薬学部6年制 Ⅴ


フランスとアメリカにおける薬学の現状

西欧先進国において薬学がどのような経過をたどって現在に至ったについて,フランスとアメリカを取り上げて要約する。

フランスの場合

ルネ・ファーブル/ジョルジュ・ディルマン(奥田潤,奥田陸子訳)『薬学の歴史[三訂版]』(文庫クセジュ,白水社,1994)には,医学とともに,フランスの薬学がどのような変遷を経て今日に至ったかが明快に記述されている。

初期の病気治療は,魔術師・祈禱師あるいは僧侶によって行われていた。この点に関しては,ヨーロッパに限らず,中国,さらに日本でも代わりはない。当時は,薬物に頼らず,呪術やお祓いなどで治療を行っていたであろう巫女たちが,薬草や毒草についてもっていた知識は,近代の薬物の開発につながっていった。

医師たちは,当初,調剤は下等な技術であり,調剤師を監視していなければならない助手と考えていた。このことが,医学と薬学の間の摩擦を惹き起こすことになった。このようにして,欧米諸国では,医薬と薬学の分離が起こるべくして起きたということができる。

医師と薬剤師の熾烈な闘い,その結果としての“医薬分業制”の確立,そして,薬学6年制が法律によって制定(1987年)に至るまでの過程が明快に記述されている。フランスにおける薬学部(6年制)の学生の選抜は極めて厳格であり,『薬学の歴史』の訳者のあとがき(137-138ページ)に記述されているように,選ばれしエリートのみが薬剤師としての資格を取得することができる。

薬学部(6年制)に入学し,一人前の薬剤師になるための資格を取得するには,きわめて厳しい選抜が行われる。

フランスでは,薬学部(全国国立大学)へ入学するためにはバカロレアに合格していなければならない。薬学部へ入学すると,一年生の後半に進級選抜試験があり,約三分の二の学生は不合格となる。学力が一定水準に満たないものを不合格とするためと,二年生へ進級できる学生の数が毎年政府によって決定されることになっているためである。

選抜試験に合格した学生は,四年生で薬局コース(70-80%),臨床生物学コース(15-20%),製薬学コース(5-10%)に分かれる。臨床生物学コースへ進んだ学生は,五,六年生の間にインターン国家試験に合格しなければならない。また三コースのいずれに進んでも,五,六年生のどちらかで六ヶ月間の病院薬局および開局薬局の実習が必須となっている。

六年生を終了すると大学で行われる薬剤師試験があり,この試験に合格して初めて薬剤師の地位につくことなることができる。

『薬学の歴史』の「訳者まえがき」には,「医薬分業」について,次のように書かれている。

・・・ フランスではすでに十三世紀からすでにその体制が確立し,その他の欧米諸国もそれと前後して同じ道をたどったのであった。医薬分業下では,医師は患者の病気の診断と治療に専心し,薬にかんしては処方箋を渡すだけで,調剤・投薬は行わない。いっぽう薬剤師は,その専門知識をじゅうぶんに生かして処方箋にしたがって調剤を行い,患者に安全・確実な薬を交付する。これらの国ぐにでは,医師も薬剤師も,また国民も,それを当然の姿として受けとっているのである。・・・

突然話題が変わるが,フランスでは,食べてもよいキノコか,毒キノコかは,街の薬局にいけば,。薬剤師が判別してくれるという。 市民に信頼されているフランスの薬剤師の懐の深さ,能力の高さを知る上で,大変参考になる話である。

アメリカの場合

アメリカに目を転じると,薬剤師は実質的には,フランスの場合と大同小異である。すなわち,ファーマシストとよばれる激烈な競争を勝ち抜いたエリートたちは,フランスの場合と同様,治療方針を議論する会議に出席し,医師と対等に発言する。給与も医師と対等である。

KUROFUNET(2010年7月13日号)に,前田幹広博士(メリーランド大学医療センター・集中治療専門薬剤師レジデント)による極めて興味のある記事が掲載されている。本書に引用させていただくことを前田博士にご快諾いただいたので,以下にその要点を引用する。

臨床薬剤師への登竜門

薬剤師レジデンシーは,現在では志願者数が募集人数を上回っていることが多く,特に志願者が集まる大学病院では熾烈な争いとなっています(3人の募集枠に100人が応募したとかいう話も聞きました)。今年になると特に不景気の影響が色濃く表れて,「レジデンシーを修了しないと病院で働けないのではないか?」という危惧から,レジデンシーへの応募者がますます増えることになりました。

1年目のレジデンシー(post-graduate year 1, PGY1)は薬学一般を学ぶもので,専攻はありません。「内科学」「集中治療学」「感染症学」「外来」などの分野を1カ月ごとに学んでいきます。

一方,2年目のレジデンシー(post-graduate year, PGY2)では,専攻を選択して突き詰めていくことになります。2010年現在,全米のPGY2で最も多くを占める専攻は「集中治療学」で,次いで「腫瘍学」「外来」「感染症学」と続き,最も募集の少ない「栄養学」に至るまで約20の専攻が存在しています(*注)。

*注 2010年現在,PGY2の専攻には次のようなものがあります(本文に挙げたもの以外)。「薬局管理学」「小児学」「循環器学」「薬物情報学」「救急救命学」「老人学」「HIV」「医薬品安全学」「核薬学」「疼痛緩和学」「薬物治療学」「移植学」。

最近では,全米の薬学部の卒業生は約1万人となっていますが,PGY1の募集人数は約2000人,PGY2では約450人です。2010年のマッチングに参加したのはPGY1で約3000人,PGY2で約370人であり,そのうちマッチしなかったのがPGY1で約1000人,PGY2で約100人に上りました(薬剤師レジデンシーは,医師の場合と同様にマッチングプログラムによる選考となっています)。

病院薬剤師の分類

アメリカの病院薬剤師は,1)スタッフ薬剤師(Staff Pharmacist),2)臨床薬剤師(Clinical Pharmacist),3)専門薬剤師(Clinical Specialist)の3つに大きく分類されます。

スタッフ薬剤師は,医師の処方内容を監査し,調剤助手(テクニシャン)が調剤した薬をチェック後,薬局から病棟へ送ることが主な仕事です。臨床薬剤師は,主に専門薬剤師がいない地域病院で臨床業務を担います。専門は持たず,ジェネラリストとしての知識と経験が求められています。専門薬剤師は,大学病院や大規模病院に配置され,専門性を生かした臨床業務を行ないます。専門性を獲得するため,通常はPGY2まで修了することが必要です。

なお,レジデンシーを経た薬剤師の多くは臨床薬剤師として働こうと就職活動に励みますが,昨今の経済事情の中でなかなか職を見付けることができず,スタッフ薬剤師として働かざるを得ないこともあるようです。

スタッフ薬剤師の視点,臨床薬剤師の視点

薬剤師レジデンシーでは,薬剤部のスタッフ薬剤師として一定の時間働くことを求められるプログラムが多く(「スタッフィング」という),スタッフ薬剤師と臨床薬剤師の両方の経験を積むことができます。スタッフ薬剤師として働くときと臨床薬剤師として働くときとでは,考え方に多少の違いが出てくるので,当初の私はスタッフ薬剤師として働くことに戸惑いを隠せませんでした。

スタッフ薬剤師として働くときは,薬剤部にいて医師の処方内容を監査するため,既往歴をはじめとする患者の背景などは,ほとんど分かりません。したがって,病状を踏まえて処方を監査することは難しく,主として薬理学・薬剤学的な観点からの監査になります。

例えば,抗菌薬のリネゾリドが処方された場合,スタッフ薬剤師として考えることは,「相互作用のある薬(SSRIなど)を服用していないかどうか」「ほかに同様の抗菌スペクトラムを持つ薬(バンコマイシン,ダプトマイシン(日本未承認)など)を服用していないかどうか」「用量に問題はないか」といったことになります。また,抗菌薬ですから,できるだけ早く病棟に送らなければなりません。

一方,臨床薬剤師として回診を経てリネゾリドの処方を始めるという場合は,スタッフ薬剤師が考えるようなことに加えて,リネゾリドが患者の現在の病状に適しているかも評価します。

リネゾリドは通常,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)やバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)による感染症に対して使用されますが,MRSAの場合では,「バンコマイシンではなく,リネゾリドを投与する根拠があるかどうか」も考える必要があります。リネゾリドの投与が妥当だと判断できれば,血小板減少症などの副作用を念頭に置いた上で,「何をモニタリングする必要があるか」「どのくらいの期間投与すればよいか」といったことを考えていきます。リネゾリドの投与に疑問を感じた場合は,ほかの抗菌薬を提示したりもします。

薬剤師レジデンシーで学ぶことは,臨床薬剤師としての考え方,つまり薬理学・薬剤学的な考え方にとどまらず,薬物治療学的な考え方を養っていくのにも大変有用です。こうしたことは,スタッフ薬剤師として働いているだけで身に付けることは難しいもので,薬剤師がレジデンシーに進むことへの大きな動機付けとなっているのです。

以上で,前田幹広博士の記事の引用を終わる。


つづく

# by yojiarata | 2011-05-07 00:20 | Comments(0)

薬学部6年制 Ⅵ


自問自答する

6年制薬学について,先輩,友人諸氏と面談を重ね,必要な資料を集めてきた。6年制薬学を理解するためである。しかし,筆者の現在の心境を一言でいえば,あたかも“迷宮”に迷い込んだように困惑している。何が議論の前提で,何が結論なのか,はじめに結論と思っていたことが,気が付けば前提であったことが分かるなど,視界が全く開けてこない。

そのため,自分としては,どのように問題を捉えるに至ったかを自問自答形式にして記述する。ただし,ここの記述は,あくまでも,筆者自身の個人的見解であることをお断りしておく。

薬学部は何故6年制でなければならなかったのか?

大義名分

医学部,歯学部,獣医学部は6年制である。薬学部も6年制にして打って出なければ,社会における薬学の地位は何時までも現在のままの状況が続く。看板を新しくしようではないか! それに,西欧諸国を見渡しても,6年制でないのは日本だけである。世の中はグローバル化の時代である!

看板に書かれたことば
患者さんに必要とされ,患者さんの役に立つ薬剤師の養成を目指す。6年かけて4年制の薬剤師には十分でなかった数々の経験をして,医師とともに新しい時代の高度医療に貢献する。

社団法人・日本私学薬学大学協会の思惑

それぞれの私立大学には,文部科学省から私立大学等経常費補助金が支出されるが,財源は基本的には学生に依存する。4年制を6年制に移行すれば,入学試験,授業料などからの収入は,単純計算で50%の増加が見込める。

日本薬剤師会のロビー活動

調剤薬局の集まりである日本薬剤師連盟は,国会議員を擁立して長年にわたってロビー活動を行った。昭和47年(1972年)7月10日に開催された自由民主党薬剤師問題議員懇談会は,薬剤師教育検討チームの設置を決定した。構成メンバーのトップに据えられたのは,橋本龍太郎・第82代,第83代・内閣総理大臣(第52代・厚生大臣),森喜朗・第85代,第86代・内閣総理大臣の時代であった。これによって,厚生労働省,文部科学省に対する圧力団体が誕生した。この時の志は,日本薬剤師会に引き継がれ,今日に至っている。

6年制薬学部を創ってはみたけれど

6年制薬学部の誕生とともに,私立薬科大学の数は57校となった。これに,国立14校,県立1校,市立2校を加えると,薬科大学の数は全国で74校に達する。

薬学部の卒業生は,4年制の時代には年間6000人程度であったが,6年制に移行したあとは,約12,000人に達するものと推測されている。これは,やがて,同世代の若者の100人に1人は薬学出身者という計算になる驚くべき数である。

一体これだけの数の薬剤師を日本社会は必要としているのだろうか? 恐らくそうではあるまい。さらに重要な点は,12,000人もの学生が全て,薬剤師の国家試験に合格することなどありえない。6年制に移行することによって,国家試験の問題は,従来の240問から345問に増加し,個々の問題自身も難しくなる。そうなれば,多くの薬剤師浪人が巷に溢れることになり,これは大きな社会問題である。50%増しの教育費を負担している学生の家族にも,申し開きが立たない事態になる。

6年制になれば薬剤師としての社会評価も上がり,医師と密接に連携することができる高度な医療を支えることが可能になるという“謳い文句”が宙に浮いてしまうことになりはしないか。

では,6年制だけが悪いのか?

6年制という制度だけの問題ではない。これまでにも,4年制の薬学部の出身者が研鑽を積み,医師とともに高度医療に係っている薬剤師も医師も少なくないと聞く。要は,6年制であろうが,4年制であろうが,努力に努力を重ねた学生は,高い峰に到達できるのである。努力なしには何事も達成できないのは,なにも,薬剤師に限ったことではない。


つづく

# by yojiarata | 2011-05-07 00:10 | Comments(0)

薬学部6年制 Ⅶ


質の高い薬剤師の育成

6年の課程を経て,薬剤師国家試験に合格した薬剤師は,従来の4年制時代の薬剤師に比べて,知識,経験などに優れているに違いない。新しい6年制の薬剤師を選別するためには,国家試験の内容も十分考慮されているはずである。 ⇒ 6年制薬学における薬剤師国家試験

事実,6年制薬学部に関する文書には,6年制薬学教育が目指すのは,患者さんに必要とされ,患者さんの役に立つ専門性の高い薬剤師の養成であると明記されている。では,6年制薬学部を経て薬剤師になれば,皆がそうなるか? ちょっと考えてみれば,そんなことは有り得ないことは明らかである。大体,病院,薬局は,今までどおりの薬剤師を必要としているのである。

ここから,6年制薬学部の議論は迷路に入ってしまう。強調しておきたい点は,6年制は,薬剤師の仕分けに繋がる。すなわち,これまで4年制によって世に送り出された薬剤師と,選ばれた専門性の高い薬剤師の2種類の薬剤師に分けられる。どう考えても,前者が9割以上,後者はごく一握りであろう。

筆者は,6年制薬学部の最大の特徴は,たとえごく少人数であっても,水面から頭を出した,飛び抜けて優秀な,すなわち後者のタイプの薬剤師を創りだす可能性があることだと考えている。

西欧諸国においては,如何なる分野であっても,競争原理がつねに優先する。プロフェッショナルだけが生き残る。一旦海に身をおけば,つねに泳いでなければ沈んでしまう。激烈な競争を勝ち抜いてはじめて,目的が達成される。薬剤師もまた然りである。こうして選ばれた薬剤師は,医師と対等に医療に係る実力を備えている。医師とともに,グループ医療に参画できる。

フランスでは,6年制薬学部が法律によって定められたのは,確かに最近(1987年)のことであるが,根底には,千年以上にわたる紆余曲折の歴史がある。その間,現在の言葉でいえば,「医薬分業」がさまざまな形で,現れては消え,消えては現れている。薬剤師と医師との協力,あるいは摩擦も,同様な長い歴史がある。医師に蔑視されてきた薬剤師の怨念も忘れられない。すなわち,日本の薬学師の質を高めるために,いま急に6年制薬学部をスタートすればよいというような単純な問題ではないのである。

意欲ある者にとって,機は熟した

少なくとも現時点では,日本のサイエンス関連の制度は未だ西欧先進国に遅れをとっていることは認めざるを得ない。薬学にしても,真の医薬分業は,法律では実現したものの,医療を担う医師と対等な立場の専門薬剤師が次々に出てこない限り,これまでの壁は破れないであろう。

しかし,6年制薬学をポジティブに捉えると,自らを徹底的に磨きたい薬剤師にとっては潮の流れが向いてきた感がある。これまでと同様,日本民族の美徳を守り,薬剤師全員が“みんな仲良し,資格も何もかもが,横一線に並んでいる”のでは何の進歩も望めない。それには,“出る釘は打たれる”ことを恐れてはならない。一歩でも二歩でも,横一線から上に上ることだ。その際,“言うは易く行うは難し”ではあるが,可能な限り摩擦を起さないこと,これも各人の人間的才能である。そのような意欲と能力を内に秘めた学生とっては,これ以上魅力的な場はないのではないだろうか。

問題は一言で言えば,すべての人に平等に薬剤師の資格を取得してもらうか,あるいは,個個人が優秀か,優秀でないかを明確に判断して,西欧型の“不公平な選抜”を行い,図抜けた能力をもつ選ばれし薬剤師を選び出すかである。付け加えておきたいのは,これは何も薬剤師に限った問題ではない。言い換えれば,プロフェッショナルでなければ世の中に通用しないのである。

突飛なたとえ話になるが,登山のガイドなる人たちがいて,ガイドとして報酬を得ている。最近,ガイドが同伴しているのに,山で遭難が起きたことがしばしば報じられる。よく話を聞いてみると,全てのガイドが,全責任を取れるプロフェッショナルがどうか疑問に思うことがある。全てのガイドが国の統一的な資格試験を受けているのだろうか? どうもそうでもなさそうである。アルバイトに毛の生えたようなガイドもいるのではないかと思われる節がある。

例えば,ヨーロッパのアルプスでは,国の統一的な試験を受け,国からお墨付きを与えられたガイドだけが仕事をすることができる。契約社会である西欧諸国と,その点が曖昧模糊としている日本の違いである。

繰り返すが,日本の薬剤師もプロフェッショナルでなければならない。

それでは,どうすればよいか?

いずれにしても,現状では,恐ろしい数の薬剤師の卵が平成24年(2012年)3月に孵ってくるのは間違いない。問題の所在は,これまでに述べてきたことから明らかであろう。

理想論

薬学部の定員を今の半分あるいは以下に絞り,薬剤師国家試験を受験する学生の数を減らす。減らせば,学生一人当たりの教育が充実し,意欲のある学生の力がさらに向上する。意欲的な学生は,さらに大学院に進んで研鑽を積めば,6年制化が理想とした,今までとは違う,一皮むけた薬剤師が黙っていても誕生するであろう。しかし,これは理想像であり,夢である。これでは私立大学の経営は成り立っていかないことは明白だからである。

だとすれば,今のままの状態にして,12,000人の学生の中から,一人でも二人でも,上で述べたような人材が出てくることを待つしかない。

現実的な選択肢

結論を先にいえば,選択肢は二つである。

6年制課程を選び,卒業後に大学院に進み,臨床に直結した優れた薬剤師への道を歩むか,あるいは,薬剤師の資格を忘れ去り,4年制課程において,日本独自の薬学の基礎研究へ全力投球するかである。すでに述べたように,現在は移行措置として,4年制課程にも薬剤師国家試験を受験する道が残されているが,平成30年以後はこの扉が閉ざされる。残された期間は,(2011年現在)6年しかない!]

6年制の薬学を卒業して世に出る学生の取るべき上述の選択肢に関連して,次の諸点を指摘しておきたい。

1)通常の薬剤師になることを目的として入学してきた学生は,6年制課程を修了し薬剤師の資格を取得したあと,大部分は大学病院の調剤部,街の調剤薬局の薬剤師として職を得ることを目指すはずである。

2)12,000人の学生が,すべて薬剤師の資格を所得して職を求めるとは到底思えないが,その数が仮に9,000人としても,職を得られない薬剤師が街に溢れることは容易に想像できる。法科大学院の場合でも全く同様の事態に陥っている。

3)この場合,すでに世の中のあらゆる局面で起きていることであるが,専門をいったん捨てて,全く別の分野に職を得る可能性を求めることになる。この場合,薬剤師の経歴が実際には何も生きてこないこともあれば,何かの切っ掛けで思わぬ展開を見せることもあり得る。人生色々である。

4)同じ6年制課程を進んだ場合でも,努力を重ね,専門性の高い薬剤師としての実力を身に付け,可能な限り医師とのコミュニケーションの輪を拡げていけば,新しい活躍の場が拡がるであろう。ここでは,6年間かけて身に付けた薬剤師としての実力が評価されるため,在学中に不断の努力が求められる。

5)子供の頃より,新しい薬を開発して世のため,人のために貢献しようと夢を持つ学生もいるはずである。そのために進むべき道は唯一つ,薬学部に用意されている4年制課程に入り,希望の分野(有機化学系,生物化学系,物理化学系)の研究室で研鑚を積み,大学院に進学して,修士,博士の資格を取得する。このあと,ポスドクとして外国に武者修業の旅に出たあと,再び日本のアカデミアに戻り,仕事と論文で勝負し,さらに上を目指して研鑽と積む。

このオプションの場合,本人が自覚するか否かに係らず,本人の経歴には,薬学としてのアイデンティティが失われることになる。たとえどのようにレベルの高い業績であっても,外国の研究者から見れば,その仕事は薬学部という看板を背負ったものではないからである。言い換えれば,例えば,大学なら,単に生命科学関連の研究室の業績として評価されることになる。

1994年(平成6年)に設立された東京薬科大学・生命科学部は,薬科大学に所属しながら,薬学のアイデンティティとはかけ離れた自由な研究を目指している。当然,卒業生には,薬剤師国家試験を受験する資格は与えられない。

6)薬学のアイデンティティと言ったが,これこそまさに薬学であり,理学部,工学部,農学部には無い研究室といえるのは,薬物代謝学,薬物動態学などであろう。薬学人だけが身に付けているこの分野の知識,経験は,あらゆる場面で,薬学そのものとして重みを置かれるであろう。

7)就職の点について触れておきたい点がある。かってある製薬企業のトップの一人が,私立薬科大学に招かれ,講演をした際,学生の質問に答えて,我が社では,薬剤師は要らないと答え,ウワサはウワサをよび,私立薬科大学で恐怖と大反響を巻き起こしたことがある。

この答えの真意は,会社が重視しているのは,薬剤師だからというのではなく,薬剤師であろうが無かろうが,十分に柔軟に,会社に貢献してくれる人材を求めているということである。

先に述べたように,薬物代謝や薬物動態に関する専門的な知識を身に付けた学生は,薬学部出身者にしかいない。有機化学を専攻した学生の場合には,薬学出身であるからではなく,どの研究室で誰の指導を受けたかに着目した採用を決める。

薬学でも理学部でも,細胞生物学を専攻した学生が多い。この分野の学生が要らないというのではないが,動物を扱うイン・ビボの実験を自由に出来る人材は,獣医学科より採用する。問題は個人の特長,能力,思考の柔軟性,行動力である。

薬剤師がどうしても必要な職場が製薬会社にもある。例えば,工場長,薬相談室などがそれに該当する。結論を言えば,出身が薬学であることが本質的なのではなく,配置された場で最大限の能力が求められているのである。


つづく

# by yojiarata | 2011-05-07 00:05 | Comments(0)

薬学部6年制 Ⅷ


医学の呪縛を解く

医学との関係を抜きにして,6年制薬学を論じることは出来ない。

限りなく薄い薬学の存在感

6年制薬学部の一切を所管する部局は,文部科学省高等教育局・医学教育課である。文部科学省には,医学教育課はあっても,「薬学教育課」は存在しない。すなわち,薬学教育に関する行政の一切は,医薬教育課関連の医学関係者によって取り仕切られる。

具体的には,医学教育課の所管する団体である
財団法人・医学教育振興財団
(高久史麿・理事長)が,全ての実務を行っている。すなわち,薬学教育はつねに,医師によって動かされていることを認識しなければ,6年制をめぐる全体像は理解できない。

これでは,医学部の(精神的?)属国としての薬学のコンプレックスは永遠に続くであろう。これは単に形式的な議論ではない。薬に関する基礎教育を受けていない,敢えて言えば,化学を全く理解しない医師が,薬学教育まで取り仕切るこの国に造りの奇怪さである。これは薬学の将来のためには,決して看過できることではない。

医学教育振興財団については,
文部科学省・高等教育局・医学教育課
のウェブページを参照していただきたい。

がん対策基本法

日本でも,アメリカで行われているチーム医療の現状などに鑑み,平成18年(2006年)6月23日法律第98号として「がん対策基本法」が提案され,平成19年(2007年)4月1日より施行された。それを受けて,がん対策推進協議会が組織され,垣添忠生博士(財団法人日本対がん協会会長)を主査として審議が行われている。審議の様子は,厚生労働省がん対策基本法「革新的医薬品・医療機器創出のための5か年戦略」について などに掲載された議事録,資料などを通じて知ることができる。

驚いたことに,がん対策推進協議会の委員には,薬学の専門家は一人も入っていない。しかし,よく考えてみると,このような会に加わって,医師と互角に発言できる薬学分野の専門家,例えばがん専門薬剤師が今のところ非常に不足しているのが実情である。

今後,世界の流れのなかでがん治療を進めていくためには,チーム医療の体制を組むことは必須である。それには,がん専門薬剤師などの薬学の専門家の存在は不可欠である。

医師と薬剤師の関係が変わりつつある

医師法第22条によると,患者に薬を使う場合(つまり薬を調剤して投与する場合),医師は原則として処方せんを発行しなければならない。さらに,薬剤師法24条には,薬剤師は医師による処方をレビュー(処方監査)し,疑義がある場合にはその結果を医師に問い合わせる(疑義照会)の二つのステップを経て,調剤し患者に投与ことが明記されている。

欧米諸国では,多くの場合,医師は薬剤師に相談してから処方せんを発行する。処方せんは必ず薬剤師の厳重なチェックを受けるからである。従って,実質的には薬剤師の主導で処方が決まることになる。これが,本来の医薬分業のあるべき姿である。

日本では,長い間,処方監査,疑義照会の段階があってないような状況であった。薬剤師は医師の書いた処方せんどおりに薬を調剤して患者に渡す。すなわち,日本では医師による処方せんの発行と,薬剤師による調剤行為は極論すると「問答無用」の状況下にあり,処方,調剤は現実的には医師の手によって行われることになってしまった。


国政に望む

薬学の将来のための委員会は何をもたらすのか

平成20年(2008年)から現在に至るまでの短期間の間に,「薬学系人材養成の在り方に関する検討会」が何度となく開催されている。ここでは,6年制に移行した薬学部のもとにおいて,さらに高いレベルの学生を育成するための議論が繰り返し行われているようであるが,関連のウェブページを精読してみても,その実態は明らかでない。此の期に及んで,一体何をしようというのであろうか。それとも,いつもの官僚主導の有識者・学識経験者の 「井戸端会議」なのだろうか? [ ⇒ 荒田洋治『日本の科学行政を問う』(薬事日報社,2010)]

国の姿勢を問う

6年制薬学部を創設したからには,国はもっと真剣に取り組んでいただきたい。これまで述べてきたように,6年制のもとで薬剤師を世に送り出すために,各大学の教職員がどれほど苦しんでいるか,その現実を直視していただきたい。

有識者・学識経験者を動員して,連日の如く会議を開き,提言をしまくり,山のように通達を出すのもよい。しかし,国は現場にスタッフを派遣して,現場の声に耳を傾けたことがあるのだろうか。

制度的にも,精神的にも,薬学が医学と対等な地位を獲得することなしには,この国の医療を真に国民のためにすることはできない。どうすればよいか,国は理屈の上ではとっくに理解しているはずである。薬学を変える根本は,6年制のような制度の改革ではない。ただ新しい制度を作り,そのまま放り出されるのでは,日本の薬学が発展するどころか,崩壊してしまう。

国が大きなプロジェクトを立ち上げ,そのまま客観的にまともな評価をすることなく放り出した事例は,さまざまな分野で溢れかえっている。6年制薬学部の創設がこの轍を踏むことなく,患者に必要とされ,患者の役に立つ薬剤師の養成を達成していくことを強く希望する。

おわりに

4年制課程と6年制課程の定員は,それぞれの大学が自らの考えの下で決める[ ⇒ 薬学部6年制 Ⅱ,図2]。私立薬科大学の場合には,6年制課程に重点が置かれている。一方,国公立大学の場合には大きなばらつきがある。国公私立大学それぞれの悩みをかかえているのである。

ある公立大学では,「我が大学は一貫して従来通りの基礎研究に専心すべきである。優れた仕事を続ける自信がある研究者にとって,6年制課程は不要である。4年制課程だけにして,基礎研究に徹するべきである」との極論が出たと聞いている。他の国公立大学でも,多くのところで,これに近い議論が繰り返されたのではないだろうか。これは,薬学における伝統的な体制を維持して,基礎研究だけを徹底的に行うにはこの道しかないという考えに基づくものである。

一方,薬学部の看板を掲げているからには,薬剤師がゼロであるというのはどう考えてもおかしい。これでは,社会の理解が得られないという,どちらかという消極的な賛成論の結果,定員は別として,全ての国公立市立大学の薬学部で,6年制課程の枠が残されることになったのであろう。

しかし,現在の状態では,6年制薬学を創設した精神が失われるという意見も当然あり得る。このように,6年制薬学をめぐる議論は,単に薬剤師の質を向上させるという狭い範囲に押し込めることが不可能である。

もともと,薬学部を6年制にすべきであるとする発想も,薬剤師の質を向上させようという上辺の綺麗ごとだけではない側面があったと理解している。厚生労働省,文部科学省の官僚の思惑と摩擦,調剤薬局で働く薬剤師に医師と同格の「バッジ」を付けさせたいという日本薬剤師会の動き,自由民主党(当時)が発足させた勉強会などをめぐる政治の世界との係りは見過ごすことは出来ない。

ともあれ,6年制薬学部の創設が法律によって定められた。薬学部6年制に関する議論は,法律が改正された現在,そして将来に亘って,複雑に尾を引くであろう。

謝辞

執筆にあたっては,次の方々から貴重なご意見を頂いた。

井上圭三・教授(東京大学薬学部長,帝京大学薬学部長,東京大学名誉教授),岩井秀夫・博士(フィンランド ヘルシンキ大学 バイオテクノロジー研究所 グループリーダー),岡部建次・教授(駿河台大学文化情報学部),堅田利明・教授(東京大学薬学部,教務委員長),香取和夫・指導薬剤師(杏雲堂薬局,東京都江東区),河邉秀一・出版局長(薬事日報社),小雀浩司・持田製薬顧問(公益財団法人・持田記念医学薬学振興財団理事),柴崎正勝・博士(微生物化学研究センター化学研究センター長,同常務理事,元東京大学薬学部長,東京大学名誉教授),鈴木洋史・教授(東京大学医学附属病院・薬剤部長),竹中登一・会長(アステラス製薬株式会社),辻勉・教授(星薬科大学薬学部),豊島聰・博士(独立行政法人 医薬品医療機器総合機構・シニア・アドバイザー),西村千秋・教授(帝京平成大学薬学部),春山英幸・博士(第一三共株式会社・品川研究開発センター・執行役員・研究開発部長),平岡哲夫・博士(第一三共株式会社・副社長,三共有機合成株式会社社長 [(同社は,2006年,三共化成と合併して三共ケミカルファーマとなった]を歴任),前田幹広博士(メリーランド大学医療センター・集中治療専門薬剤師レジデント),松木則夫・教授(東京大学薬学部,日本薬学会会頭),山本信夫・副会長(社団法人・日本薬剤師会)(五十音順)

長年にわたって薬学とさまざまな形で係り,父がしがない町医者であったこともあり,薬剤師の立場,処遇に深い関心をもってきたが,学問としての薬剤学は筆者自身の研究領域の外にある。その筆者が本書を執筆するに至った動機は,本書を通読していただければ理解していただけるものと思うが,一方で,大きな過ちを犯している可能性もある。読者からの忌憚のないご意見,ご批判を待ちたい。




# by yojiarata | 2011-05-07 00:00 | Comments(0)

ミネラルウォーター

幸田露伴は,大正六(1917)年に執筆した『水の味』の冒頭に,

一切の味は水を藉らざれば其の味を発する能はず。・・・ 味を解きて人に伝ふるものは,実に水の力なり。

と書いている。

食塩(塩化ナトリウム,NaCl)は,誰もが塩辛いと感じるが,そのためには,水溶液中で解離したナトリウムイオンNa+と塩化物イオンCl-の両方が必要である。私は,学生の頃,塩化カリウム(KCl)を味わってみたことがある。食塩とは似てもつかない無味乾燥な味で,砂を噛むとはこのことかと実感した。

われわれの口のなかには,舌から喉にかけて,上皮に味を感じる組織である味蕾が集まっている。味蕾の表面には,食べ物に含まれる水溶性の味物質を感知するための受容体タンパク質が,味細胞を取り囲む細胞膜の表面から頭を突き出して,味物質の到来を待ち受けている。塩辛さを感じるためには,ナトリウムイオンNa+と塩化物イオンCl-の両方をあわせて感知しなければならないのである。

さまざまな処理を経て蛇口から出てくる水道水の味が悪いと不満の人が増え,スーパーにはミネラルウォーターのペットボトルが並び,多くのひとびとがこれを購入するようになった。しかし,ミネラルウォーターの値段は,牛乳,ガソリンとほぼ同じ,東京都の水道水(実際には上下水道の料金)の約300倍である。世の中が豊かになった(贅沢になった)ことと,ミネラルウォーターの消費の伸びと無縁ではないといわざるをえない。

我々一家では,東京都水道局から供給され,蛇口から出てくる水を愛飲している。少なくとも現時点では,水がまずいと思ったことは一度もない。

日本ではじめてミネラルウォーターが発売されたのは,いまから70年近く前,アメリカの進駐軍によって持ち込まれてのがはじまりだったと理解している。このように,日本の場合には,実際にミネラルウォーターが人々の生活に広まってきたのは,ごく最近のことである。

これに対して,ヨーロッパでは,ミネラルウォーターは長い歴史をもち,人々の生活に密着している。『オックスフォード英語辞典』(OED)には,16世紀に書かれた 次の文章が引用されている。

Thys minorall water is cleare. --- and springeth out of sande.

ミネラルウォーターは,地下水が自然に涌き出てくるもの,ポンプによってくみ出したものがある。地下でさまざまな地層と長期間にわたって接触している間に,さまざまな陽イオン,陰イオンが溶け込む。したがって,水素イオン濃度(pH)も異なる。

日本とヨーロッパでは,ミネラルウォーターの定義自体が異なる。

ヨーロッパの場合には,汚染から厳重に保護された地区の地下の水源から汲み上げた鉱泉水を,空気に触れさせることなく,そのまま,ろ過も滅菌もしないで瓶詰めにして出荷される。

これに対して,日本産のミネラルウォーターは,ろ過,非加熱滅菌(オゾン,紫外線を用いる),加熱滅菌などの処理が施されたものである。このため,ろ過も滅菌もしないヨーロッパのミネラルウォーターは,とくに,ナチュラルミネラルウォーターとよぶことがある。

これは,水に対する考え方の違いであるともいえるが,何でもかでも,滅菌して清潔にすることが,必ずしも,人間の健康に最適であるとは限らない。好むと好まざるとにかかわらず,人間はさまざまな雑菌に取り囲まれて生活しているからである。

ここで断っておかなければないことがある。

この世に
H2O だけからなる“純粋な”水は存在しない

如何なる手段を用いて精製しても,水を蓄える容器から何らかの化学物質が溶け出てくる。そもそも,現在使用できる実験装置で水を分析しても,1 ppt (1リットルの水に溶解している1マイクログラムの物質)以下の検出は不可能である。検出が不可能な微量の物質が含まれていても,それが何物あり,どれくらいの量かということがわからないだけである。繰り返すが,この世に純粋な水は存在しないことは断言できる。

水の味を決める重要な因子は,水に溶けているさまざまな物質である。大きく分類すると無機化合物と有機化合物になる。かつて私が所属していた研究所で,入手可能なミネラルウォーターに含まれるすべての金属イオンの定量分析をしたことがある。その結果をまとめたのが図である。縦軸は対数である。この図からわかるように,それぞれの金属イオンの濃度には,大きなばらつきがある。

実際に水の味を決めるのは,ppm(1リットルの水に溶解している1ミリグラムの物質)程度以上の濃度で存在する主成分である。この濃度に該当するのは,陽イオンでは,Na+,Ca2+,Mg2+,K+である。5種類のミネラルウォーターに,これらの成分をどれくらい含まれているかを表にまとめる。
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表のなかで, A,B は日本ミネラルウォーター,C,D,E はヨーロッパ産のミネラルウォーターである。ここでは,代表的な陽イオンの濃度をppm によって表示した。
硬度は,Ca2+ イオンの量とMg2+ イオンの量を,当量のCaCO3 に換算した値である。実際には,

硬度 = Ca2+ イオンの量×2.5 + Mg2+ イオンの量×4.0

となる。ヨーロッパのミネラルウォーターのなかには,硬度が1000を越えるものがあるが,特別の場合を除くと,日本人には,下痢などの症状を引き起こし,適当ではない。

ミネラルウォーターのどれが美味しいかについては,盛んに議論がたたかわされている。しかし,美味しいかどうかを決めるのは,水を実際に飲む個人,個人ですから,この議論は,“とりとめのない”( ブリア・サヴァラン『美味礼賛』による)ではないかと思う。

しかし,そうはいっても,水の美味しさを決めるいくつかの点があることもまた確かである。

私が子供の頃に飲んだ夏の井戸水の美味しさは,いまでも忘れることができない。今考えると,冷たく,異臭がまったくないことがその理由であった。経験によれば,体温より,20℃から25℃くらい低い温度の水を美味しいと感じる人が多いようである。すなわち,異臭がなく,冷たい水はおいしい。匂いのもとになる物質は揮発性の水に溶け難い物質である。したがって,温度が高い生ぬるい水は,異物の揮発量の多さの点でも,水の味を損なうことになる。

経験によると,ある一定の量のカルシウムイオンは,水の味を“引き締めて”美味しいものにし,逆に,マグネシウムイオンは苦味を増すといわれている。もっとも,私達が飲んでいるミネラルウォーターに溶けているイオンの量は,例えば,海水の場合に比べると比較にならないくらい少量である。例えば,ナトリウム塩の量は,海水では,ミネラルウォーターの1000倍に達する。味覚は大変鈍感な感覚であるから,塩辛いと感じるには,海の水くらいのナトリウムイオンと塩化物イオンが必要なのである。

ここで,世界の水の硬度の分布を示す。3桁のばらつきがある。
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日下譲,竹村成三『生活と水』化学と工業 43,1479-1481(1990)

6種類のミネラルウォーター(全て国産)に含まれるLi から U までのすべての元素を定量した結果はつぎの図のようになる。縦軸は成分元素の濃度(ppm)を対数目盛りでプロットされている点に注意していただきたい。
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これは,機能水研究所において,笠井千江研究員が ICP-MS を用いて辛抱強く分析した結果である。特に,希土類元素の量はミネラルウォーターによって大きく異なる。これは水の指紋といってもよい。

極めて低濃度の希土類元素などの存在がミネラルウォーターの味に影響するとも思えない,味を決めるのは,やはり陽イオンと硬度の表で示したように,主成分である。しかし,ミネラルウォーターの元素の分布は,湧き出す水の故郷を反映しており,地球化学などの観点から大変興味がある。
# by yojiarata | 2011-05-04 23:27 | Comments(1)

春を待つ



クマが冬眠することは誰もが知っている。クマには,冬になっても温度が下がらない場所を選んで生き延びる。両生類は,普通は寒冷地には生息しない。例えば,北海道で分布をとってみると,イモリなどは温度の下がる場所を避けて生息している。地下深く1メートルにもぐって越冬するヒキガエルが知られている。池や川の底で越冬するカエルやカメがいる。カメは,三ヶ月も四ヶ月も川の底で息をひそめて冬を耐え続け,春の到来を待っている。

18世紀に書かれたイギリス人の探検家ヒームの日記には,北米最北端に住むアメリカアカガエルが,凍って石ころのようになって越冬している様子が記録に残されている。このカエルは,上に述べた意味では,例外の属する。

北緯61° のこの地方には,さまざまの色をした多種類のカエルが生息している。冬にこの地方を訪れた私は,テントを張るとき,コケとともに,氷のようにカチカチに凍ったカエルを見かけることがよくある。チョッと触ると,細い足はポキンと折れてしまう。しかし,カエルを軟らかい布にそっと包んで,焚き火でゆっくりと暖めると息を吹き返す。
(筆者自身の翻訳による。)


低温を逃れて冬を越す単純な耐寒性に加えて,動物は,花芽の場合と基本的には同様な方法で,低温に抵抗している。すなわち,過冷却状態を保って生き延びる場合と凍ってしまって生き延びる場合がある。

過冷却状態を保つ場合には,細胞内の氷の成長を抑えるために,寒冷時には,さまざまな糖の濃度が極端に高まることが知られている。例えば,凍結に耐えるカエルの場合には,低温に晒されて,手足が凍りはじめると,肝臓のグリコーゲンが動員され,血中のグルコースのレベルは正常値の100倍以上に達する。このカエルの場合には,「異常事態」に対応する生化学的機構がはたらいているに違いない。

昆虫の耐寒性は,花芽で見た現象と類似している。すなわち,過冷却状態で冬を凌ぐ昆虫,逆にすぐに凍ってしまって冬を越す昆虫に分かれる。花芽の場合には,両方の方法がほぼ半分づつであるが,昆虫では過冷却状態で冬を過ごす場合が多いといわれている。
# by yojiarata | 2011-05-02 20:12 | Comments(0)

南方熊楠  国の再興と日本のアイデンティティー



昭和25(1950)年,柳田國男は次のように書いている。

非凡超凡といふ言葉を,此頃の人はやたらと使いたがるが,何かちつとばかりはた者と変つて居るといふ程度の偉人ならば,むしろ今日は有りふれてゐる時代だといってもよい。現に私なんかの仲間では,骨を折って最も凡庸なるものを,見つけ出そうとしてゐる。ところが我が南方先生ばかりは,どこの隅を尋ねて見ても,是だけが世間並みをいふものが,ちょっと捜し出せそうにも無いのである。七十何年の一生の殆ど全部が,普通の人の為し得ないことのみを以て構成せられて居る。私などは是を日本人の可能性の極限かとも思ひ,又時としては更にそれよりもなほ一つ向ふかと思ふことさへある。.....

国の再興を大いなる夢として,かつかつ生き続けて居る人々にとっては,南方熊楠 は大切なる現象であり,又一つの事件でもあった。是だけは忘れてしまふことが出来ない。(原文のまま)

『定本 柳田國男集 第23巻 さゝやかなる春 南方熊楠 423-430』
(筑摩書房,1970)

日本のアイデンティティーを胸をはって主張し続けた南方熊楠 (1867-1941) の業績の拡がりと厚みは圧倒的な迫力をもつ。本流が支流に,支流が本流に突如として不思議に交錯する南方熊楠の文体は絶品である。この世に二つという珍品なる表現をよく使った自由奔放な五代目古今亭志ん生の語り口を彷彿とさせ,これぞ日本語だと思う。南方熊楠は,まさにこの世に二つという珍品である。
『南方熊楠全集 第一巻-第十巻,別巻第一,第二』
(平凡社,1971-1975)

南方熊楠が五十編を越える論文を発表した‘ネーチュール’(Nature)は,いまは,多くの研究者が競って論文を送り,インパクト・ファクターに一喜一憂する場である。しかし,息の長い,地を這うような研究を多年にわたって積み重ねる真のプロフェッショナルが育たない限り,そしてそれが大きな流れとなってアイデンティティが確立されない限り,ファッションとしての平成維新は起こっても,経済大国日本が世界から尊敬を集め,真に国際的に貢献することは難しいであろう。国をあげての理解と努力を待つのみである。
荒田洋治『日本の科学行政を問う』(薬事日報社,2010)

結びに,南方熊楠『教育ヲ主トスル文』(明治13年)より引用する。
是ヲ以テ人ノ父母タルモノ、子ニ旨味ヲ食セシメ繡錦ヲ着セシムル事ニ注意センヨリハ、当ニ幼時ヨリ学術ヲ勉励セシメ、人道ヲ了知セシムル事ヲ務ムベキナリ

『南方熊楠全集 第十巻』(平凡社,1973)7ページ(原文のまま)。

これは,南方熊楠が和歌山中学校在学中,十三歳一ヶ月で執筆した作文である。
# by yojiarata | 2011-05-01 17:40 | Comments(0)