上に十分に予想された副作用といえます。また,ハーセプチンの副作用として心機能障害がありますが,これも作用機序の延長上にある副作用です。アジア人は,分子標的薬で間質性肺炎を起こしやすい ので注意が必要です。

荒田

過去に起きた薬害の例を挙げていただけませんか。

春山

先ほど,お話ししたように,抗がん剤は末期がんの患者に用いられることが多く,専門医によって,想定される副作用と期待される効果のバランスを考慮の上,薬剤が選択され,投与されるのが原則です。

では,薬害が皆無かといえば,不幸にして過去に分子標的薬であるイレッサ(一般名;ゲフィチニブ)についての薬害訴訟がありました。原告側の敗訴とはなりましたが,得られた教訓は貴重であり,その後の抗がん剤治療に生かされていると思います。

荒田

副作用,specificity などについてまとめていただけませんか?

春山
まとめると,次のようになるでしょう。特異性が向上し,著効を示す薬剤も出てきましたが,作用機序に由来する副作用の可能性は減っていません。分子標的薬や免疫チェックポイント薬がより安全な薬かといえば,そうは言えないということになるかと思います。副作用を最小化し,最大の効果を得るためには,抗がん剤の薬剤の特性を熟知した専門医の厳重な管理下で使用される必要があります。

荒田

薬業界の努力,大学との共同研究による進歩についてお考えをお聞かせください。研究・開発に要する時間,経費などについても触れていただけませんか。

春山

新規医薬品の創製を,1)病態の解明に基づく創薬標的の同定・検証,2)選択された創薬標的に作用するモダリティー(低分子化合物,抗体医薬,あるいはその他)の創製と評価,3)臨床試験の実施と承認の取得,4)承認を受けた医薬品の安定供給と品質確保を可能にする生産体制の確立の四段階に分けた場合,製薬会社が得意とするのは2)以降であり,1)の部分は,アカデミアとの連携なくしてはなし得ないことは,先に概観した抗がん剤の変遷の歴史から明らかだと思います。また,2)から4)に関連する技術についても,その革新にはアカデミアとの連携が必須です。


抗がん剤の価格について


荒田

患者側にとって,薬価が手の届かない額であることが悩みの種ですね。なぜそんなに高額なのですか。

春山

薬価という点では,抗がん剤は,高血圧の薬などよりは,確かに高価と言えるでしょう。特に昨今は,オプジーボの薬価の問題 が,一般紙や週刊誌で取り上げられていますので,皆さんの関心も高いことと思います。ですが,個人負担という意味では,日本は国民皆保険制度が整備されていますし,医療費が高額になる場合には,高額療養費制度というものが利用できますので,手が届かない薬剤という訳ではありません。

米国のように製薬会社が市場原理に従って自由に薬価を決めることのできる国もありますが,日本を含む多くの国々では,薬価決定に国が関与しています。製薬会社が日本国内で新製品を発売しようとする場合には,薬事承認を取得するだけではだめで,薬価収載申請を行って,その製品が薬価収載される必要があります。

皆さんの多くが医療機関を受診した際に窓口で支払っているのは,実際にかかった医療費の3割です。残り7割は健康保険などの公的保険から医療機関や薬局に支払われるわけですが,薬剤費の場合,保険の支払い対象になるのは,薬価基準リストに収載された薬剤のみとなるからです。



つづく








# by yojiarata | 2018-02-06 21:00 | Comments(0)